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「思考の余白」にゆだねる

何も考えない時間がほしい。

毎日、仕事でもプライベートでも文章を書いていると「何も考えない時間」がいかに大切かに気付かされる。付け加えると「何も考えていないようで、考えている」ということを知っている。思考に余白を与えることで無意識が機能する。良いアイデアが生まれたり、悩んでいたことが知恵の輪をするりと外すように解決したり。それはもちろん、その前段で頭の中が火をくべた備長炭のように真っ赤っかになるくらい考え抜いた時間があってこそ生まれるのだけれど。

僕たちは経験則から、「思考の余白」の手綱を握ろうと試みる。湯船に浸かってみたり、お気に入りのカフェに足を運んだり、あるいは意識的に寝てみたり。どうなるかわからないけど、「何かを前進させたい」という気持ちで環境を変えたり、瞑想に似た行為を自分に課してみる。「何も考えない」を積極的に整える。

たとえば、「締切まであと3時間しかない」という状況で、いまだにゴールが見えていなくても、不思議と「半分の時間が過ぎた頃にはなんとか形が見えているだろう」という推測を立てることができる。今までの経験から知っている。ぼんやりだけど「なんとかなる」気がしている。そして、それはやっぱりなんとかなってしまう。その構造を紐解いていくと、膨大な量の思考が自分の中に蓄積されているからだということに行き着く。

何も進んでいないようで、頭の中では思考が蓄積している。考えなくなった時に、思考は互いにリンクし合ってスパークする。自分でも思いもよらないアイデアや文章が自然と浮き上がる。本当に不思議。

大人になるにつれて、自分をコントロールすることが上手になっていく。まるでロールプレイングゲームの主人公みたいに、客観的なもう一人の自分が「僕」を動かしている感覚。目の前の課題をクリアするために人と話をさせたり、本を読ませたり、音楽を聴かせたり、ベッドで眠らせたり、コーヒーを淹れさせたりする。自分が選択しているというより、もう一人の自分が「僕」に指令を出しているイメージ。

何も考えない時間がほしい。

もう一人の「僕」が、「何も考えない時間を与えろ」と言っている。きっと今、僕に必要なものは「思考の余白」なんだ。どうなるかはわからない。でも、なんとかなる気がする。山積みの締切を前に、ふとそんなことを思う。

今日は電波の届かない山へ行く。ちょうど良いタイミングなのかもしれない。そこでの「余白」が、きっと課題を解決するヒントをくれるはずだ。


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自然や大地を身体で感じると普段の感覚がリセットされます。思考はクリアになり、むしろ、感度が高まります。インプットの質も変われば、当然アウトプットの質も変わる。地球を味わうことは、「思考の余白」を与える最大の営みだと思います。感じることで、洗われる。

アメリカのユタ州にある、たなかともこさんのコンドミニアム。バケーションレンタルとして利用できます。星降る広大な大地でキャンプするなど、ディープなアメリカ大陸を味わいたい方へおすすめです(お気軽に相談にも乗っていただけるようです)。

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