私のよくキレる姉の話
自分の話をしようと思ったとき、姉の話は避けられないだろう。
私より三年早く生まれた姉は私とはとにかく正反対だった。平均身長より高い姉と低い私。バスケ部に入部していた姉と帰宅部の姉。大学で外国語を専攻した姉と日本文学を専攻した私。ブルベ肌の姉とイエベ肌の私。見た目は似ていてもとにかく姉と私は正反対で、幼い頃からその正義感ゆえよく怒っていた姉に隠れるように私は無意識のうちに内向的に育ったように思う。私が学校で嫌がらせのようなことをされたら先に反応してやり返していたし、会社で上司に理不尽に怒られたときは職場に乗り込もうとしていた。(一体何をしようとしていたのだろうか、怖くて聞けずにいる)とりわけ私のことになると、姉の怒りの沸点はかなり低くなる。
それを象徴する話のひとつとして、数年前のことが挙げられる。当時一緒に働いていた男性スタッフで変な嫌がらせをしてくる人がいた。一緒に乗ったエレベーターを無言で揺らしてきたり、聞こえる声で私の噂をしたり。いわゆる好きな子に意地悪をする小学生男子のような成人男性だ。ここでは略して小男(しょうお)と呼ぶことにする。小男は精神年齢が著しく低いので、嫌がるほど嬉しがる。辞めてくれと正面から伝えたこともあったが、それらはすべて「自分への反応」だと思い喜ぶのだ。嫌がらせは加速する一方だった。私は小男の言動に日頃から頭を抱えていた。
ある日、小男が他のスタッフと話していたときだった。視界に映る距離にいる私に気付いた小男は活き活きと話し出した。
「りょうさんってあの芸能人に似てるよなぁー!」
また始まったと思いながら気に留めず仕事を続けたが、小男は止まらない。小男の言うあの芸能人とは有名なアイドルの子を指していたようで、周りのスタッフは「そうかな?」という反応だった。いやそうなるだろ。間接的に恥かかせるなよ。私に対して何億枚かのフィルターをかけている小男はなお加速する。さながら暴走機関車のようだ。ムキになって荒くなる鼻息が煙のように見える。だが穏やかに聞いていられるのもここまでだった。仕事を続けていた私の思考は、次の一言でたちまち停止する。
「ほら、この角度とか似てるって!今日調子いいから似てるわ~」
小男はそう言って私の方を指差した。私はとても耐えられず、静かにその場を離れた。それが目一杯の抵抗だったのだ。
容姿に自信を持っているわけではない。だけど簡単には変えられないこの容姿を好きになるためにいろんなことをしてきたつもりだ。なのに、どうして大して親しくもない男にこんな風に評価されなければならないのだろう。別に名前が出たアイドルに近付きたいとも思っていないのに、「今日調子がいい」と上から目線でジャッジされなければならないのだろう。小男の発言が脳内で反芻するたびカッと怒りと恥ずかしさで体が熱くなった。帰りの電車でも思い出してしまって涙が流れた。帰ったら姉に相談するつもりだった。たった三年ではあるが人生の先輩としてどう対応したらいいのか教えてほしかったのだ。一番は慰めてほしかった。傷付いた心に寄り添って欲しかったのだ。目を真っ赤にさせて帰宅した私を見て眉根を寄せた姉にことの経緯を涙ながらに説明した。
ここで皆さんに問いかけたい。自分の妹が泣きながら帰ってきたときにどんな言葉をかけるか。職場の男性に嫌がらせをされたと話す妹にどう寄り添うのか。仲のいい姉妹なら慰めてどう対処するのかアドバイスをするだろう。私もそう期待していたのだが、姉が開口一番言った言葉は思いもよらないものだった。
「お前…負けて帰ってくんじゃねーよ!!!!!!!!!!」
!?
顔を上げると般若がいた。予想外の展開に固まっている私に般若は続ける。
「いつまで負けて帰ってくるつもりだ?いい加減イライラして聞いていられないんだよ。大学生のときもバイト先のおばさんに虐められて泣き寝入りしてただろ。また繰り返すんか?またお前は負けて帰ってメソメソすんのか?違うだろ。いい加減戦い方を覚えろよ」
「ど、どうやって…」
「だからァ!!!周りに甘えろよ!!!!いつも私にやってるみたいに周りに頼れよ!!!こんなとこで妹感出し惜しみしてんじゃねーよ!!!!!!!!!!!」
妹感の出し惜しみとはなんなのだろうか。無茶苦茶である。
姉曰く、私みたいな小物感のある人が嫌がらせ元に直談判しても聞いてもらえない可能性が高いので、周りの頼れそうな人に代わりに言ってもらうのがいいとのことだった。感情に任せて怒っているのかと思いきやアドバイスは案外まともである。これまで姉のように気持ちを言葉にして伝えることが苦手だったためどうしたらいいのか分からなかったが、確かに言われた通り、周りに相談するという形で頼った方がイメージはつく。いや、分かるけどでも、まず慰めてくれてもよくない?
こうして号泣する妹に激怒する姉という地獄のような絵図の夜を過ごした翌日、小男よりも年下の男性スタッフに物は試しだと相談してみることにした。
そしてミラクルが起きた。「ちょっと困っているんですよね」と軽く話しただけなのに、「僕から迷惑だって言いましょうか?」と提案してくれたのだ。こんなにもあっさりと周りが助けてくれるとは思わなかった私は食い気味に頷いた。そうして結果的に、他者からこれまでの言動が「迷惑でやめてほしいこと」だとはっきり伝えられた小男は深く頭を下げて謝罪をしてきた。頭の中で勝利のゴングが鳴った。直接手を下す方法でなくても勝つ方法はあるのである。自分にあった戦い方を身に着けることの大切さを、姉は教えてくれたのだった。だがこれがきっかけで味を占め、社会でも妹感を存分に出すようになってしまったのはここだけの秘密である。
ちなみに地獄絵図の翌日の姉からの連絡は以下である。
『自分が人にだいぶ気持ち悪いことしてるってわかってる?わかってるかどうか聞いているんだよ。えーじゃなくて。自分が気持ち悪い絡み方してるってわかってる?わかってる?わかってる?ってすごい何回も冷静に一回も笑わずにいってみ。二度と仕事以外で絡んでくるのやめようね。お願いじゃないからねこれ、警告だから。わかるよね?えーじゃなくてわかるかどうか聞いてる。わかるよね?二度とかわいいかかわいくないかとかくっだらない容姿のこととかでイジるのやめようね。クソ失礼だし、気持ち悪いから。仕事できてるんだよね?私の何でもないんだよね?彼氏でも友達でも何でもないよね。えーじゃなくて。わかる?わかるかわからないか聞いてる。って言って問いただしてみ』
ほとんど原文そのまま引用しているのだが、恐ろしいのが姉と小男の会話が成立しているところである。姉の中で小男が何度か「えー」と言っているのをパワーでねじ伏せている。怖い。いろいろ怖い。小男はむしろ職場の男性にやんわり言われただけ幸運だったのかもしれない。この圧で姉にキレられる方が小男の胸に大きな傷を残していたに違いないのだから。
よくキレる姉は今日も何かに対してキレている。だがそれらがすべて正義感からだということを私はよく知っている。自分や誰かを守るために、理不尽なことは見過ごさないのだ。私も姉のように、大切な人が不幸な目に遭っていたらすぐに反応できる強い人になりたい、と、思わなくもない。
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