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デジャヴと予知夢

とある大学の市民講座?的なものに出席していて、その中でデジャヴのお話があった。

デジャヴ…既視感。初めて来た場所なのに知っている場所のように感じる感覚。

実用日本語表現辞典より


その講座の中で心理学の教授はこの既視感のことを「以前見ていた写真や景色や人などを、脳がまとめて概念化しているため」と説明していた。

つまり、「神社ってこういうもの」「田舎ってこういう風景」「学校はこういう感じのところ」といういわばレッテルのようなものを脳が作り出していて、神社や学校や田舎などの風景を見たときになんとなく見たことがあるような感じがする現象をデジャヴというのだ、と。

ここで私は「ん???」と思った。

少なくとも私は、今まで何回も見たような風景に関しては「今までに何回も見たような風景だな」としか思わない。

私にとってのデジャヴとは違うと思った。

私にとってのデジャヴとは、「これ前に夢で見たな」と感じる現象のことだった。

20代、いや30代前半まではよく見ていた。

学生の頃は、友人たちとの会話。
「あ、これ前に夢で見たな。この人は次にこう言って、それであの子がここでこう言って…そうそう夢で見た通り」ということがよくあった。

新入社員として働き始めて、初めて会った人たちなのになぜか前に会ったことのある人たちのような感覚があった。
働き出して数ヶ月経った時に、先輩と資料の整理をしていて突然「あ、これ大分前に夢で見たな。目覚めた時に『随分個性的な顔の人だったな~』と思ったのすごい覚えている。この先輩だったんだ。夢で見ていたから、初めて会った時も知ってる人みたいな感覚だったんだ」と思った。

30代に入り、母が引っ越しをすることになった。
引っ越し先の説明をする時に、母が手書きの地図を見せながら「ここにこういう目印があって、ここを右折したらあとは一本道だから」というようなことを言った時にはとても強いデジャヴ感があって「これ前に夢で見てるな」とやはり思った。
母の手書きの、蛍光ピンクの屋根に蛍光イエローの壁の家の地図。
目印から一本道の地図。
母の家のテーブルの雑然と置かれた物たち。
地図だけでなくそのテーブル、顔を上げた時の母と兄の位置まで。
確かに夢で見た。

それらのことを思い出して、そうか私がデジャヴだと思っていたのは予知夢のことだったのか!!!と初めて気づいた。

日本心理学会が定めているデジャヴとは、「前にどこかで見たことのあるような風景だな」という感覚のことだという。

私にとっては、「前に夢で見た場面だ。次はこうなってこうきてこうなる」と予知ができるものが【デジャヴ】だった。

全然違っていた。

そんな時に『世界のおわりに柴犬と』4巻を読んだら、【逆クオリア】【クオリア】という言葉が出てきた。


『世界のおわりに柴犬と』4巻石原雄 著 より


クオリアについて調べてみた。
クオリアとは

Wikipediaより


うーん全然分からない。

私の経験はクオリアなのかと思ったけど違うのかも?

なんにせよ、人が感じる感覚は人それぞれで、全く同じ感覚を持つ人なんてきっとこの世に二人といないし、比較できるものではないんだなと思った出来事だった。

ちなみに教授に予知夢はデジャヴなのか質問してみたところ「例えば地震とか津波とか全人類が経験することをたまたま夢で見たからといってそれが予知夢とはいえない」というような答えが返ってきて「うーん全然違うんだよなー」と思ったけど、この私が感じてる【デジャヴ】のあの夢で見た感覚を説明するのが難しくて、突っ込んで質問することはできなかった。

これはまさにクオリアなのでは…?

【クオリア】に興味が湧いた一件だった。


『世界のおわりに柴犬と』オススメ記事はこちら↓↓↓

https://note.com/ryouryou3/n/n69369e507067


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