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「(自己承認欲求?)母親の娘自慢」 (井原西鶴・万文反古の翻案)

※伊原西鶴の「万文反古」は、主人公が、貧乏人が大事に集めたクズの山から手紙を見つけてそれを読み、世情を思うという日本の17世紀の書簡体小説です。岩波の新体系から翻案しています。


 こんな手紙

「お手紙ありがたく拝見いたしました。また、炒り煮の海老1カゴ、鯛の浜焼き2尾までもお心にかけてもらい、いつも贈り物いただくことには感謝の気持ちの浅いことはございません。6月の祇園会の頃にこちらに御出でになるだろうとお待ちしていましたところに、おはつの縁談が決まったということで、おめでとうございます。しかも相手が裕福ということで、得難いことです。
 しかしながら、問屋商売は収入が安定しないものです。縁談は決まりましたがよくよく聞いておいてください。
 高価な白壁の家や蔵、絹の普段着、生業をもっぱらにして振る舞うことを好み、庭造りに凝って、鞠・楊弓・連句俳諧・芸能で名取なんてものになる人は、聞こえは良くても家計はあやしいものです。そういう人は京都にもたくさんいます。
 大方、婿というのは物足りないくらいが家計にはいいんです。どうしてかというと、年中行事の付届けで相手(嫁の実家)よりも立派なものにしたがるからです。普通なら、鏡餅に平樽の酒、ブリ丸々1本の祝儀をまとめて一つにしていつも通りの使用人を遣わせれば、こちらはその使用人に半紙に銭30くらい包んで「遠いところご苦労様、お茶でもどうぞ」で済むところを、上等の駕籠担ぎを雇い、その駕籠に絹の着物を着た侍女を乗せ、祝儀の目録を高蒔絵の長文箱に入れ、唐の色鮮やかな房を飾って綿帽子など被った中居に挨拶させ、仰々しくやれば、ちょっとしたお金で済むわけがなく、侍女に銀一両と高級紙(鼻紙)小杉壱束を、中居には銀3モンメとうね足袋1足、男どもには銀2モンメずつ出して、格好をつけて「吸物、お酒、あと肴でもどうぞ」などと、節季前の証文書きで忙しいところに商売の邪魔というもので、外聞のためばかりに要り用になるこのようなやり合いは、1000貫目よりも上の収入の人のすることで、1拍子間違えば破産します。わずか50貫目、70貫目の小商人の我を知らない奢り以外にありません。かならず母親は後先を考えずに人目ばかり気にして、財産の失墜を構わずに裕福な家の婿に自慢して買い物に執心し、年中行事の贈り物をします。まだ先のことですが、大きな出費になることは間違いないです。
 他人からは言われないから言いますが、これまでのおはつの育て方は、私は全く気に入りません。何の町人の要らざる琴、舞、踊りを習わせ、歌舞伎のような着物を着せ、意味のないことです。うちの娘は、さすがに下女の仕事はさせませんが、相応な手仕事と、真綿から糸をつませ、糸くずを寄らせ、見かけにもよく家計の足しになります。最近はこちら京都の(羽振りのいい者が住む)新在家の衆でさえ、庭の片隅に小さな機織りを立て、両替町の職人に貸すというくらいで、昔ではやらないことですが、算用付くに皆々住まいを変え、花見や月見も豪華な大きな駕籠は使わず、必要に合わせ辻駕籠を使い、すっきりとした準備での外出も時代にあっていて見ていい心地いいものです。
 聞きましたところでは、おはつは、駕籠担ぎ4人ともに紋付単を着せた、外側は普通でも内側は金子塗りに草花を描いてある駕籠に乗り、売られ始めたばかりの流行りの着物をひけらかし、天王寺の桜、住吉の汐干、高津の涼み、舎利寺参り、毎日の芝居見物と、まったくもって不要です。こちら京都でも、着物店にひとり娘を自慢の種にして、人々の見返るのを喜んで名家の財産をつぶしています。これは母親ごころのせいです。
 今回送られてきた買い物の注文表を見ますと、私たちは考えが同じではないですね。まずもって豪華すぎます。貝合わせの入れ物に舶来品の緞子のカバーは無用です。(婚礼品の)奉公雛も希望の品は270目になります。その他にも生活道具にアンティークは無用です。嫁入りには新しい紋付のものが良いのです。それにまた、鹿の子の品々は、12はいりません。とても着きれませんし、単にたくさん欲しいというだけでしょう。これも、本国寺手木の下の「つや鹿の子」は、12種類それぞれの価格に640〜650目の違いがあります。そこで私が手配して、さるお方のご息女が亡くなったので、そのあがり物を手に入れまたので、それを送ります。おかげで頑丈なものになりました。人には知られないことですし、お寺ではこちら次第で安く買えます。
 その他には、そちらの奥さんのまだ新しい羽織や、黒紅染めに御所車の金糸の刺繍の小袖、花の菱形模様の袷、地色が見えないくらい刺繍してある高級綸子の小袖、これらを全て脇を切り仕立て直して数に加えなさい。袖下が短いことなど誰も気にしません。私がこうして仕末の心得を言いますのは、決して奥さんのことは不足ではないのですが、私の姪のことですので、悪いようにはしたくないのです。今度の婚礼の買い物のお金を貸しますに付けて、それが迷惑だから言うのでは、神ぞ神ぞございません。布団一組は用意します。
 私が心中落ち着かないのは、先方から持参金がまったく要求されず、すべてがうまくいっているというのが合点がいかないのです。もっとも、お金好きは良くないですが、今の世の風義ではありません。それにまた、美人なら男の方ですべて整えて求婚することもありますが、それは特別なことです。私の姪はそんなに美人ではないし、しかも片足が不自由で、よほど(縁談には)目立つこと、持参金なしで「父親が頼りになる人なので親類になれてよかった」というのは、いよいよ私と考えが違います。あなたはお金こそないが、三箇所の家屋敷、今は70貫目の価値です。先方は何か大きな投資や借金をしてあなたをその保証人にしようとしている気がします。常にそのことを心に置いてください。もはや結納してしまったら嫌だとは言えません。分相応にやってください。私は金持ち付き合いは嫌いですから、はなから遠慮いたします。
 とにかく近々そちらに行きますので、その時に。
 六月二十一日     兵庫屋 平九郎

兵庫屋平右衛門様 尊報 」

 この手紙の内情は、京都(の兄)へ縁組の買い物をお願いするもので、当の娘のために、親類の伯父に頼み込んでいるものと見える。この者の言う通り、一生に一度のこと、念を入れて結納を決めるべきだろうな。今ほど世間に見せかけが流行ることはない。表向きと財産の計算を引き比べてみれば、おおかた、3×5が18だ。


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