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苦手の理由が言語化できた瞬間の話

  ※目安:約2000文字

アスペルガーでも〇〇です
的な謳い文句だったり本のタイトルだったり
一時期流行りみたいに頻繁に見かけた時期があって
たぶん10年くらい前がピークだったのかなぁ

アスペルガー症候群というのが
”職場によくいる困った人”みたいな認識をされ始めて
肌感覚では、ちょっとしたブームのように
言葉が独り歩きしてるなぁなんて感じる程度には
ちょっと流行ってる印象で

その後アスペルガー症候群という名称は
公式としてはなくなり
あまり見掛けなくはなったけれど
そういうかんじの

『〇〇(ネガティブな過去)でも〇〇(輝いてる今)』

みたいな構文がちょっと苦手で
まぁ、戦略的に使える構文なのかもですが
当事者みたいな存在からしたら
なんだかいちいちモヤモヤするし癪に障るし
そもそもそういう解決を求めているわけじゃない
って思ってたんです

元不登校児でもバリバリIT社長とか
偏差値30から〇〇大合格とか
よくわかんないけど、そういう類です

「それはその人のストーリーじゃん」
って思うんですよ
その人が自分と向き合った結果設定した目標に向かって
頑張った一つのストーリーであって
それは本当に素晴らしいことではあるんですけど

第三者が関わってそのストーリーを商品にしたくなった時に
上記の構文みたいに表現することで
前半の状態を完全否定されてる気持ちになってしまうんです

以前、ビジネス関連の勉強をかじってみた事が
実はちょっとだけあったんですけど
そこでは学ぶにつれて違和感の塊になって
自分には向いてないんだなぁって思ったので
結局突き進むのを早めにやめました
そこでも自分のサクセスストーリーみたいなのを
上記の構文みたいなのを軸に作っていくんですよね

こんなダメな状態だったけど、今はこんなに素晴らしい!
的な。
それがどうしても作れなくて
というか、できれば作りたくなくて
そもそも自分で作るとか、ちょっとクサくて嫌だし
確かにいろんな事を経てきたし辛いこともあったけど
ダメとは決して思ってなくて
全部があるから今があるのになぁと思うわけです

だって
「元不登校児が」
「アスペルガーだけど」
「偏差値30から」
「専業主婦でも」
ってネガティブな状態の見本として具体例を出すことで
今その状態の人がどう思うかって考えたら
ちょっと悲しくないですか?
言葉に焚きつけられて、その本なり商品なりを
当事者が進んで手にするかどうかは若干疑問です

学校は行けるものなら行きたいのに、本当に行けなくて苦しんでる不登校の子
生まれつきの「外から見えない障害」に
どう対応して生きていったらいいのかもわからなくて困っている人
どんなに頑張っても努力だけでは乗り越え切れない学習障害の人
などなど……
そんな当事者たちはそういった構文をどう感じるのかなって思います

一方で周囲の人は少し感じ方が違うかもしれないですね
発達障害などでありがちな
「〇〇さん(偉人や有名人)も実は発達障害だった?」
的な構文は
上記とはまたちょっと違いますけど
当事者がこどもだとしたら
周囲の大人が、最悪の場合親が
「この子は発達障害だけど隠れた才能があるかも」
なんて勘違いを起こして
要らぬ期待をかけすぎてしまうことも十分ありえます

実際に才能があったとしても
それは一方的に過度な期待で誘導するものではなく
障害というレッテルを貼ることで埋もれてしまうことを防ぐために
現状を事実として把握したうえで
当事者の成長を見守ることを優先した方がいいと思っています

その偉人や有名人は「その人自身」が自分と向き合って
自分の目標を見つけて頑張ったからこそ、結果があるだけ
そこはどんな人も同じだと思っています
あなたが日々送っている現状に近い状況を
誰かの「谷」として否定的に表現されてたらどう感じますか

現状はポジティブでもネガティブでもなくて事実なだけです

それなのに、人生のストーリーに谷を作りたくて
その部分をより具体的に
そして劇的にネガティブに表現することで
今その付近にいる当事者がもやもやする
何かを落として光を作ってる感じ

ずっと妙な構文に遭遇するたびに感じるモヤモヤは
その「モヤモヤ」だったんだなって
今日言語化できました!
なので、急いで記事を書きました
アウトプットですね

自分はIT社長になりたいわけでも
有名大学に行きたいわけでも
闇から光へと世界を一変させたいわけでもなくて
そういう目標を持つ人がいるのは全然いいんですけど
自分としてはちゃんと自分を受け止めて
目標の設定がしたいだけ

そのためのヒントを時々欲しいだけで
そこに妙なサクセスストーリーや構文
現状をどこか逃避したり否定したりする表現などは
個人的には必要ないです

その構文に魅力を感じるとしたら
がっつりど真ん中の当事者よりは
現状を受け止めきれない周囲の人とか身内とか
そういう人が割合としては多いのではないかと
個人の感想ですけど

ちなみになんですけど
自分は障害者であることを
平気でカミングアウトしがちなんですけど
いわゆる弱者という感覚が特になくて
平然と言っちゃってるみたいで、逆にびっくりされます

伝えないと不便が出てしまう状況では
「左利きなんだ」とか
「癖っ毛なんだ」とか
「腰痛持ちで」とか
そんなテンションで開示してます

実際それでいいと思っていて
一瞬驚きつつも、さらっと聞いてくれる人には
いつも感謝しています
だから、きっと自分の人生を語るうえで
「障害者だけど〇〇」みたいな表現は
たぶん一生しないんだろうな、と思ってます
その辛い現状は決して悪でも否定されるものでもないので

最後まで読んでいただきありがとうございます!