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母の記

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母親の記憶はわたしには特別のものです。遺してくれたものの大きさが、年齢とともに膨らんでいきます。
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〈母の記〉母の最期①

 ふたりの医師が駆け込んできた。看護師もふたりだったろうか。その看護師のひとりが、「急いでご家族に知らせてください」と叫んだ。  (急いでといわれても)  わたしは、緊急の事態にドキドキしながらも呟いた。(ここから三時間もかかる所に住んでいるんですが)  そしてこうも呟いた。(姉は昨日、一度家にもどりました。お医者さんが、「しばらくは安定していると思います」、そうおっしゃったからです。まだ子どもが小さいんです。三日間、こちらに来て看病していたんです。お医者さんに容態を確かめて

〈母の記〉母の最期②

臨終の夜に響いた讃美歌  一九九〇年、六月二十四日となって数時間の時、国立M病院の深夜の廊下を、僕はひとりで歩いていた。姉に母の死を知らせる電話をかけようとしていた。玄関口の待合室に置かれた公衆電話を使おうとしていた。携帯電話などない時代である。  昏く長い廊下だった。  まだ三十分も経っていない、母の臨終からの時。  痛いほどの悲しみはまだ来ず、むしろ、頭はしんと冴(さ)えている。今しなくてはいけないことを、いましているだけ、というぎこちなさをどこかで感じながら。   *

〈母の記〉母の最期③

1  通夜が果てました おかあさん 世界のこの静けさのなかに あなたの棺を置いていきます 長くはなかったかもしれない 幸福ともいえなかったかもしれない あなたの一生 家族との時間 今 天に向けてからだを伸ばしているおかあさん くるしみから 哀しみから 不安から 心配から もう解き放たれたひととなって 深く どこまでも深くねむるために おかあさん この夜のしんとした広さのなかに置いていきます いつまでもなつかしい顔のまま あなたのさいごの居場所 この小さなちいさなあ

〈母の記〉すとれすのうた―母の西瓜

1 すぐに引き取ってください―その医師は院内電話で冷やかに告げたのだった とほうに暮れた霊安室のわたし 解剖の終わった母を前に れいきゅうしゃをどうやって呼び、どうやって運んだのだったか すべてが終わったのに いま始まったばかりのような死者との長い時間 2 すぐに帰ってくるから そう連絡があった心臓の検査入院 とおい病院なので、多忙なので、家族がいるので 気に留めずにいた息子 れんらくは深夜 枕もとでとつぜん鳴り響いたのだった すっかりやつれはてて重篤(じゅう

〈母の記〉バックミラー

─ようやく子どもが片づきまして  安堵(あんど)か満足か そのひとの目は優しい ─でも いくつになっても心配で  そのひとの顔は心なしかやつれている ため息もまじる よく響く笑い声をまんなかにして 泣いたり おこったり オロオロしたり 子育ては 人生の一大事  と 体全部が教えてくれた ―じゃあ、ね 乗りこんだ軽トラックのバックミラーに 自立する息子を見送る母がちいさく映っている ●読んでくださり、感謝します!        

〈祈りのエッセイ〉母に贈った姉のアルバム

   四十数年前、母が再婚したとき、姉は母に棄てられたと思ったようだった。姉も私も成人していたが、再婚は嫌だったのだろう。幼いころ、二人は母の取り合いで始終けんかをしていた。  その母が病で亡くなった。  亡くなる前、姉は母の看病に通い続けた。口で言うこととしている事との違いを、姉はついに説明しなかった。  母が亡くなったのに続いて、義父も他界した。ともに離婚を経ての再婚だった。地方に移り住み、夫婦で寄り添いながら、新たな家庭を築いてきたのだ。つましい暮らしだが、私には幸福

〈祈りのエッセイ〉義母の臨終②      

  医師・H先生へのお礼の手紙 H先生、初めてお手紙をさしあげます。  ずっと以前ですが、私どもの義母が胃癌の手術と治療で、大変お世話になりました。当時、口ではお礼を申し上げましたが、こちらの気持ちを十分にお伝えできたとは思っていませんでした。この間ずっと気にかかっておりました。  先日、私が体調を崩し、患者として先生に診ていただきました。先生はまだ現役でいらっしゃったのでした。大きな病院で、大勢おられる医師の中で、先生の診察を受ける事になろうとは。  その病院にかかろ

〈祈りのエッセイ〉義母の臨終①  

十二月三十日の午前零時を回って何分くらいだったろう。義母が息を引き取った。娘と三人の孫たちと義理の息子が看取った。  一九九七年十二月三十日。  その六時間ほど前、皆で、買ってきた牛丼を食べた。個室を与えられていたので、家族はそこで食事ができたのだ。  義母はその様子をうれしそうに見ていた。声はもう出なくなっていたと思うが、目が優しかった。見守られているという気がした。  私たちにも、義母のいのちの時間に限りがある、という覚悟のようなものはあった。重い病状であったから。け