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THE2解散後から現在までについて

お疲れ様です。
2024年2月22日にTHE2は解散しました。その後から現在まで何をしていたかをお伝えします。

語っていくために少しばかし時間を戻しまして…

☆あの男と僕


2023年、当時はパニック障害に苦しめられている時期ということもあり沢山の方に心配の声をかけて頂きました。その中で、僕が関わっている銀杏BOYZのボーカル峯田和伸氏の話も必須かと思いますので書き残しておきます。

パニック症状を発症したての6月、まだ自分がパニック障害だと気づいていないので、普通に現場にも足を運んでいる状況でした。そんな中で、銀杏のリハーサルスタジオで突然、演奏中に息が出来なくなり、家族に迎えに来てもらって早退させてもらった事もありました。その後、しばらくして自分の病気の事を知り、僕は長期休養に入ることになります。そして、9月頃から峯田さんは1人で弾き語り全国47都道府県ツアーをスタートしました。

そこから1ヶ月が経ち、10月。
夜21時頃に携帯電話が鳴ったので出てみると、

あ、どもどもー

と峯田さんからだ。

「おー!お疲れ様です!お久しぶりです。どうしました?」
『いやー、別に特に何かあるってわけはないんだけどねー。ぴーちゃん元気かなーと思って。』
「いや、それめっちゃ嬉しいっす。」
『ははは。こっちはいい感じに全国周ってますよー。まぁ無理せず。たまに陽の光浴びに外出なねー』
「はい、ありがとうございます!そちらも引き続き頑張ってください!」
『はーい、じゃあねー。』

と、そんな感じでやりとりをした記憶があります。ご本人も少し照れ臭そうに電話してくれたものだから、何だかこっちまでほっぺが赤くなってしまいます。

それからまた数週間後、夜の21時頃に携帯電話が鳴ったので出てみると、

あ、どもどもー

と峯田さんからだ。

こんな感じで何度か気にかけて頂き、実はちょいちょい連絡を取り合っていました。その中で何度目かの電話の時に、「12月と1月のライブ、そして来年のツアー後半でぴーちゃんにどうしてもギターを弾いて欲しい」と言ってくれたんですね。正直、それを今の僕に伝えるのは少し気を遣う部分もあったとは思うんです。だからこそ、どういう気持ちで言ってくれたのかを察して脊髄反射的に「わかりました。やります。」と答えていました。その後、マネージャーさんからも確認の連絡をいただき「本当に無理しなくていいからね?」と言われましたが、「やります」と改めて承諾しました。そして無事、12月〜1月ライブを終え、2024年のツアー後半に参加しました。

5月からリハーサルが始まり、6月〜7月のツアー本番。日を重ねるごとに今回のコンセプトであったり、表現方法が体に染み込んでいく感覚があり、とてもやり甲斐がありました。そして思い返してみれば、何よりも珍しかったのは打ち上げが毎回あった事です。笑

しかもメンバー、スタッフ、ツアーゲストも総動員で。その打ち上げ中などでもちょっとした反省会があったりする中で、峯田さんから「本当に最高なギタリストだよあんたは。」という声をかけて頂いたりもしたので、体調はこんな状態になってしまったけれど頑張って一歩踏み出してみてよかったなと思いました。

そして無事に最終日、浅草公会堂での演奏を終え、このツアーでの僕の役目は一旦終わりました。待ってくれている存在がいることはこんなに希望になるんだな、としみじみ感じました。

岡山健二(drums)、峯田和伸(vocal)、加藤綾太(guitar)

☆旧友と僕

時間軸が前後してしまい申し訳ないのですが…
実は、昨年の6月。飛行機でパニック症状が初めて発症した翌日から、昔からの知り合いであるシンガーソングライターの関取花ちゃんのレコーディングの予定が入っていました。

発症当日に連絡をして、「(経緯を説明し)本当に申し訳ないんだけど、明日もこの体調だったらもしかしたら現場に行けないかもしれない」という旨を伝えたら、「大丈夫?全然こっちは気にしなくていいから、お大事にしてね。」と言ってくれました。

