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【小説】KIZUNAWA⑧            大人たちの戦いが始まる

 宮島はその足で校長室に向かっていた。ドアを四回ノックする。
「宮島です。お時間を頂けますか?」
「はい、お入りください」
上田北高等学校校長青山康助(あおやまこうすけ)の声だった。
「失礼いたします」
宮島が校長室に入ると校長は自席から立ち上がり、来客用のソファーに宮島を招き入れた。
「駅伝部の件ですね。最後のランナーは決まりましたか? それとも?」
「決まりました。今から高体連にエントリーをしようと思います」
「誰ですか? 七番目のランナーは?」
「達也、西之園達也です」
「そうですか。西之園君が名乗りを上げましたか」
校長は半分誇らし気で、あとの半分は不安な気持ちで言った。
「はい。これから学校としては大変な事態になって行くと思います。しかし、私としては」
校長は右手で宮島の言葉をさえぎった。
「では西之園のエントリーをお許し頂けますか?」
「駄目と言う理由がありません」
宮島は静かに頷いた。
「西之園君とは想定外でしたね。伴走は誰が?」
「楠がサッカー部のサポートとして走ります」
「西之園君、楠君、そして広江さんですか。素晴らしい。実に素晴らしいと思いますね」
「吉本ノートの続きが綴られる時が来ました」
「あのノートの登場人物の中で本校に進学した三人が、今回の鍵を握る事になった訳ですね」
校長の顔から不安は消え去っていた。
「校長! 大会要項には障がい者登録の有無は記載されておりませんが、おそらく高体連からは何か言って来ると思われます」
「大人の戦いも始まるという事ですね」
「はい、近いうちに必ず」
「さて、どう戦うかですね。絶対に負ける事は許されませんよ。子どもたちが成長しようとする時に、大人たちがそれを妨げる訳にはいきません。吉本先生に会わす顔がなくなります。覚悟して戦いましょう」
校長は力強く言った。宮島には、なんだか校長が楽しそうに見えていた。
「吉本ノートの続きがどの様に展開するのか楽しみです」
宮島も楽しくなって来る自分に気が付いた。
 吉本ノートは達也、太陽、茉梨子が通っていた小学校の担任だった吉本教諭が事故で失明したにもかかわらず、盲学校には転校せずに普通校への通学を希望した達也の健常者との生活を記録したノートである。障がい者の達也が健常者の中での生活や、幼馴染の太陽と茉梨子との友情がクラスメイトに拡がっていった様子が克明に綴られている。上田北高中等部へ進学の切っ掛けとなった。
 
 五時間目の授業中、茉梨子は先生に隠れてスマホを操作してはノートにメモを取っていた。社会科の福島先生が近づいて来ているのに気が付かないほど集中している彼女の頭を、先生は軽く撫でると一枚のメモを茉梨子の机に置いて行った。「今日だけは見ていません」そう書かれたメモを茉梨子はありがたく受け取った。人生において理屈よりも大切な時間と向き合う事が誰にもある。真面目で一生懸命な女子高校生がルール違反を犯してでも今やらなければならない事がここにあるのだと福島は思った。上田北高等学校の教育方針には『教える事より、時には育てる事を優先するべし』という一文がある。福島は、今はこの生徒にとって、日本の歴史を覚える事よりも、歴史を作るために動き出す時間の方が大切だと判断したのだった。
                              つづく

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