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【小説】天国へのmail address第三章・勇気の意味

朝デート
「優君おはよう!」ラジオ体操が終わるのを待って橘は優輔に声を掛けた。
「おはよう! 龍馬さん」
「昨日、優君が言っていた学校の事、新聞に載っていたね。優君は何年生なの?」
「僕、僕も四年生」
「そうか、亡くなったのはお友達?」
「龍馬さんごめん、その事は言っては駄目とパパとママに言われてる。」
「そうか、そうだね、龍馬さんが悪かったね。もう聞かないよ。でもね、優君がもしも学校で辛い状況になってパパやママにも相談出来ない時は龍馬さんに言ってね。龍馬さんは優君の友達だからね」
「うん、ありがとう」
モンゲーをやったり、話をしたり。優輔と橘の早朝デートは続いていた。散歩から戻るたびに顔色がよくなる橘に紀子は安堵感を持っていた。そんなある朝、橘は公園のベンチに座って子ども達が集まって来るのを待っていた。
静まり返った公園。今日は誰も来ないのである。橘はひとりスマホを見てモンゲーのアプリをタップして溜め息を吐いた。
「龍馬さんひとりぼっちだね」突然話しかけられ、びっくりして立ち上がった橘の目に飛び込ん出来たのは笑顔でベンチに座っている優輔の姿だった。
「うわぁーー! びっくりした。優君いつからそこに座っていたの?」
「ずっと横に座っていたよ」
「今日は誰も来ないから龍馬さん寂しかったよ」
「だって今日から新学期だもの、誰も来ないよ。僕もこれから学校。ママも一緒に行くって」
「そうか、今日から九月か。龍馬さんは毎日が日曜日だから気が付かなかったよ」橘は照笑いだ。
「毎日が日曜日だなんて良いなー」優輔も笑っていた。
「さあ、もう行かないと新学期早々遅刻するよ」橘は寂しい気持ちを押し殺して言った。
「じゃあ、行ってきます」
「行ってらっしゃい」そう言いながら、今日も寂しそうにこちらを見ている優君のママに橘は黙礼した。彼女はまたキョトンとしながら黙礼を返してくれた。通学路をママの後ろを歩く優輔に手を振って橘も帰路についた。
 
 いつもの様に朝刊を取って玄関に入る前、縁台でセブンスターに火をつける。橘家の室内は禁煙なのだ。主治医からは煙草を止めるように言われているのだが、これだけはどうしても止められない。橘の意志の弱さを象徴している。新聞を開くと一面に大きな見出しで掲載されていたのは『小四男児死亡は自殺! 野関市第三者調査委員会を設置へ』の文字だった。
 『野関市の児童死亡事件は自殺であった事が、捜査関係者らへの取材で明らかになった。市教育委員会は『いじめ』の有無を調べるため、近く医師や弁護士で構成する第三者委員会を設置する。男児は七月上旬、『いじめ』に関する学校アンケートに回答していたが、市教委は『遺族の強い意向』を理由に内容を明らかにしていない』読み終わると橘は煙草の火を灰皿にこすりつけ、今日二度目の溜め息を吐いた。気が付けば、庭に遊ぶ赤とんぼが秋の始まりを告げていた。
 
「お茶にしますか?」リビングに戻った橘に紀子が聞く。
「今日は溜め息ばかりだから、苦いコーヒーにしてもらおうかな」橘は朝刊をテーブルに投げるように置くと言った。
「優君とのゲームは楽しかったですか?」
「今日は出来なかった」
「まあ、どうして?」
「今日から学校が始まるから小学生の朝も忙しいんだ」
「そうか、新学期ですか。あなたも寂しくなりますね」
「今からLINEを勉強しようと思ってね」橘は、コーヒーをすすりながらスマホを開く、やってみると意外に簡単だ。
「これはすごいぞ、文字や写真、動画も送れる。電話も出来るんだ」
「そうなの?電話番号も知らないのに?」
「ねー?」
「私達は生きてゆけない時代なのかもしれませんね」
「君もスマホに変えたらどうだね?」
「私はまだ良いですよ」笑いながら言う紀子の横で橘は優輔に『学校は楽しいですか?』と送信した。すると即座に画面の文字の横に『既読』と表示され『楽しいよ』と印字されてきた。
「これはすごいな。もう返事が来た」橘は嬉しそうに紀子に画面を見せる。
「あなた、相手は勉強中ですよ」
「そうだった。次はお昼休みに送る事にしよう」
「楽しそうですね。あなたのそんな顔、久しぶりに見ましたよ」紀子も嬉しそうに笑った。
 
