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Blue&Gold Talk vol.2

広沢タダシさんと花*花さんの語らいの場。後編(vol.2)をお届けする。前編(vol.1)では相手と自身の楽曲の中から「思い入れのある作品について」を紹介してもらった。今回は、それぞれの趣味から、日常における「創作」の欠片を拾い上げる。

実験的な対話。意図的な回り道は、僕たちを不思議な場所へと連れて行ってくれた。

Art de Vivre

生活の営みの中に、その欠片は落ちている。


***


料理と絵画と動物と

嶋津
お三人さんのSNSから受ける印象から、お話を進めていこうと思います。いづみさんのTwitterにはおいしそうなお料理がたくさん出てきますよね。そのセレクションが素敵だなって。外でお召し上がりになった写真が多いですか?

こじま
もちろん外に飲みにいくのも好きですし、家でごはんをつくるのも好きです。特にお酒のアテが(笑)。

最近だと、燻製用の土鍋を買ったんですね。網を敷いて、下にチップを入れて。それでウィンナーや玉子、ししゃもを入れて燻します。燻している時間に、缶ビールをぷしゅっと開けて「どうかなぁ?」とちらちら見るのが好き。

嶋津
いづみさんが話すと、もうおいしそう(笑)。料理ってつくりはじめてからでき上るまでの「時間の流れ」がありますよね。そういう意味では音楽と親和性が高いと思っていて。

最近、広沢さんは絵を描いていらっしゃいますよね。写真とは違い、絵画も「時間の流れ」を必要とする創作です。

広沢
そうなんです。今までもエッセイなどで絵を描いたりしていたのですが、あれは「下手」ということが売りで、ちゃんと描いたことはなかった。

40歳を超えて、ある日、「画家になろう」と思った。今までは考える前に筆を動かしていた。ふと「考えて描いたらどうなるんだろう?」と。一口に「絵を描く」と言っても水彩画、水墨画、イラストなどいろいろと種類があります。その時、「一流は油絵だ」と耳にした。

嶋津
まずはてっぺんから。

広沢
油絵なんてやったことがないし、触ったこともない。道具を買ってきて、要領がわかる人にやり方を教えてもらった。「油をどうすればいいの?」という初歩的なところから。

今や、〝YouTube〟という先生がいて、描き方を教えてくれる。何度でもね。その中で「30分で風景画を描く」というクリエイターがいた。30分レクチャーを受けて、その通り描いてみたら別人のようになった。

「あれ?」となって。もう一回別の動画を30分見たら、もっと伸びた。

こじま
伸びしろがすごい。

おの
開花したね。

広沢
そこからが問題で。それは結局コピーですから。「自分の絵を描くには」というところで立ち止まっている状態です。デッサン一つしたことがないので、基礎が全くない。だからこれから少しずつ学んでいこうと思っています。

表現として「絵を描く」というのは一生できるなって。描きたいアイデアはあります。だから描けるのではないかと思っていて。

嶋津
音楽の領域と似ている要素はありますか?

広沢
ありますね。「何を描こうか」というテーマ付けや比喩的な感覚表現、色合い、奥行き、物語。多くの場合、ポップスは5分で完結します。その短さも含め、ぱっと見た時に「それが何を物語っているか」という。そのスピード感は似ていますね。

嶋津
料理や音楽の場合は、味わう側にもわかりやすく時間を必要とするのですが、絵画は受け手の内面で時間が流れている。そこにも似た感覚があるというのは、紐づけることができれば、使っていない筋肉が鍛えられそうですね。

まきこさんは子猫ちゃんにメロメロだというお話をお伺いしました。

おの
一歳になりました。拾われた子なんですけど、すっかり家猫になりまして。今もゴロゴロ寝ていると思います。

嶋津
もともと動物がお好きだったのですか?

おの
動物大好きですね。子どもの頃からワンちゃんを飼ったり、ハムスターを飼ったり。金魚、ウサギ、インコもいた。ニワトリをひよこの頃から育てたこともあります。

嶋津
犬や猫はコミュニケーションがとれる印象があるのですが、ニワトリもなついたりするのですか?

