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写真のセンスがない人は●●●をするべき

結論:写真のセンスがない人は要素を減らす撮り方をするべき

写真の講師をさせていただいていると、実習で同じ被写体をみんなで撮る機会があります。そこで出来上がった写真を見せていただくと、「なぜだかいい感じ」に撮れる人と、正直「いまいちパッとしない」写真が出来上がる人、両者にはやはり差があると感じられるのは事実です。そういう人たちの写真は何が違うのか、どうしたらセンスのない人はセンスが良い人に近づけるのか、考えてみた結果「写真のセンスがない人は要素を減らす撮り方をすべき」という考えに至ったので今回は紹介していきます。あくまでも私の個人的な経験から考えた内容ですが、どうも自分はセンスがないなぁと悩んでいる方に参考にしていただけたら嬉しいです。よろしければ参考にしてみてください。

センスのない写真ってなんだろう?

まず、センスのない写真とは何でしょうか。もちろん、センスの有無にはっきりとした線引きはできませんが、私なりにここで定義づけてみたいと思います。私が思うに、センスのない写真とは「何を言いたいのか分からない、見た人に何も伝えられない写真」です。作例を見ながら考えていきます。

わざと「センスのない写真」と言われそうな写真を撮ってみたのでご覧ください。

センスのない写真①

梅の花を撮った写真ですが、あまり「梅がキレイで素敵だなぁ」とは感じられないと思います。これはなぜだと思いますか。

要素が多いと何が言いたいのか分からない

まず、この写真は要素が多すぎるのが問題です。主役としたい梅の木が一応ほぼ真ん中に写っていますが、一輪一輪の花は小さくこのサイズでは良く分かりません。また背景に左側に写る建物、フェンス、枯れた芝生など、梅を美しく見せたいのであればマッチしないモノが写真の多くの面積を占めています。しかも写真を構成している色の数も多い。枯れた芝生の色・梅のピンク色・建物の壁の色・青空・遠くのグリーンとバラバラでチグハグな印象です。

梅の花がたくさん咲いているので、木の全体を写したいと思うとこういう撮り方をしがちかもしれませんが、全体を写すとなると必然的に背景にも映るモノが増えて、要素が増えて雑然とした印象になってしまいます。

モノクロにして考える

モノクロにして見ると、さらに何の写真なのか分からないと思います。特に光と影のコントラストが強く、梅の木の影と左側の木の影がとても目立ちます。目立つわりに、それが主役であるはずの梅と調和が取れていません。要するに、主役である梅を引き立てられるわけじゃないのに、影がでしゃばりすぎているのです。光を意識していないとこう言うことが起きてきます。晴れていたら影は出ますから、「晴れだと難しい」とか言って天気のせいにしたくなる人もいるかもしれませんが、天気のせいではありません。撮る人が、「今このまま撮ってしまったら影が目立つだろうな」ということに気が付かないまま撮影しているのが一番の問題なのです。

センスのない写真①モノクロバージョン

ではなぜ、センスのない人はこのような写真になってしまうのでしょうか。それは、「モノの見方が主観的」なことが主な原因だと私は考えています。主観的な見方とはどう言うことでしょうか。

モノの見方が主観的だと何が問題?

「モノの見方が主観的」とは、言い換えれば「自分の都合のいいものしか見ていない」と言うことです。この作例でいうと、梅の花だけを見て、背景に存在しているモノや落ちている影を全く意識していないと言うことです。先ほども「花全体を入れたいからこう言う撮り方になりがち」と書きましたが、「花全体を入れたら背景には余計なものが入ると言うことに気がつけていない」のは写真を撮る上でかなり問題です。「写真を撮る」とは、目に見えているあらゆるモノを2次元の四角いフレームに収めてデジタルデータやフィルムに残すという行為です。だから、どんなに本人が花に注目したとしても、背景に存在している背景(ここで言うと余計なもの)も当然写真に写ります。2次元のフレームは限られた面積なので、その隅々まで、何を入れるか、あるいは入れないのかを撮る人がしっかり認識しておくのはとても大切です。むしろ、そのようにフレームに収める部分を選び取っていくことこそが写真を撮ることの本質だと私は思っています。