 新学期が始まると朝はゆっくり話をする時間がない、スマホゲームなどもっての外だ。優輔と橘の朝デートは挨拶だけになった。ただ、橘がLINEに慣れるにつれ優輔との会話もネットが多くなっていが、モンゲーは続けられて、二人は数日に一回は夕方に会ってゲームを楽しんだ。それでも、橘は朝になると楽しそうに『朝日ヶ丘公園』に出かけて行った。
「優君おはよう!」ランドセルを背負った優輔に挨拶をして、優輔が遠くの信号を曲がるまで手を振って見送る事が橘の日課になっていった。初雪が降った。どんなに寒い日でも橘は朝になると楽しそうに出かけては優輔を見送り、夕方に会える日は一緒にモンスターを捕まえる日々が続いていた。
 
勇気の意味
 ある日の事だ、橘は優輔の変化に気が付いた。橘が挨拶をして手を振ってもうつむく事が多くなりLINEも既読になるも、返信は殆ど来なくなった。『学校で何かあったのだろうか?』橘は家に戻ると新聞に目を通してみた。しかし、宮山小学校の記事は載っていない。記事が載ったのは翌日の朝刊であった。
『野関市で昨年八月、市立小四年生の男子児童が自殺した問題で第三者委員会は、男児がいたずらに近い軽い『いじめ』を認定した一方、『いじめ』が自殺の主要因とは判断出来なかった。とする調査報告書を市教育委員会に答申。市は、遺族が再調査を求めている事を重視。また、報告書に、『いじめ』が自殺の主要因と判断出来なかった理由が示されていないという指摘が弁護士からあった事などから、再調査を行う方針を決めた』橘は腹立たしさのあまり持っていた新聞を地面にたたき付けた。
「どうしました、あなた」あまりの剣幕にびっくりした紀子が外に飛び出してきた。
「すまん、驚かせてしまったね」
「何があったのですか?」
「最近、優君の元気がないと感じていたら、八月の自殺問題は『いじめ』ではないと発表されたらしい。今頃だぞ! もう冬だぞ! もし正しい判断では無かったら、今も学校で生活している子ども達はどうなるんだ!」
「そんなに興奮しないで。お医者様に言われているでしょう。あなたは普通の体ではないのですからね。寒いから早く中に入りましょう」
「友達の元気がないんだ。LINEも通じない」橘は真剣に優輔の心配をしていたのだ。
 