おの
なついていたのかな?でもね、お部屋の中でぴよぴよ歩かせたりしていましたよ。

こじま
思っているよりもちゃんと気持ちは繋がっているよね。そんな気がする。

嶋津
お三人さんからは「動物と会話できそうな雰囲気」を感じ受けます。音楽というのはプリミティブな表現です。つまり、言葉を超えた部分でのコミュニケーションという意味で、相手の想いを受け取ったり、こちら側の想いを伝えたりすることに優れているような気がするのですが。

こじま
わかるような気がする。

嶋津
きっとお三人さんは、幼い頃から特に優れた感覚があったのだと思うのですが。子どもが動物とコミュニケーションをしているのを見ると、「人⇆動物」の関係性が対等な印象を受けるんですね。もしかしたら、小さい頃は誰もがその力があったのかもしれない。

これは仮説ですが、音楽家はその部分を大切にしながら、それを自分のクリエイティブな表現活動に生かしているんじゃないかって。

こじま
でもね、ミュージシャンって、ずいぶん偏っている人が多い気がする。一般の人に比べると大きく欠けている部分があるよね。

おの
言ってみればただの「音楽オタク」ですからね。

嶋津
欠けた部分が音楽に対する能力に偏ったような。



「憧れ」と「嫉妬」

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嶋津
一年前のトークショーでは三人の「憧れ」についてお伺いしました。その時、共通して名前の挙がったアーティストが「キャロル・キング」。憧れはリスペクトを抱く存在です。

そうではなく、日々の生活の中で耳にする音楽、あるいはミュージシャンとの共演の中で「嫉妬」を抱く瞬間はありますか?それは音楽だけでなく絵を描く人かもしれないし、文章を書く人かもしれない。料理家、写真家、あらゆる表現において。もちろん具体的な名前は挙げなくても構いません。

おの
みんな「すごいな」って思いますね。

広沢
「その人自身」というよりも、例えば、「そのテーマについてそんな書き方をするんだ」ということはありますね。なんとなく思い浮かんでいたことを、先に別の誰かに生み出されていて「それはオレが書くつもりだったのに…」というような想いを抱くことはあります。

おの
それはちょっとあるかもしれない。「私も書きたかったの」ということは。でも、嫉妬心というのは年齢を重ねるごとにだんだんなくなっていきますよね?

広沢
デビュー当時は同世代のミュージシャンもたくさんいた。でも、30歳を過ぎると「続けている人」が減ってくる。だから若い時の方が多いのかもしれない。「自分より後にデビューした人が売れていく」ということも山ほどありました。ただ、そこに対してあまりジェラシーを感じない。

「持っている才能」と「評価されること」は違います。才能と評価が相対関係にあれば、才能に対して羨むこともあるかもしれません。でも、「売れる」ということにはそれだけでない要素がある。

それよりも、自分が思う「いい曲」を書かれた時の方が心は揺らぎますね。

嶋津
世の中からの評価ではなく、純粋に作品に対する目ですね。

広沢
それが売れていなくても、プロの作品でなくても、全然いい。「これはすごい」という出会いはある。でもそれはね、嫉妬とはまた違うような気がします。尊敬の方が大きい。いいものは世の中から評価を受けて欲しいという想いはあります。

おの
まさに広沢くんの言う通りですね。嫉妬よりも「この人もっと売れればいいのに」ということは思いますね。「もっと聴いてほしい!」と勝手に勧めはじめたりね。「自分にはこれをつくれない、書けない」ということはたくさんありますから。

広沢
今日ね、亮太くんにレコードをプレゼントしようと思って買ってきたんです。誕生日のお祝いに。

CDショップに行くと、とても好きなアルバムがレコードになっていた。寺尾紗穂さんの最新作。彼女はピアノの弾き語りのシンガーソングライターで、「いつかお会いしたい」と思っている一人です。

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亮太くんがレコードを聴く道具を持っているかはわからないけれど、モノとしてもすごく素敵だったのでプレゼントをしようと思った。

嶋津
とてもうれしかったです。早く聴きたい。レコードって印象が違いますよね。

広沢
違います。音の力も違います。

寺尾さんの楽曲は、曲を書く時などに聴いていて。特に歌詞の部分。依頼があった時、(創作する)モードに入らないといけない。そういう時に寺尾さんの曲を聴く。言葉をたくさん持っている人だし、刺激されます。

嶋津
創作に入る時の扉のような。いづみさんは、創作に入る時にそのようなきっかけみたいなものを持っていたりします?

