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嘘は、あまりにあまやかで

十月も最後の日を迎えました。

七日に行われた、作家の浅生鴨さんと編集者の今野良介さんをゲストに迎えた対話パーティについて振り返ってみようと思います。「対話パーティ」とは、TwitterのSpacesという機能ではじめた対話型インタビューのこと(間もなく200回目を迎えようとしています)。

鴨さんは、先月『ぼくらは噓でつながっている。』という本をダイヤモンド社から刊行しました。担当編集が今野さん。鴨さんの本ということにも惹かれたし、今野さんが編集することにも胸が躍った。さらに、この読書体験は格別で。ページをめくるたびに、からだにくっついていた重たいモノがふわふわと浮かんでゆき、どこかへ消えていった。最後はもう、自由に飛び回るほど軽やかで。

本や映画は、個人的な体験だと思っています。誰かと共有したい想いが起こるときもあれば、そっとひとりで大事にしまっておきたいときもある。じぶんだけの特別な体験として。この本は、まさにそういう種類の、“わたしにとって”最高の本でした。

はじまりの、はじまりに。

本題に入る前に、わたしは鴨さんにお礼を伝えました。詳しいことは省略しますが、過去に二度、わたしは鴨さんから“あしながおじさん”のような恩恵を受けたことがあります。そのとき、お礼のことばを添えたことばをメールで送ったのですが、そのどちらにも返事はありませんでした。そのことを話すと、鴨さんはひとこと。

「え?覚えてない」

本当のようで、それは嘘のようでもあって。そう、嘘のプロだから、どっちなのかわからないけれど、わたしとしてはどっちでもよかった。とにかく、かっこよかった。

ただ、鴨さんは過去に対してはあまり興味がないみたい。「しょせん、“過去”なんてものは、“現在”からラベリングしたモノに過ぎないのだから」と。そのとき、どう思ったか、どう感じたか。というのは、その瞬間でなければわからない。振り返って、頭を働かせたとしても、それは結局“あとづけ”に過ぎないのだから。現在、今、この瞬間にこそ、価値がある。

そこから、流れるように「嘘」についての対話を重ねました。

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