日曜日の朝、橘は優輔に会えないと分かっていたが、いつものように『朝日ヶ丘公園』に足が向いていた。静かな公園に優輔の姿はなく橘はいつものベンチに座ってひとりで『モンスターゲット』をやっていた。スマホに集中する橘の耳に突然優輔の声が飛び込ん出来た。
「龍馬さん。おはよう」その声は何処か沈んでいた。
「あ! 優君おはよう! 久しぶりだね」橘は出来るだけ明るく話しかけた。
「……」優輔は下を向いて橘の横に座り、ベンチから地面に届かない足をぶらぶらと揺すりながら黙っていた。
「学校で何かあったの?」
「……」
「何かあったんだね?」優輔はこくりと頷いて小さな声で言った。
「龍馬さんは学校の事件、もう知っているでしょ」
「新聞に書いてある事くらいしか知らないけれど大体はね」
「発見した男子児童って、僕のお兄ちゃんなの」
「優君のお兄さんだったの」
「僕、そんなに大事になるなんて思っていなくて」
「優君のせいじゃないよ」橘は優輔の体を抱き寄せた。その体は冷たく冷え切っていた。
「僕のせいなの! 僕がお兄ちゃんの事まで考えてあげられなかったから」優輔の瞳からは涙がこぼれていた。
「優君のせいじゃないよ」橘はもう一度冷たい優輔の体を抱き寄せた。
「あの日からお兄ちゃんは部屋に閉じこもって出てこない」
「優君のせいじゃない」
「それだけじゃないの」優輔はうつむきながら言った。
「お兄さんの事だけじゃないの?」
「多分『いじめ』られている」
「いじめ? 優君が『いじめ』にあっているの?」優輔は首を横に振ってまた小さな声で言った。
「友達!」
「多分と言う事ははっきりしないの?」
「皆は見ないふりをしているけれど僕には分かる」
「先生には言ったの?」優輔は首を振った。
「パパとママには相談したの?」また首を振った。
「龍馬さんに初めて言った」
「まずは先生に相談した方が良いと思うな」橘は優輔からの突然の相談に少し戸惑いながら言った。
「先生は今忙しいから。それに、先生に言ったら、今度は言った子が『チクった』といって『いじめ』られるよ」優輔は泣きながら訴えるようにそう言った。
「そうだね。でも今何もしないで見て見ぬふりをしていて良いのかな? その友達はそれで大丈夫なのかな? 何もしないでいたら優君も『いじめ』をする側と同じになってしまうのではないかな?」
「……」
「優君やクラスの仲間が勇気を出せればその友達もきっと勇気を出して自分が『いじめ』られている事を、自分の言葉で言えると龍馬さんは思う」
「勇気って?」
「勇気? 勇気というのはね! 怖い、苦しい、恥ずかしいとか思って逃げ出さないで一歩前に踏み出す心の事を言うの」
「怖いとか悲しい時に逃げないで前に出る?」
「そう! 一歩踏み出しても、失敗したり、負けてしまったり、する事もあるけれど、あの時、勇気を出していれば良かったと後悔するよりましだと思うな」
「僕が勇気を出せば俊(しゅん)君も勇気出せるかな?」
「俊君と言うんだね、そのお友達。本当は俊君が自分で先生や俊君のパパとママに助けてって言う勇気があれば良いんだけどね」
「もしそれでも俊君への『いじめ』が止まらなかったら……」優輔の言葉を橘はさえぎって言った。
「その時は、龍馬さんや優君のパパやママ、周りの大人の人達が優君や俊君を助ける。絶対に助けるから!」
「龍馬さん! 僕やってみようかな?」そう言う優輔は少しだけいつもの笑顔に戻ったように見えた。
「俊君が本当に『いじめ』られているかを確かめてから、優君が正しいと思う事をやれば良い」優輔は静かに頷くと自宅の方角へと歩き出した。橘は優輔がゆっくりと歩く後姿を見ながら、この話を優輔のお母さんに伝えるべきか悩んでいた。しかし、それを言うのはもう少し優輔の行動を見てからにする事にした。
 
 
勇気を出す勇気
 優輔の通う宮山小学校はポプラ並木がシンボルの学校である。一昔前までは敷地内に信号機や踏切まで設置されており交通ルールを自然と学べるという教育方針で地域でも有名であった。しかし、今はその信号機も光を失い強者どもも夢の後となっている。少しだけ元気を取り戻した優輔は前を向いて登校していた。いつもの公園の前では橘が手を振っている。優輔も大きく手を振り元気な声で言った。
「龍馬さんおはよう!」
「優君おはよう! 元気で行ってらっしゃい!」橘はいつものように元気になった優輔に胸をなで下ろしながら笑顔でお繰り出した。優輔の前には今日も優輔のお母さんが歩いている。優輔の周りには次々と友達が合流しワイワイガヤガヤ楽しそうな登校である。橘はその姿を見て安心していた。しかし、毎日のように学校へ通う優輔のお母さんの気持ちを考えると、もろ手を上げて喜ぶ気持ちにはならなかった。なぜなら、その時の橘は、優輔のお母さんは、彼のお兄さんの為に毎日学校へ相談に行っているものだと思っていたからである。
 
