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評価といいながら審判をしていないか?

人事評価をする時に、「あの人はいい、あの人はよくない」という結論を出してしまうことがあるが、それは評価と言えるだろうか?

評価とはなんだろうか?

評価の「価」には、「AがBに相当するという、そのAに対するBのこと。物の値段。価値。」という意味がある。

評価というのは、価値を評するだ。

例えば、ある乗用車が200万円で販売されている時、その乗用車に200万円の価値があるかどうかを、年式、性能、ブランドなど様々な角度から分析して200万円という値付けは妥当なのかを考えることが、評価だ。

一方で「審判」とは、「ある問題について検討し、その是非や適否などについて結論を出すこと」であり、簡単にいうとOKかNGかをジャッジすることだ。裁判で言えば、有罪か無罪かだ。

人事評価には、最終的に審判を下すことはあるものの、人事評価の目的は適正配置と人材育成だ。

Aという役割に対し、Bさんはそれをどれだけ果たせているか?
それを明らかにするのが評価だ。そしてA>Bであればその差分を埋めるための人材育成をすることが評価の真の目的だ。もしA<Bであれば昇進させてより高度な仕事を任せることもできる。

となると、Aという役割が明確で、Bさんの仕事ぶり(実行と結果)も明確になっていなければAとBをすり合わることはできない。

Aという役割は、企業の中では自分の上司から与えられることがほとんどだが、部下に果たしてほしいと期待している役割を明確に伝えられているだろうか?自分が部下の立場ならば、自分はどんな役割を果たせばよいか上司に聞いているだろうか?

こういう前提をないがしろにして、あの人いい、あの人は悪いとジャッジしてしまっていることはないだろうか?

評価と審判は似ているが、スポーツで言えば審判は審判員の仕事で、評価は監督の仕事だ。(もちろん監督もレギュラーを決めたり解雇したりと審判が必要になる場面はある)

管理職は監督である。当事者意識を棚に上げいつの間にか審判員と化していないだろうか?

と、なんとなくそんなことを考えた。



介護サービスの会社を経営しながら、経営学を学ぶため大学院に通っています。起業前の13年間は特養で働いていました。介護現場と経営と経営学、時々雑感を書いています。記事は無料ですがサポートは大歓迎です(^^)/