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ご消息発布時の宗会だより

第6号宗会だより(2023年3月発行)によると、ご消息発布の年に「新しい領解文」に関する通告質問をしたのは7名でした。翌2024年の宗会ではそれに関する質問は13名です。今年の宗会だよりはこちらをご覧ください。

本来、「宗会会議規則」の第79条の3「議事録は、印刷して、議員及び関係者に配布し、一般に公開する。」とあるとおり、議事録を公開・共有されていれば宗会の様子は伺えるのですが、いまだ2023年の宗会議事録は各別院等に届いておらず、それどころか、某別院に問い合わせたところ最新の議事録は2020年のものでした。全国の各別院等の関連施設に配布するだけで「一般公開」としていること自体にも問題がありますが(ネット公開希望)、それすら2021年以降届いておらず4年分滞っています。お恥ずかしい限りですが、この状況はすぐに変わるものとは思えないため、迅速な議事録公開を待たずとも、早急に宗会のネット中継を希望します。幸いに配信の環境だけは整っています。

そのようなわけで議事録は期待できないため、遅ればせながら2023年の宗会だよりの通告質問を転載します。ただし、実際の質問をかなり要約されたものなので、議員ご本人の報告書を転載したものはそれと比較してご確認ください。


ご消息について

梨本興正議員(国府・顕心会)※当時は誓真会

「ご消息」はご門主様の「聲」と戴いています。ご門主様の思いを丁寧に宗門内に伝え、お支えする姿勢について今後の具体的な展開をお聞かせください。


令和5年度宗務の基本方針案に【新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)』に学び、行動する~「伝わる伝道の実践~】を掲げてます。ご指摘の通り、ご門主様のお心を丁寧に伝えていかねばならないと認識しています。先般の宗門総合振興計画推進会議でも報告の通り、様々な普及策を講じ、全教区・特区での学習会、解説本の発行を予定しています。


ご親教がご消息になる過程について

竹中了哲議員(富山・顕心会)

新しい「領解文」は、宗門長期振興計画より宗門総合振興計画に引き継がれた課題であります。2022年8月に組織された現代版「領解文」制定方法検討委員会は、同年11月に「念仏者として領解すべきことを、正しく、わかりやすい文章を用い、口に出して唱和することで、他者に浄土真宗の肝要(安心)が伝わるものでなければならない」と答申しました。門主が消息を発布されるのは当然のことですが、宗法第11条第2項には「前項の消息の発布は、あらかじめ勧学寮の同意を経なければならない」とあります。ところが発布された消息は「師徳」の4行が付加されたもの以外は、2021年4月「立教開宗記念法要春の法要」のご親教「浄土真宗のみ教え」そのものです。ご親教は総局の申達のみでなされますが、ご消息の発布は、あらかじめ学寮の同意が必要です。ご親教がご消息とし、新しい「領解文」になることは、おそらく同委員会も想定外のことだったでしょうし、勧学寮が宗意安心の事後承認をしたとも受け取られますが、総長のお考えを伺います。


現代版「領解文」制定方法検討委員会の、ご消息をもって制定いただくのが最も相応しいとの答申を受け、法規に従い勧学寮の同意を経てご発布賜りました。ご消息でありますため、総局としてその内容を重く受けとめています。「本願寺新報」2月1日号での勧学寮の解説には、「平易さを重視し、唱和する事を目的としたために、その肝要を現代版に直したものである」と、いかに味わって拝読いただくのか、肝要を詳しく解説いただいています。ご門主様のお心を深く受けとめ、多くの方々に新しい「領解文」を共々に唱和させていただくことを原則とし、その周知と普及の徹底に努めてまいります。

●竹中議員の報告書

●2024年の報告書

浄土真宗の教義と御消息発布について

渡邊幸司議員(安芸・(富山・顕心会)

本派は蓮如上人より拝す「信心正因称名報恩」の枠組で教学的言語体系を構築しましたが、この度の新しい「領解文」は、阿弥陀仏の救いが大乗仏教に則し、生仏一如のおさとり、自然の浄土など、宗祖の教学に立ち帰り領解されたお心と受け止めております。しかし誤解により布教現場は混乱しております。ご親教「浄土真宗のみ教え」とほぼ同じ内容のご消息の発布までに宗門全体にお心を伝えられるべきでした。宗派公式WEBサイトの総長の「ごあいさつ」の「そのままでいいそのままでそのままこいよ」のお慈悲をおおせ「そのまま」とおおせのままに、この愚身を任す、このまんま、これすなわち南無阿弥陀仏」や、ご著書「この世」と「あの世」を結ぶ言葉」での「すべての依りどころは「縁起・空」にあり」からは受け難い宗祖の教学を含めご消息のお心をどう受けられておられるのかお聞かせください。