「今日も苦いコーヒーにしますか?」紀子はいつもの笑顔で言った。
「いや、お茶をお願いします」
「少し良い事になってきて良かったですね」お茶と聞いて紀子は更に笑顔になった。
「ああ、優君が元気に学校に行った。いつもの笑顔だったよ」
「そうですか。良かったですね」紀子がそう言いながらお茶を入れ振り返った時だった。そこに座っていたはずの橘の姿が見当たらない。
「あなた! お茶が入りましたよ」紀子は少し大きな声で呼んだが応答がなかった。(またタバコを吸いに行ったのかしら)そう思いながら、テーブルにお茶を置いてリビングのドアを開けると化粧室の前の廊下でうずくまるようにお腹を押さえて倒れている橘の姿が目に飛び込んで来た。
「あなた! どうしました?」紀子は叫びながら橘に駆け寄った。
「胃が痛い! 斎藤先生に電話……」橘はか細く震える声だ。紀子は慌てて携帯を取り出し主治医のスマホに電話を掛ける。プププという呼び出しコールがやたら長い時間に感じた。
「はい斎藤です。橘さんどうしました?」紀子にはその声が神様の声に聞こえた。
「先生、主人が今胃の辺りを押さえて倒れてしまって、朝は元気だったのですが急に」
「お腹のどのあたりが苦しいと言ってますか?」
「胃の辺りです」
「胃の辺りを押さえているのですね」
「はい! そうです」
「心臓かもしれない!」
「一番近い総合病院は何処ですか?」橘の主治医は隣町で開業医をしていた。
「尾張総合病院がすぐ近くにあります」
「尾張なら知り合いの医者がいます。橘さんのデータを私からメールしておきますから至急行ってください。いや、救急車を呼びなさい! 大至急! 救急隊員には私が指示しますから、いったん切って下さい。橘さんの場合は……いや! 早く救急車を!」
 
 
四時間目は国語の授業だった。遠くで救急車のサイレンが響いていた。担任の横張直美(よこばりなおみ)先生は丁寧な強弁で有名だ、教室の机に一輪挿しがひとつ寂しそうに置かれていた事以外はごく普通の教室だった。
 
「それでは次のページは誰に読んでもらおうかな?小菅君! お願いします」そう言って横張が音読を指示したのは優輔の親友小菅俊(こすげしゅん)だった。小菅は指示されて『ビクリ』とした。それでも起立する事なく下を向いて黙っていた。
「おーい小菅! 早く読めよ」後ろからにやにやと笑いながらあおったのは滝本章二(たきもとしょうじ)だった。章二は勉強が出来てクラスでもボス核の存在だった。
「そうだよ! 何ちんたらやってんのよ!」そう言ったのは中村郁子(なかむらいくこ)だった。郁子はいつも章二の腰巾着と言われるくらいの存在だった。俊は大きな体をモジモジしながらひたすら黙っていた。
「先生に言った方が良いよ。教科書、破かれているじゃないか」隣で優輔がささやいたが俊には聞こえなかったようだった。
「僕! 代わりに読みます」そう言って優輔が手を挙げた。
「私が読みます」同時に副級長の田口貴子(たぐちたかこ)が手を挙げた。
「仕方ないね、では田口さんお願い!」と横張は優輔ではなく貴子を指名した。その時、教室の後ろの方から『チッ!』と舌打ちがされた事を優輔は聞き逃さなかった。
「あいつら、友達を何だと思ってる。俊君! 勇気を出して先生に言おう。僕も一緒に行ってあげるから」優輔は俊に小声で声を掛けたが俊はただうつむくだけで優輔の声は届かない。
                              つづく

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