極端に言うと、センスがないと言われる人は、「花全体を撮りたいから、木全体を撮ったら背景はいい感じにボケたり消えたりしてくれる」と頭の中で勝手に思っている部分があるのかもしれません。でもそれは残念ながら、かなり主観的なモノの見方なのです。言い換えれば、実際に存在しているものを正確に見ていない・把握していないと言うことです。主観的なので結果的に、他の人には何を言いたいのか伝わらず、「センスがない写真」になってしまうのです。

主観的なモノの見方を抜け出すには

ただ、この「モノの見方」について、慣れてないうちは主観的になってしまうのはある意味当然です。写真を撮ることを抜きにして、生活において梅をただ愛でるのなら、別に背景を気にする必要はないからです。遠くからでも、「あぁ梅が咲いたんだなぁ」と感じることはできます。周りがどんなに雑然としていようとも、実際に梅の花の近くに行けば「いい香りだなぁ」などと、「梅の存在そのもの」を楽しむことはできるからです。写真を撮らない人であれば、それで全く問題ありません。というか、それが当たり前です。でも、写真を上手になりたいと思っているのであれば、あなたのその意識自体をシフトしていく必要があります。写真は自分の主観でまず見つけたものだけではなく、画角の範囲内に範囲内に収まっている物は全て写ります。その写り方をカメラの設定やレンズの選び方で微調整をする。そうやって考えて選んで写すのが写真という表現方法です。梅を見つけて即座に写真を撮りたくなる気持ちはわかりますが、焦る気持ちを少し抑えて、しっかりと観察してほしいのです。

カメラを持ってシャッターを押す前に、画角内に写っているものをあらためてよく見直してください。一呼吸置いてみれば、「あ、このままシャッターを押すと背景に余計なものが写りそうだから、少し角度を変えてみた方が良いかな?」と気づけると思います。

要素を減らしてみよう

では、見直した結果、どこでシャッターを押すべきなのか。そこで提案したい一つの方法こそが「要素を減らす」という考え方です。例えば先ほどの梅の写真の要素を減らしたバージョンをご覧ください。

少しセンスが上がった?梅の写真

先ほどと違い、木の下の方はカットしたので、全体の形はわからなくなりました。その代わりに背景には芝生などのゴチャゴチャした要素がなくなり、建物と青空だけになりました。結果的に梅に少しは目がいきやすくなったかなと思います。

さらに要素を減らしていくとこのようになります。

わかりやすい梅の写真

背景が青空だけになったのでしっかりと梅を見せることができる写真になりました。もっと減らしてみます。

一つの花に注目した写真

さらに一輪の花に注目して全体はわからない撮り方にしてみました。近づいて撮ったので、ピントが合っている花以外がボケて主題に目がいく写りになりました。

このように、要素を減らしたほうが「何が言いたいのかわからない」「バランスが悪い」写真にはなりづらいのです。今までは比較的、「よく観察して、慎重にシャッターを押してください」というアドバイスをしていることが多かったのですが、「観察した結果どうしたら良いかわからない」という方も多いようなので、一つの方法として「要素を減らす撮り方」を提案しています。要素を減らすとは色数を減らしたり、全体ではなく部分をアップにしたり、あれもこれもと欲張らずに画角を狭めて撮るということです。特にアップにすると被写界深度が浅くなるため、ピント位置に対して自分で厳しくなれると思います。また被写体に近づくと、必然的に被写体をよく見ることにつながります。よく見ると遠くからではわからなかったことに面白みを感じられたりするかもしれません。そんなふうに、自分の中で「面白いな」とか「楽しい」という気持ちを持つこともとても大切です。

