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【小説】KIZUNAWA⑯        ロード練習開始

 横川と原子は河山駅前にいた。駅前交番では八木巡査が腕を組んで彼らを見据えていた。
「原子!」
横川はバイクのエンジンを切ってヘルメットを取ると言った。
「どうした?」
原子もヘルメットを脱ぐ。
「今年のクリスマス、京都に行かないか?」
「ツーリングか、京都は遠いぞ」
「ああ、だから」
「メットを改良しろってか?」
原子はヘルメットを軽く叩いていた。
「出来るか?」
「無線を繋いでスマホに連動させれば、走行中の会話は簡単だしナビも共有出来る」
「難しいかな?」
「簡単だよ。いつ出発する?」
「二一日の早朝」
「京都であいつ等に借りを返す気か?」
「……」
横川はポケットにしまい込んでいた一枚の名刺を出した。
 
京都府警交通機動隊本間勇
 
名刺をしばし見つめていた横川は、再度それをポケットにしまい込むと呟いた。「俺の正義か……」
「実は俺も横川に話があるんだ」
原子がもじもじしながら言った。
「何だい?」
「笑うなよ! 俺な! 卒業したらオートバイのプロになろうと思っている。養成学校があるんだ」
「そっか、プロか。原子らしくて格好良いと思うよ」
「お前は目標が決まって良かったな。頑張れ! 応援するよ」
「メットの改造任せとけな」
そんな二人の反対側の歩道を達也と太陽が軽快に歩いて行った。
 
「あいつら随分速くなったな」
 
横川がぽつりと呟くと二人は爆音と共に去っていった。
 
「先生! 行ってしまいましたよ」
交番の前で腕を組んで立っていた八木が言った。
「何時もすみませんね」
福島は交番の中で横川たちの様子をうかがっていたのである。
「教師と言う仕事も大変ですな」
八木は茶を勧めながら優しく言った。
「警察官に比べたら大した仕事ではありませんよ」
「そんな事はありません。生徒はあの子たち二人だけではないでしょう」
「あの子たちが迷宮に迷い込んでしまったのは私の力が足らなかったからなのです」
「先生のミスなのですか?」
「正確に言えば教育のエゴですよ。学校の体面や教師たちの責任転嫁で捻じ曲げられてしまった少年たちの未来を修正して上げるのが私たちの仕事です。ですから一日でも早く、あの子たちに目標を見つけ出してもらいたいのです」
「北高の先生たちは皆ユニークな方ばかりですからね。ハハハハ」
八木は渡野辺を思い浮かべていた。警察官の目前で生徒をボコボコにする教師はそういない。しかし、警察官にも歯向かっていた生徒が黙って正座したのも事実だった。
「今度こそ私があの子たちを助けますよ」
福島は呟いた。
横川が上田北高へ入学した時に助けられなかったのは自分の未熟さゆえの事と福島は思っている。広江茉梨子に事情聴取をし、一中に乗り込み、いじめの事実公開を説得したが無下にされた。
甲子園を目指す横川と原子を甲子園出場経験がある上田西高に転校させてやる事も出来なかった。その全てが自分の責任だと彼は思っていたのである。
時間を作っては駅前に様子を見に来る日々、彼らが本物の悪ではない事は分かっている。自らの力でその目標を見つけ出せさえすれば必ず化けると彼は信じていた。
「ごちそうさまでした」
福島は礼を言って商店会の店に頭を下げに回って行った。
 
 達也と太陽のロード練習が始まった。校門までは歩いて出てそこから西へ真直ぐ走る。茉梨子がストップウォッチを押すとデジタルの数字が時を刻み始まる。
「信号無視は駄目よ!」
キコキコと錆びて音がする自転車が二人のランナーに付いて来た。
茉梨子は信号で停止するたびに時間を止める。その繰り返しで約四キロ走るとあの応援香が漂って来る。
「この香りがすると左に曲がるんだよね」
達也は軽快に走りながら言った。村田がトラックで、八キロを走り切る事が出来るまでロード練習を許可しなかった理由がここにあった。八キロを走り切った自信と体力が達也の軽快な走りに現れていたのである。
「そうだよ! でも何度も言うけれど、京都に戸沢家はないからね」
茉梨子が叫ぶ。
 
キコキコキコキコキコ
 
「達ちゃん段差あるから注意」
太陽の方がロード状況を説明するために忙しかった。戸沢家の建つ交差点を左に曲がり真直ぐ走る。ほぼ平坦な道が約五〇〇メートル続き徐々に上り坂になって来る。達也たちが通学で利用している鉄道を渡る陸橋のためだ。
「坂を登っているよね?」
達也には初めての経験であった。
「若干前傾姿勢にしてゆっくり走ろう」
太陽の言葉に達也は頷いて少し前傾姿勢で走る様に心掛けた。
「良い感じだよ」
茉梨子は褒め上手だ。
 
キコキコキコキコキコ
 
「達ちゃん! もっとゆっくり走ろう」
焦り気味の達也に対し太陽が叱咤する。
「でも本番ではこの辺りで後続に追い越されるよね?」
やはり達也は焦っていたのだ。
「追い越されても良いんだよ」
上り坂に、茉梨子は四苦八苦しながら励ました。
 
キコ・キコ・キコ・ハーハーハー
 
「皆が僕のために頑張っているのに出来れば追い越されたくないよ」
達也は歯を食いしばっていた。
「追い越されるのは悔しいかもしれないけれど、恥ずかしい事ではないんだよ、これは駅伝なんだ。達ちゃんの悔しさは雅人が受け継いで抜き返してくれるよ」
太陽はあの日、雅人の言った言葉を思い出していた。
「柞山君は速いものね」
「そうだよ、だから俺たちは確実に襷を雅人に託す事を一番に考えよう」
「君たち! 速すぎ」
茉梨子は疲れて自転車を降りて歩いていた。
「速すぎだってさ」
「聞こえたよ。広江さんは褒めるのが上手いよね」
「時々魔女が降臨するくせにな!」
太陽が呟いた時に二人は陸橋の頂上に到達した。丁度その時に六両編成の電車が下を通過していた。車輪がレールを擦る音が達也には心地良く感じられた。
「ここからは下りだ! 若干後継姿勢でゆっくりね」
「うん、さっきとは逆だね」
「その調子! 下り切ったら雅人が待っている中継地点だよ。イメージ出来る?」
「僕は大丈夫だけれど、広江さん大丈夫かな」
 
キキキキキキキキキー!
 
「達ちゃん良いよ! その調子」
猛烈なスピードで茉梨子の乗った自転車が二人を追い越して行った。そして……
 
キキキーキー
 
植え込みに突っ込んだ。
 
「茉梨子! だだ大丈夫か?」
「はいな!」
微かな声が植え込みから聞こえた。
「引田さんのところに、行こう」
「はいな」
後日、駅伝部の自転車には引田サイクルで新品のブレーキゴムが付いた。引田は笑いながら油も差してくれた。
                              つづく

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