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【小説】KIZUNAWA⑩         テザー・二人の合宿

 太陽は横川たちの行動に注意しながら歩道をゆっくり歩いた。
「楠! お前サッカー部だろ。何でそんな女々しい事やってんだ?」
横川が達也と太陽を見つけて挑発して来たが太陽は無視をした。
「チッ!」
汚い音が聞こえて来た。達也が何かを言い掛けた。太陽はその仕草を敏感に感じ取ってさえぎる。
「達ちゃん行こう」
二人は横川を無視して駅に向かった。
「お前みたいな障がい者に何が出来る。笑い者になるだけだ! 分かっているのかよ」
汚い言葉が二人の背中に響いていた。太陽はその悪態を無視して明るく語り掛ける。
「達ちゃん階段を下るよ」
「階段、何段あるの?」
「この手すりに摑まってちょっと待ってて。動くなよ」
太陽はテザーを一旦放して段数を数えに走った。
「一八段、一段が約二〇センチ。ゆっくり行こう」
太陽の言葉に達也は素直に頷き二人はゆっくり階段を下った。
「良いよその調子、あと五段、ゆっくり下りよう」
達也の不安がテザーを通して太陽に伝わってくる。太陽は出来るだけ達也を落ち着かせるため達也を誉めまくっていた。
「階段下りられたね。怖くなかったか?」
「風景がイメージ出来ないからすごく怖いよ」
「風景をイメージ?」
「そうだよ、目が見えないから自分なりの風景をイメージして歩くんだ」
「そうか。それなら周りの景色も出来るだけ説明するね」
「ありがとう」
「右に行く、一〇メートル歩いてまた右に行くよ。階段を五段上がって改札がある。ここは河山駅南口から北口へ抜ける地下道だよ。蛍光灯が数本天上に付いているけれど薄暗い。左の壁には牛丼屋さんのポスターが並んで貼ってある。オレンジ色が中心の牛丼の吉村家と茶色中心のキス家の牛丼。右には映画のポスターが貼ってある」
「映画は今何を上映しているの?」
「ニューヨークの奇跡と邦画はサイレントクリスマス。ニューヨークの奇跡はサンタクロースが大きく映っていて、邦画の方はアイドル歌手がヘッドホンを付けている。聴覚障がい者がクリスマスに起こした小さな奇跡とキャッチコピーが大きく印刷されているよ」
太陽は出来るだけ細かく説明しながらゆっくり歩いた。多くの乗客が二人を避けて追い越してゆく、電車が到着した様だ。
「電車来ちゃったんだね」
達也は恐縮する言い方をした。
「次に乗れば良いよ」
太陽は明るく言う。その声に励まされた達也は頷きゆっくりと階段を上っていた。
「おい! 邪魔だ! 退け」
心ない怒号を吐いて追い越していく人もいる。
「すいません。先に行って下さい。ごめんなさい」
達也は何度も謝った。
「達ちゃんは何も悪い事をしていないのだから、謝る必要なんてないんだよ」
太陽は言いながら走り去る中年の男性を睨み付けた。
「良いんだ、迷惑を掛けているのは事実だから。僕は、もう謝るのに慣れちゃったんだ」
「そんな事、達ちゃん! それは間違いだよ」
太陽は強く否定した。しかし、そんな人ばかりではない事も分かった。改札を抜けてホームの様子を太陽が説明しながら歩いていると、達也が視覚障がい者と気付きホームのベンチを開けて座る様に勧めてくれるおばさんもいた。電車がやって来てドアが開く。
「電車が来た。ドアが開いたよ。ホームと電車の間に大きな隙間あり足を前に大きく踏み出して」
太陽はホームと電車の間にある隙間に注意しながら指示を出していた。しかし、達也の体には触れる事をしないで声だけで指示をするのは難しかった。改札を抜ける時、二人に気付いた駅員が
「手を貸しましょうか」
心配して声を掛けてくれた。太陽は今までの事情を説明して駅を練習に使う事を謝った。
「降車駅は何処ですか?」
駅員が聞いて来た。
「田野駅です」
太陽が答えると駅員は笑顔で言った。
「気を付けて、頑張って下さい」
「ありがとうございます」
駅員は達也と太陽が電車に乗ってドアが閉まるまで見守ってくれた。
電車に乗って五駅、シートに座ってやっと二人は休息が出来た。車内に『次は田野、田野』アナウンスが流れる。
「達ちゃん立つよ! 揺れるから気を付けて」
達也がシートから立ち上がると直ぐに電車が揺れた。とっさに太陽は達也を抱きかかえた。本番のレースならここで失格だ。視覚障がい者にとって電車に乗る事がこんなに難しい事だったとは太陽はこの時まで知らなかった。
 
電車が降車駅に着くと何故か駅員が待っていた。
「大丈夫ですか? 頑張って!」
達也が完全にホームに降り立つまで見守ってくれた。
「ありがとうございます。でもどうして?」
太陽がけげんに思い尋ねる。
「河山駅から連絡がありましたよ。全国大会、応援しています」
駅員の笑顔に対し二人は丁寧に頭を下げた。
 