背景を緑にするとこんな感じ

誤解しないでほしいこと

ただし、当然のことながら「要素が少ない写真」=「センスの良い写真」というわけではありません。「要素が少ないとまとめるのが簡単で、バランスが取りやすくなるので、練習としてまずやってほしい」という意味合いです。その点は誤解しないでほしいなと思います。

ちょっと花の数を増やした撮り方。これはこれで良いと思います

例えるなら、ダンスで言えば基礎の動きを毎日繰り返して、リズムが正確に取れるから、派手な難しい動きをカッコよくできたり、料理で言えばシンプルな素材の味を知っているから多種類の複雑なスパイスを調合しても風味豊かな料理を最終的に完成させることができるといったような感覚だと思います。

要素が多い写真をセンス良く撮るのは、初心者には難易度が高いです。まずは簡単な「要素の少ない写真」でトレーニングをして「センスの良い写真が撮れた」とか「伝わる写真ってこんなものかな?」と、感覚を掴めてきたら、要素を増やす方へと移行してみたら良いのではないか?という私からの提案です。写真は他の表現と違ってシャッターを切るのは一瞬であることが多く、撮っている人の内面は見えないので分かりづらいのですが、撮影した人が何かを考えながら撮っているか、あるいは何も考えないでただ撮っているかは写真の講評会で並べて見させてもらうと、私はかなり感じ取ることができます。

ここでいう「初心者」というのは、モノの見方においてです。どんなにカメラについての知識があって、高級な機材を持っていたとしても、モノの見方が初心者、つまり主観的なモノの見方しかできないのならセンスの良い写真は絶対に撮れません。逆に言えば、ある程度しっかりと観察することができれば、カメラの使い方はあまり知らなかったとしてもサッといい感じの写真を撮ることができます。あなたの周りにもしそういう人、スマホでもなんとなくいい感じに撮れちゃう人がいたりしませんか?きっとその人は、モノの見方の客観性が高いのだと思います。ぜひそのような目を持てるように、日頃から正確に見るということを意識してみてください。そのためにまず、欲張らずに要素を減らす撮る練習をたくさんしてみてほしいと思います。

センスがないと言われたっていい

最後に今回、センスがないと言って散々この写真を酷評してきましたが、本当はこの写真がダメって言うことではありません。あくまでも要素が多くて、分かりづらい写真であると言うだけです。

センスがないと言われてもいいじゃん

分かりづらい写真が悪い写真ではありません。最終的に写真はアートなので、要素が多く伝わらなかったとしても自分がそれで良いと思っているのであれば問題ありません。私としては、実はこの写真が一番場所の雰囲気もわかり、発見した時の感覚を思い出せる素直な視点だと思っています。なので、そう言う意味では実は少し気に入っている部分もあります。

つまり写真はアートである以上、最終的に自分にOKを出すことが一番大切だと言うことです。写真においていろいろな事柄で「どうしたらいいの?」ってよく聞かれるのですが、それは私には答えられませんって言うのはこういうことなんですね。分かりやすい写真にしたいのか、自分さえ納得していればそれでいいのか。その間のバランスを取りたいのか。そこを決めるのは自分しかいません。それを見つけたいから、色々と写真を撮りながら考えるのが面白いのだと思います。

すごく難しいことのようですが、多分、多くの方に教えさせていただいて思ったのは、難しいのではなく「気がつかないだけ」というケースが多いようです。写真を語る上で、「まさか自分の見方が原因だったなんて」って疑う人は少ないんです。写真は、やれ新しいカメラがすごいとか、レンズの性能とか、ソフトがカッコいいですよっていう業界なので、自分について考えてないんですね。でもやっぱり自分の見方の癖に気がつけると、圧倒的に写真が変わっていくと思います。

厳しいトレーニングを積んで、本当はめっちゃ難しい動きもできるダンサーがあえてシンプルな振り付けで表現をしていたら、それもまたかっこいいと思いませんか?写真で表現をする人にも、そこを目指してほしいのです。できるようになると、面白いですよ。


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