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in your own way

本棚の書類を整理していたら、懐かしい文章が出てきました。

12年前に書いた就活用の自己PR?文です。
ろくに推敲されてないし、中身ないし、拙いしで、これを送られた会社の人事部の方も失笑していたのではないでしょうか。

ここにアップするのはとても恥ずかしくて、少し迷いましたが、晒しますね。

それで、この文章がどうしたら面白くなるのか、伝わるようになるのか、改めて後日リライトしてトライしてみようと思っています。

以下、推敲せずに載せます。少しでも興味持たれた方は、読んでみてください。よろしくお願いします。(1000字程度です)

2006年9月26日

 今年の1月の下旬、前職の最終面接があった。日本橋に旗艦店を持つ日本でも老舗の百貨店の中途採用に応募していて、実は新卒時にも応募して、不採用になった企業でもあった。

 「その時のリベンジを」と思わないこともなかったが、一方どこかで上手く社会に与するような自分の心の動き方に、嫌悪感を抱いていた。最終面接も、どこかで受からなければ、それはそれでいいと思っていた。

 これまで、大学を卒業してから3社の大手企業に雇われ、全て正社員として働いて厚遇を受けていたが、いつも本当の自分の居場所はここではない、いつか本当の自分になれる場所にどうにか辿りつけないものかと想い続けていた。

そう悩みながらも、いざ、ある程度の社会的地位や高額な給与を充てがわれると、それを甘受し続けて来た自分が、また情けなくもあった。どうしても、一度、自分が何者なのか判る状況に身を置きたくてしょうがなかった。「旅をしろ!」「何か書いてみれば」いろんな人の助言もあったが、どれも自分の心を動かすものにならないまま、だらだらと勤め、いわゆる大企業という寄らば大樹の陰に身を寄せる生活を繰り返して来た。

 釈然としない気持ちのまま迎えた、最終面接がある当日だった。もう行かなければならない時間ギリギリになり、まさに慌ただしく自宅を出ようとした矢先、宅急便で私宛に1冊の本が届いた。それは、昨年末応募していたラジオ番組のプレゼントで、憧れている沢木耕太郎氏を特集している雑誌だった。中を開いてみると、見開きに写真ページに沢木氏が写っており、サインと「in your own way」というメッセージが記してあった。当然のようにお守り代わりとして、その雑誌を携えて自宅を出たのだけれど、今、思えば、その沢木氏の雑誌が届いた時には、いろいろと自分について逡巡して悩んで来たけれど、今回、内定が出たらそれを受け入れ、とにかく一歩前に進んでみようと、心のどこかで決めていたのかも知れない。「自分らしくさ、やればいいんじゃないの、どんな仕事に就こうとも」。都合のいい解釈に、今では苦笑してしまうが、今まで、沢木氏を追いかけてきた自分に、彼からひとつの答えとして、ひとつのメッセージが届いた、といったらカッコつけ過ぎだろうか。「in your own way」−これから最終面接を受けようというあの時の自分に、沢木氏からのアドバイスとしてこれ以上のものはなかった−

 と、これまでが、前職から内定を頂いた直後、ある仲の良い友人に宛てたメールをもとに書きました。自己PRならざるものをお送りしました。ご無礼お許しください。

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