こじま
多分、「降りてくる」というようなことを期待されていると思うのですが(笑)。私の場合、「お散歩していたらメロディが浮かんだので…」というようなことは一切なくて。「つくろう」と思ってピアノの前に座り、譜面を置いて、時間を決めて必ずその時間内につくる。

嶋津
PCの電源を入れるような感覚で起動する。

こじま
そうですね。「つくる」と決めて、その気持ちでつくる。だから「つくらない」と思っているうちは何をしてもできないし、そのモードの時はつくらない。いわゆる天才モードではなく、どちらかというと職人的な曲のつくり方をしています。

嶋津
それは少し意外でした。

こじま
イチローさんが自分のことを「天才じゃない」と言っていて。その言葉を聞くまで、私は彼のことを天才だと思っていました。そうではなく、「僕は努力をした秀才であるが天才ではない。天才は結果を論理的に説明できない。なぜそうなったかの理由がわからない」って。

例えば、天才は曲を書いても「どうしてこのコード進行でこの言葉を並べたのか」ということの理由を説明できない。「何だかわからないけどこんな曲ができちゃった」と言って人を感動させる。私は自分が作っているものを一字一句全て説明ができる。だから天才じゃない。どこからか降りてきたものではなく、「こういうものをつくろう」と思ってつくっている。

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そういう意味では料理に似ているかも。つくろうと思って、下拵えをして、「この野菜ならば何分煮ると味が染み入る」とか「こっちの味付けの方がいい」とか。そういう感覚と似ています。「何だかわからないけどおいしいもの」というのを、私にはつくることはできない。

嶋津
おもしろい。でも、そこにあるグルーブ感というか、偶然性のようなものはあるような気がします。料理にお酒を合わせるようなもので。計算の外にある揺らぎを感じるのはロマンティックですよね。

こじま
例えば、絵を描いたり、他の趣味を持っていた時にそれが音楽に通じるなっていうことと同じで。料理にも味付けのジャンルがあって。自分がつくる中で、いろんな材料やスパイスを入れて、テイストをつくっていく。それが「自分の一皿」───「自分の一曲」になっていくことと一緒なんじゃないかなって。

好きなジャンルや、もともとのルーツがあったり。自分が大好きなルーツでも〝日本人〟ということは変えられないので、全てそこに行くことはできないのですが、スパイスとして取り入れることは大丈夫。そういうことがわかってきてから嫉妬しなくなってきました。

おの
創作料理だね。

こじま
そう、小料理屋みたいな。特に花*花はそうかなって思う。身近にあるもので奇をてらわずに家庭料理をつくる。でも、絶対に体に良くて、食べると元気になってもらえるような。

嶋津
気持ちいいくらいに深いところまで腑に落ちました。「ああ、それ、花*花さんの楽曲だ」って。

おの
だから難しい言葉も出てこないですし、宇宙の歌も出てこない。

こじま
そのうち作るかもしれないけどね(笑)。先のことはわからないけど。

おの
今のところは地球の歌ですよね。日常の歌。年齢によってもつくるものも変わってくるし。

嶋津
料理を食べる上での味覚の変化もありますよね。僕はバーテンダーをしているのですが、例えばビールには苦みがありますよね。若い時は苦手な人が多い。でもそれは経験値や味覚の変化によって、苦味に対して「おいしさ」を感じ取ることができるようになってくる。

人はこれを「味覚が衰えた」と捉えがちですが、僕たちからするとおいしいと感じる部分が増えているので「成長している」と捉えている。それと同じ要領で経験を重ねることで感動するものやつくるものも変わってくる。

こじま
それは幸せな考え方だね。

おの
確かに変わっているような気はしますね。そしてこれからも変わっていくような気がする。

こじま
いつまでも「レモン酎ハイじゃないんだぜ」っていう感じですね。

おの
「熱燗をおいしく感じる季節になってきたな」ということもある。

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嶋津
広沢さんとお話させてもらう機会が多いので余計にそう感じるのかもしれませんが、広沢さんは生命を削りながら一枚一枚アルバムをつくっている印象を受けます。ダイアモンドみたいに、自らの身体を削って光を放っているような。作り終えた時に、抜け殻のようになるんじゃないかと思うくらいに。

広沢
どちらかというと、そうですね。あまり、「味付けを考えて料理する」というのは得意ではないかもしれない。自分の身を削って、そう、自分の人生からヒントが出てくるタイプで。一枚一枚、大変ですね。