そもそも僕と花ちゃんの関係性から説明すると、10代限定の夏フェスのオーディションで僕は彼女の事を知って、下北沢GARAGEというライブハウスでその何年後かに初めてちゃんとお話をする機会がありました。それからお互いミュージシャンとして音楽業界にいて、バンド時代でもライブやイベントで共演したことがなかったのですが、長い月日を経て昨年のある日、花ちゃんから「レコーディングでギターを弾いて欲しい」という連絡をもらい、まさかの一緒に音楽を作るという展開になりました。何というか、旧友という事もあり、とても縁を感じて嬉しかったのを覚えています。

そんなエピソードがありつつ、僕が一発目の現場の前日にパニック症状を起こしてしまったものですから、何とも不甲斐ないというか…悔しかったんですよね。だから、今後もし日を改めさせてもらったとしても、現場に向かう事が可能かその段階では判断しかねる状況ではあったのですが、どうしても参加したかったので「データファイルでのやり取りになってしまうけど僕に弾かせてほしい」という自分本意なお願いをしたのにも関わらず、快く承諾をしてくれて続行させてもらうことになりました。その時の曲が後にリリースされた「メモリーちゃん」という曲です。僕だけ家で弾いています。

その後、昨年に何回かと、今年の2月〜5月くらいまでの間はコンスタントにレコーディングで関わる機会がありました(その頃は現場に行けるようになっています)。僕も花ちゃんチームもおしゃべりが好きなので、休憩中には色々な話を沢山していたのですが、当然僕の病気のことや、バンドの事もその都度話を聞いてもらっていました。

そんな中で、僕がある曲でギターソロを弾いていて、テイクを録り終えた後に「最高!生まれてきてくれてありがとう!!!」と花ちゃんが叫んで、現場は笑いに包まれて、僕も「トークバックおもろすぎでしょ」と笑いながらも心では本当に嬉しかったです。そんな雰囲気の毎回が、当時の僕には必要だったし、病気になろうがバンドが終わろうが、心穏やかに過ごすことができたので花ちゃんと当時のレコーディングメンバーのリサさん、ヒロシさん、そしてスタッフの皆さんには感謝しています。彼女の人柄や、歌声に華を添えることが出来ていればいいなと思います。

岡田梨沙(drums)、加藤綾太(guitar)、関取花(vocal)、藤原寛(bass)

先日、花ちゃんの弾き語りツアーファイナルが浅草であったので見に行かせていただきました。一緒に録音した楽曲たちも聞けて大満足。初めてライブを見た時を思い出したり、経てきた強さを感じる圧巻のライブでした。

☆幼馴染と僕

幼馴染と組んでいる「ポニーテールスクライム」というバンドでボーカル兼ギターをやっているのですが、同バンドで今年6月にワンマンライブを行いました。昔に一度活動休止をしてるのですが、2016年に活動休止前ラストワンマンをやった学芸大学MAPLE HOUSEというライブハウスでそれぶりにワンマンをやりました。非常に楽しい1日になりました。ご来場いただいた皆さん本当にありがとうございました。

「バンドマン終了」という記事を書いておいてお前バンドやっとるやんけ!とお思いの方もいるかもしれませんが、スタンスとしてガツガツ活動ができないけどたまに集まって音楽をやろうというスタンスのグループでして…。半分バンドマンで、半分はもう実際その畑から遠のいているんですよね。なので、めちゃくちゃコアな音楽好きの人達が気に入ってくれています。誇らしいです。このバンドについても後々詳しく書こうかなと思うので興味がある方は読んでみてください。

ポニーテールスクライム@6/29学芸大学MAPLEHOUSE

☆おまけ

その他、まだ発表していない事もあったりなかったり…。何にせよ沢山曲を書いています。ある日、作業をする日々の中で「この拙い環境ではマズい」と思い立ち、宅録機材を一新しました。この機材についても後々詳しく書いてみたいと思うので興味のある方は読んでいただけると嬉しいです。

そんな感じでここ最近は過ごしていました。ちょっとこのテーマだとどうしても病気の話や、説明をするのに時間を行ったり来たりしてしまって読みづらい部分もあったと思うのですが、ここまで読んでいただきありがとうございます

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