「そのまま」は「お慈悲のおおせ」とありますように、阿弥陀仏から私へのおよびかけです。この先手のよび声に対して、私は何の仕事もないのであり、「おおせのままに」「任す」以外にはございません。阿弥陀仏の「南無」のよび声が、私たちの「南無」という帰依信順となるという、「他力回向」のありようが示されていて、ここに教義上の問題はありません。また、「空」にとらわれてしまうと、もう「空」ではなくなります。しかし、「空」であればこそ、仏性の遍満が語り得るのであり、「他力回向」法の根源とも言い得る重要な意義があるとも言えます。

●渡邊議員の報告書

●2024年の報告書

新しい「領解文」の解説について

松原功人議員(山口・(富山・顕心会)

新しい領解文を「正しくわかりやすい」と認めたはずの動学寮が、本願寺新報にご消息と同時になぜ解説の掲載を要望したのでしょうか。中外日報の取材に「解説に苦慮した」「真宗教義に沿った解釈を基礎に持たないと誤解を生じる可能性があるため解説を熟読して欲しい」と語っています。新しい領解文には問題があり、わかりにくいということではないですか。

総長は、ある対談で「阿弥陀仏による救済の物話が、今は、かえって現代人の仏法理解を難しくしているという難問に直面しています」と言い切っています。阿弥陀仏が西方浄土を建立され私を救済する相を否定し、直接、空・縁起を我が身に実感しようとする賢者・覚者の考え方です。石上総長の著作「生きて死ぬ力」と内容も言葉もほとんど同じことからも、新しい領解文は総長の考える法義を表したものと受けとめます。


新しい「領解文」の解説については、勧学寮より公文書で回移がありました。その公文書には『寮員会議の議を経て、ご消息解説文を作成いたしましたので、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の拝読唱和の普及にご活用いただきますよう』と記載されています。

「新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息」について

清岡大地議員(大阪・(富山・顕心会)

「新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息」の発布を受け、令和4年度 第6回企画諮問会議では普及策の報告、また令和5年度宗務の基本方針(案)の注力項目に「新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)」の学びと実銭が掲げられましたが、周知・普及の具体策をお尋ねします。また「ご消息」には「僧俗問わず多くの方々」とありますが、宗門外に向けて周知・普及を図られるのでしょうか。また「本願寺新報」(2月1日号)の「ご消息」の全文と新しい「領解文」としてお示しの部分のみの解説が掲載されました。「ご消息」全文の解説ではないものを「ご消息解説学寮」とされた理由をお尋ねします。


第24回宗門総合振興計画推進会議で、新しい「領解文」の周知・普及策として、
1、慶讃法要時各種施策
2、各種発行物・掲示物等への掲載、
3、解説・普及本及び物品等の頒布
4、宗務所朝礼で拝読
5、学習会、
6、その他として僧侶養成機関や教化団体の会合等、龍谷総合学園加盟校の行事や仏参等で拝読・唱和、各種発行物・掲示物等への掲載、勧学寮による解説文「本願寺新報」「宗報」への掲載、掲示用紙の調製、全国の寺院への配布など具体的に取り組みます。
「本願寺新報」に掲載の解説は勧学寮からの「寮員会議の議を経て、ご消息解説文を作成いたしましたので、新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)の拝読唱和の普及にご活用いただきますよう」との公文書を受けて全文を掲載しております。

この度の「新しい領解(浄土真宗のみ教え)」は、聖教に準ずるものなのか、否か。確認を求める。

下川弘暎議員(福岡・(富山・顕心会)

現行に「宗制」第2章に「本宗門の聖教は、次のとおりとする」と聖教の名前を列記されています。「宗制」の解説書では「聖教に準ずるもの」の一項を設け、具体的に聖教に準ずるものが示されています。覚如上人、蓮如上人以外の歴代宗主の撰述は「聖教」「聖教に準ずるもの」のなかには含まれていません。よって、私は「新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)についての消息」は、聖教に準じないと理解いたします。しかし、旧「宗制」では、歴代宗祖の撰述は、聖教に準ずる扱いであったため、その認識まま、この度の「御消息」をいただかれた方々からの戸惑いの声が、特に布教の現場にある方などから多く聞かれます。一般寺院、僧侶、門徒の方々は、法座の度毎に現行の領解文を唱和してきた歴史があり、新しい領解文には少なからず抵抗感があります。このような戸惑いを解消するため、この度の「御消息」の位置づけについて総長の明解な回答を求め、立場もおありと存じますが布教の現場にもご配慮いただき、強制的な普及を進めることをやめていただきたいこと要望します。


