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シェア工房が開く移動生活時代の一端について

<<これは2017年に自分のブログに書いたものをそのまま移植した記事です。>>

 2010年代は、後に「人々が場所や物への固執を辞めて移動し始める準備期間」という風に評価されるのではないかと思う。LCCが世界中を飛び回り、AirBnBやシェアオフィスやuberやカーシェアリングが現地で必要になるインフラを提供してくれる。そういう時代が始まった。まだ未熟だけど、それは始まっている。ノマドと呼ばれる人たちがああだこうだ言われながらも増加して、日本の大企業ですらテレワークということを言いはじめた。
 僕たちはわずか1万年くらい前に定住という生活様式をはじめた。以来農耕に束縛され、近代からの100年ではマイホームと通勤とサラリーとローンとサバイバルするための技能ではなく金銭を得るための細分化された職能というものに押し込められていたわけだが、そろそろ200万年の歴史を持つ移動生活者としての本能が目を覚まそうとしている。
 2020年代は移動の時代が本格的に始まる。

 僕は「テックショップ」というかなり大きなシェア工房で働いているのだけど、これまでもファブラボにいたり、いくつかのシェア工房が合同で行う催しなどにも参加させてもらってきた。さらにそれ以前からパーソナルファブリケーションやデジタルファブリケーションという概念には興味があって、自分なりに「工房が広くシェアされる」ということに対する漠然とした考えや意見は持っていた。
 それに「移動生活時代」というキーワードを加えてみると、次の10年間についてシェア工房の果たす役割は一味違って見える。

 念のためにシェア工房というのが一体何なのかを簡単に説明しておくと、3Dプリンターやレーザーカッターのようなデジタル工作機器、金槌やハサミみたいな昔ながらの道具を多かれ少なかれ取り揃えた会員制の工房のことで、プロだろうがアマチュアだろうか子供だろうが老人だろうが、誰であってもお互いに刺激を受けながら制作を行うことができる場所のことだ。制作という言葉は大袈裟かもしれない、画用紙にクレヨンで絵を描きたいのだけど家のテーブルは小さいしもう少し広いところで描きたいという程度のことで使う人だっている。
 今や世界中に1000以上のシェア工房が存在すると言われているけれど、そのはじまりを象徴的に、2002年にMITがはじめたファブラボだと言っても大きな間違いではないと思う。ファブラボというのはシェア工房の名称で、世界各地に存在している。大抵はその町の名前がお尻についていて、たとえば日本で最初のファブラボは鎌倉にあり、ファブラボ鎌倉という名前が付いている。台北にはファブラボ台北があるし、マドリッドにはファブラボマドリッドがある、というような感じだ。
 ファブラボは別に厳格に組織化されているわけではなく、ファブラボ憲章という理念に賛同する人達が同じ名前を名乗っている。そして元々は各ファブラボが同じ機材を持つことが推奨されていた。同じ機材を持っていれば、鎌倉で作成した椅子のデータをマドリッドに送って、マドリッドで全く同じものを作ることが可能だからだ。全く同じものもできるし、もちろん改変したものを作ることもできる(この辺りの話は2013年に「Making Living Sharing」という映画になった。https://youtu.be/G4Kv56W-tfE )。宇宙ステーションに3Dプリンタを置いておき、必要な道具があれば地上からデータを送信して3Dプリントして使うという事例がしばらく前にニュースになっていたように、デジタルデータはどこへでも瞬時に送ることができるし、デジタル工作機器はそれらを物体に変えてくれる。

 だから、世界中をデジタルデータが飛び回り、各地でそれらが物質化されるというのが、シェア工房とそのネットワークのイメージだった。
 それは別に間違いではない。
 だけど、現実にはデジタルデータよりも、もっと別のものが世界中を飛び回るようになったと思う。
 それは、人々だ。
 工房の運営者やユーザが思い思いにあちこちの工房に顔を出すということが世界中で起こっているし、もっと組織化された会議というか集会みたいなものもそこらじゅうで開催されている。
 インターネットという無数のコンピュータを接続するシステムが実際のところ画面の前にいる人間同士を接続しているのと同じように、シェア工房というインタフェースは人と人を接続している。

 人々が世界各地のシェア工房を飛び回るというイメージは、僕にとっては清々しい。
 飛び回る、つまり移動生活ということだけど、これまでハードウェアに関わる人間は、あるいは物体でなにかを作る人は移動生活を行うことが難しかった。なぜなら、物を作るのに必要な道具を持って移動することが難しいからだ。「ノマド!」とか「旅をしながら仕事を!」という人々は、大抵ラップトップが一台あればできる職種の人達ばかりだ。木工の家具職人で自分の道具一式を持ち歩いて世界を回っている人はほとんどいないと思う(かつてはノコギリやノミを持って渡り歩く人達もいたけれど)。ハードを作るには、それなりの設備が要る。ノコギリくらいは持って歩けるが、万能木工機やフライスや旋盤を背負って歩くわけには行かない。電子回路を作成する人には電子回路を作成するための、金属でバイクのフレームを作っている人にはそのための道具が必要になる。そういうものは今のところポータブルではなく、どこかにドシンと設置しておくしかない。
 置いておくしかないのであれば、行った先に置いてあればそれでいい。その役割は世界各地のシェア工房が担いはじめている。

 インターネットの世界で起こったことは現実世界でも起こるようになると時々まことしやかに言われるが、たぶんこれは本当のことだ。
 今のところ、移動生活が可能なのはインターネットに近いところで仕事をしている人達、つまりそのコンテンツ作成者やソフトウェア関連の人達ばかりだ。次の10年はリアルなマテリアルを扱う人達が移動生活を始める。ホテルや宿のお陰で快適な旅行ができるように、シェア工房のお陰でハードウェアに関わる人々の移動生活は可能になる。逆に言えば、何かを生み出す技能のある人間はシェア工房のある街を渡り歩くので、シェア工房のない街は「作る」ということに関する世界的な人々の往来から取り残されることになる。
 これまで自分の工房に半分は縛られていた沢山の製作者達が、軽やかに世界を旅するように暮らし、行く先々で何かを生み出すという時代が幕を開けようとしている。

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