『月の指揮者』というアルバムはまさにそうで。完成した時に「できた」という感覚があった。歌っている内容も、サウンドを含め音楽的にも。その後、「次はどうしよう?」となった。

工夫して酎ハイじゃないものを考えた。「飲んだことがない日本酒を飲んでみたらどうなんだろう?」と、家に機材を揃えて、マイクを揃えて、無理矢理つくった。それはそれでよかったのですが、でもやっぱり『月の指揮者』という存在は大きくて。

日本酒の次を探す。ウィスキーを飲んだことがないから、「スコッチウィスキーを飲んでみよう」とロンドンへ行った。もちろんウィスキーは比喩としてね。

二ヵ月間のレコーディング。そこで「あ、ここからまたつくっていける」という気にさせてくれた。それが『Siren』というアルバムになった。だから僕の中で工夫をして自分を刺激しているところはありますね。

嶋津
なるほど、〝調理〟というよりも〝発酵〟に近いのかもしれない。環境に身を置くことによって、アルコール発酵させて醸造する。

広沢
だから、職業作家のように「こんな感じで」と言われてもサッとはつくれない。

嶋津
形にしてしまうと一度空っぽになりますか?

広沢
一つのテーマが見つかるまでは大変です。

嶋津
「見つけよう」と思って見つかるものでもなかったり。

広沢
でも、見つけようと思って歩いていないと見つからない。常にそこのスイッチは入れておかないと、同じモノを見るにしても、何もなくてパッと見るのと、「曲どうしよう?」と思って見るのでは見え方が全然違う。

嶋津
僕、今小説を書いているんですね。加えて言うと筆が止まっていて。最初の方を見返してみると文章が拙く見える。その話を広沢さんにすると「わかる」と言ってくれました。「アルバムにも同じことが言える」と。

広沢
本気で取り組んだ作品って、終わった時って古いんです。

こじま
完成したその瞬間からいろんな後悔があるから、「こうしたらよかった」「もっとできたんじゃないか」とかね。

おの
〝パーフェクト〟の作品ってないですよね。

こじま
画家の人が同じ絵を何回も何回も描く気持ちがすごくわかる。「もっとできた、もっとできた」って。「睡蓮ばかりだな」って周りの人は思うかもしれないけど。作家の中には「もっとこうできた」という想いがあるんだろうなって。

嶋津
テーマは同じだけれど、もっとこうできたということがある。

広沢
でもね、それがいいんだと思います。それだけ本気で取り組んだということだから。

おの
その瞬間はね「これだ」と思っていても。

こじま
それを持ってツアーに出て、お客さんに聴いてもらうことで曲も成長していく。

おの
だから「次」を作るんでしょうね。

嶋津
楽曲制作の工程で乗り越えていく部分と、全国を周りながらお客さんの前で演奏していくことで伸びていく部分があるのですね。

こじま
本当にそう。聴いてもらわないと曲は育たない。一生懸命つくってもね。

おの
そう、聴いてもらわないとただの自己満足になってしまうからね。


***



この語らいから数週間を経て、僕は小説を書き上げた。僕にとっても、大きな収穫のあるひと時だった。いづみさんの言葉が印象的だった。

画家の人が同じ絵を何回も何回も描く気持ちがすごくわかる。作家の中には「もっとこうできた」という想いがあるんだろうなって。

三人にとって創作に最も重要なものは「テーマ」なのかもしれない。何度も、何度も、別の角度からそれを表現する。なかなか答えには辿りつくことはできない。そして広沢さんとまきこさんの言葉。

本気で取り組んだ作品って、終わった時って古いんです。
〝パーフェクト〟の作品ってないですよね。

曲は「奏でる」だけでは育たない。奏でる人と聴いてくれる人との対話によって、あるべき姿に形を整えていく。それは文章にも同じことが言えるのかもしれない。書いたものを、読んでもらい、磨き上げていく。

彼ら(彼女ら)の日常には、「創作の欠片」が埋もれている。それを一つずつ手にとって、磨き上げる。まだまだ聴きたいことは山ほどある。それはまた、次の機会に。

この語らいから数週間を経て、僕は小説を書き上げた。次は、それを読み手へ届け、育んでいこうと思う。



▽Blue&Gold Talk vol.1▽


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