2008年4月1日施行の現行「宗制」は、1947年4月1日施行の「宗制」を全文改正したものです。旧「宗制」には、「宗祖の撰述」に続いて、「御文章その他歴代宗主の撰述及び宗祖又は歴代宗主の尊重された聖教は、宗祖の撰述に準ずる」と規定されていました。2004年5月に、宗門の戦時問題への対応として、「宗門が1931(昭和6)年から1945(昭和20)年まで、先の戦争に関して発布した消息や直諭・親示・教示・教諭・垂示などは、これを「依用しない」旨を当時の即如門主が「宗令」で明らかにされ、また、これに関連する当時の宗務的措置が、政治の軍国主義化のもと、国策としての戦争や国体護持に協力するなかで発布されたもので、国の侵略戦争に協力したものだったとの反省に立ち、それらの失効を正式に表明した総局見解を「宗告」で発布されました。このことが「聖教に準ずるもの」の在り方の論議の直接の背景でした。当時の提案理由は、「歴代宗主の撰述すべてを「宗祖の撰述に準ずる」、すなわち、宗祖の撰述と同等に扱うという在り方の問題性を通し、聖教とは何か、また聖教に準ずるものとは何か、その明らかな定義までが問われたものと判断し、検討を進めてまいりました。その結果、宗門の根本法規たる「宗制」において「聖教」の章に定めるべきことは、本宗門が正しく依りどころとし、浄土真宗の教義・信仰を支える根幹となる不変一貫したものであるべとの結論に至ったのであります。なお、従前「宗祖の撰述に準ずる」とされております歴代宗主の撰述、その尊重された典籍類を今後どのように扱うかについては、「宗制」で「聖教」の章に定める範囲を、その定義に基づいて限定するまでであって、それ以外を敬重の対象から除外するという意図を有するものではなく、従って、歴代宗主の撰述及びその敬重された典籍類は、宗祖以来の伝灯を受け継がれ、法灯を伝承された方のそれとして、これまで通りに大切に扱っていかねばならいとするものであります」と説明されています。この度のご消息は。現行「宗制」に定める「聖教に準ずるもの」には該当しません。しかし、ここで大事なのは、「宗制」全文改正の提案理由にあるように、宗祖以来の伝灯を受け継がれ、私たちを導いてくださる歴代宗主の撰述及びその敬重された典箱類は、聖教に準じるものだから尊重するとか、しないではなく、これまで通り、ありがたくいただき、大切に扱っていかねばならないと存じます。

●下川議員の報告書

新しい「領解文」(浄土真宗のみ教え)について

那須野淨英議員(滋賀・(富山・顕心会)

この度の新しい「領解文」は、「これまでの「領解文」が現代人の理解における平易さという面が徐々に希薄になってきた」ために発布されたと受け止めています。「仏説無量寿経」下巻の弥勒付属『仏説阿弥陀経」最後の流通分、また宗祖聖人の「正信偈」には、阿弥陀仏の本願や、浄土の荘厳や、念仏往生の教説は一般には信じ難い事柄であることを示されています。浄土教は最初から分別的理性をもって信じることも、理解することもできないものとして説かれたのです。「本願寺新報」(2月1日号)の新しい「領解文」についての勧学寮の解説は、「親鸞聖人の非僧非俗」のお意(こころ)と、「蓮如上人の「領解文」のお意が無視され、阿弥陀さま活動(如来の活動)を、「ご消息」を拝読、唱和することで、人々に理解における平易さという面によって、如来さまのおはたらきを自他共に見失ってしまうことになると思われます。総長は「ご消息を拝して」において、「新しい「領解文」はまさに、この「領解文」(従来の領解文)の精神を受け継ぎつつ、念仏者として領解すべきことを正しく、わかりやすい言葉で表現された」と示されています。新しい「領解文」特に、「私の煩悩と仏のさとりは本来一つゆえ「そのまま救う」が弥陀のよび声」についてわかりやすく教えてください。これは天台の本覚法門ではありませんか。


ご指摘のように、「難中の難」「難信の法」他力念仏の法義を簡単にわかろうとするのは困難であろうと思います。しかしながら、従来のようにお聴聞を継続的に重ねてくださる世代は、日に日に減少し、ご法義が、子や孫へと家族を通して伝わっていくシステムも、人口の流動化現象によって先細りしつつあります。若い世代の人たちは、比較的性急に結論を求めようとする傾向があり、難解な内容に対しては、即座に拒絶反応を示されかねず、ひとたび拒絶されてしまうと、もう関わろうとはしてくれない可能性があります。おそらくは、このようなご配慮から、古文の文語体から、平易な口語体で表されたと考えられます。なお、宗祖は天台本覚法門を批判されておられることが悲嘆述懐讃からうかがえます。

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