電車を降りて階段を下り、少し歩いてまた上る、一人だったら数分ですむ行動が一〇分かかる。太陽は茉梨子に言った、簡単と言うワードの重たさを実感し、反省していた。
田野駅から達也の家までは普通に歩けば五分でたどり着く、しかし、初めての二人には一〇分以上かかった。達也の家につくと桜井がそわそわしながら家の前で待っていた。
「お帰りなさいませ。坊ちゃん心配しておりました。楠様、お疲れ様です」
桜井も突然の流れに戸惑っている様だった。
茉梨子は学校へ迎えに来た桜井に、事情を説明して、彼を奴隷の如く働かせていたのである。
「桜井さん! 急な成り行きで今日からお世話になります」
太陽が頭を下げると桜井は恐縮しながら、
「広江様から伺っております。楠様のお荷物も先ほどご自宅から受け取ってまいりました」
と言った。
「もう?」
「はい! 着替えなど広江様からの指示で、ただちに行ってまいりました。ご母堂様より落ち着いたら一度、電話を入れる様にとのご伝言でございます」
「あいつ完璧だな! 絶対午後の授業さぼっているよな?」
太陽が達也に同意を求めたが、達也からの返事はなかった。かなり疲れているのが、目に見えて分かる。桜井は太陽に手招きをしながら家に入る事を促した。
「広江様からお預かりいたしました」
一通の封筒を太陽に渡した。
 
達也の家は広かった。
「部屋はたくさんあるのですが、楠様は坊ちゃまのお部屋でと……」
桜井が最後まで言い終わる前に
「茉梨子がそう言ったのね?」
太陽が察した。
「はい、その通りでございます」
玄関でスニーカーを脱ごうとして太陽はテザーを離した。
「テザーは離さないで下さい!」
桜井には珍しく厳しい声であった。
「えっ?」
「広江様のご命令でございます」
指示が命令になっていた。完全に桜井は茉梨子のスパイと化し監視役も務めていたのだ。
 
 達也に案内されて部屋に入った。広い達也の部屋には普段使っている達也のベッドの隣にソファーベッドが用意されていた。太陽はベッドに腰を下ろすと茉梨子からの手紙を開いた。
 
太陽へ
 
 本当にありがとう。心から感謝しています。でも、全国大会まで三ヶ月間、達ちゃんと太陽が二人で一つになるにはあまりにも時間がない事は私だけでなく皆も分かっています。だから他の皆は出来るだけ二人の負担を少なくするための練習メニューに変えました。私はマネージャーとして駅伝部の仕事に徹しないと間に合いません。二人の事は二人にお願いするしかない状況です。太陽なら達ちゃんのハンデを助けて彼の力になってくれると信じています。生活の事は桜井さんにお願いをしてあります。練習メニューは明日、キャプテンから指示があります。
 何時もお願いするだけでゴメンね。どうしても襷を繋ぎたい、皆との約束を守りたいの。力を貸して、信じています。
 
茉梨子
 
 
太陽は自宅に電話を入れた。
「あ、俺だけど」
「あらオレオレ詐欺さんかしら」
母親はお道化て言った。
「急にこんな形になってしまって心配かけてごめん」
「茉梨子ちゃんから全部聞いてる。頑張りな」
「ああ、遣れるだけやって見るよ。親父にもよろしく」
「変わろうか?」
「良いよ。何か困ったら相談する」
「そうか頑張るんだよ」
「じゃあな」
電話を切って太陽は何となくセンチメンタルになっていた。
 
 目覚まし時計がけたたましく暴れ回ったのは、翌朝の五時、目を覚ました達也が手探りでブザー音を止めたが、別の時計が暴れ出した。音が鳴り響いていて煩くてたまらない。
「楠君、いくつ目覚まし時計セットしたの?」
達也が叫んでも太陽は目を覚まさなかった。達也が三つ目の目覚まし音を止めて、太陽の体を揺すり起してやっと目を覚ました太陽であった。桜井が用意した朝食をテザーで繋がったまま済ませた。やはり不自由で、何時もより時間がかる。身支度を整えて外に出た、辺りはまだ真っ暗だ。
「まだ暗いね?」
太陽は言ったが愚問だった。
 太陽は周りの看板や塀の形を声にして達也に伝えながら、段差や障害物への距離を丁寧に説明しながら歩いた。今日も達也は後ろを気にしている。
「達ちゃん昨日から何が気になるの?」
「何だか分からないけれど視線を感じるの」
達也は首を傾げながら言った。
「まさか横川たちが嫌がらせを?」
「そんな事ないでしょう。僕の気のせいだよ」
田野駅から電車に乗り河山駅で下車、階段を上り始まる頃に駅前のロータリーからバイクのけたたましい排気音が聞こえていた。
『あいつら一晩中ここに溜まっていたのか?』太陽はそう思っていた。
                               つづく
 

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