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新潟教区学習会、質疑応答

2月6日に行われた新潟教区の学習会では、事前質問(要求)が提出され、その返答からはじまりました。これは、2月1日の企画諮問会議で次年度の「宗務の基本方針・具体策」の話し合いを受けての答弁と見られます。まだ宗会も常務委員会も通っていないため、議決されたものではなく、現段階での総局の見解ということになります。

①新しい領解文を用いないこと

ご消息が出されてから、かなりの混乱が生じたことは総局も承知している。そこでいろんなご意見を承り、今の段階で総局が考えているのは、周知と普及を目指す、あるいは唱和100%を目指すというのは少し見直し、推進の仕方を見直す。(公文名総務)

②唱和を強要しないこと

これまでも強制ではないということで申しあげていたので、これまでどおり強制はしない。(公文名総務)

③本山、別院、教区、一般寺院では提示しないこと

新しい領解文を公的な場で用いるかどうかは、それぞれの会場の責任者に判断を任せる。教区なら教務所長、別院ならが輪番、一般寺院なら住職の判断にお任せをする。(公文名総務)

④宗派の刊行物にはこの文を掲載しないこと

要望としてお聞きし今後検討していく。(公文名総務)

教学的な質問

①新しい領解文の作成の意図は、従前の領解文が現代の人々に解りにくく、伝わりにくいということで発布された。しかしこの文章が解りやすいとは到底思えない。満井和上の難しい解説をはさまなければ読み解けないという大きな問題がある。

確かに簡単にわかるものではないかもしれない。だから勧学寮が解説文を書いたのであり、また、私が学習会で出来るだけご理解していただけるようにお伝えしている。(満井所長)

②従来の領解文に示される二種深信や捨自帰他のご法義が、新しい領解文には明らかな形で存在しないことは大きな問題である。

私も自力心との決別が鮮明ではないということは同感する。そのためというわけではないが、今年の御正忌報恩講で改悔批判の与奪を受ける時に、自力心との決別という要素は重要だと意見を申し述べて、これを内局も受け入れてくださり、出言は従来の領解文でなされた。(満井所長)

③「そのまま救う」「弥陀のよび声」という言葉は素直に聞かせて頂く限り「無帰命安心」を連想してしまうのではないか。

さきほどの説明(講義)で申し上げたつもりである。「本来ひとつ」だから「そのまま救う」と繋がったら無帰命安心になりかねないが、決してそうではなく、「本来ひとつゆえ」は「弥陀のよび声」に繋がっていく。そういう文脈で理解すべきことを申し述べた。(満井所長)

④愚身(み)や自然(じねん)などは、パソコンの文字変換でも出て来ない。現代人にとって、とても難解で特殊なことばである。

どこかの教区で、「自然の浄土」だけは素晴らしいというご意見もあった。(満井所長)

⑤師徳段について、親鸞聖人は人師となることを敬遠された。御同朋・御同行という姿勢とは大きく異なり、人を拝む宗教になってしまうのではないか。

師徳の段に関しては、親鸞聖人のご誕生あってこそであり、その後、歴代のご宗主方のお育てを受けた先人方、この800年の歴史の総体を師徳と仰ぐ。そのような理解を申し上げた。宗制の第4章には、「(このように宗門は多くの人々の懇念によって支えられ、)法灯を伝承された歴代宗主のもと、念仏の法が受け継がれているのである」という一文がある。このお心に沿っていうご教示でもあると考える。(満井所長)

⑥浄土真宗の阿弥陀仏の救いの法を受領した信心一つで往生成仏の因が決定する教えである。この信心獲得は全く弥陀の独用であり、機受の微作をも介入を許さずして開発する信心。従前より生き様を問わないお救いとはこの事をいうのであり、それ故に万人平等の救いが成立する。

生き方を問わないお救いというご法義において、新しい領解文の説示が、とても出来ないような努力目標を掲げられていると受け取られることは、あってはならないと思う。そうではなく、今私たちがお念仏申す身にならせていただいた喜びの一端をお裾分けとしてお伝えする。「ありがとうはしあわせのあいさつ」という詩の一文がある。ありがとうと言われてしあわせな気持ちにもなるし、ありがとうが言えるのは、その人のしあわせの証だと述べてある。つまり、私達の和顔愛語もしあわせのお裾分けだ、しあわせのあいさつと考えたらどうだろうか、ということを申し述べた。つまり、こうありましょうというような目標値を定めるのではなく、それぞれのお慈悲をよろこぶ在り様を、それぞれに体現していただきたい。というのが私の思いである。(満井所長)

⑥煩悩が少しずつなくなるととれる表現は、親鸞聖人の意図とは全く異なった誤解を招く危険性がある。

多分、この危険性を意識されたのが、勧学寮の解説文でもそのような説明がなされている。したがって、それぞれに味わい方というのは、間違わないような味わい方が必要だろうと思う。今、こうして各地の学習会においてお伝えしているのは、みなさまがこれからそれぞれの場において、新しい領解文の内容を正しく伝えていただくために申しあげていることをご留意いただきたい。(満井所長)

⑥親鸞聖人のご消息は、一益法門の異義を主張する人達がその出拠として用いるご文。歴史的背景と聖人の意図をよく理解して読み解かなければならない特種でデリケートなご文である。

ご消息にはそれぞれの背景がある。個別事例の背景を受けたのが、ご消息のご文である。聖人の古典的な教義内容というのは、やはりご本典をおつとめするべきだという思慮は、私もそう思う。しかし、それぞれの時代においての有り様を、「少しずつ」という表現をお取りになったご門主様の意図は、講義で説明したような受け取り方を提案する。(満井所長)

閉会のあいさつ

最後に公文名総務のあいさつでは、「SNS時代で誤情報がすぐに広がっていく。それがまるで真実であるかのように受け取られる。混乱の原因はそのようなところにあると思う。某新聞でも、ちゃんと確証をせずに情報を載せていたものも多々あったのではないかと思っている。」という意を述べました。

これまでも、総局は混乱の責任に対して、消息に同意した勧学寮、宗務の基本方針を議決した宗会、具体策を決議した常務委員会、得度や改悔批判は内局の判断と、総局以外の諸機関を差し出し、その上で混乱の原因は外部の声とする姿勢は、とても宗務の中枢を担う総局の発言とは思えません。このスタンスは前総長の執務方針演説にも見られるように連綿と引き継がれているようです。


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