生きる意味考えるときはたいていね 暇ができたり雨がふるとき
男心が難しい。
わたしは「男」なのだが、男性の気持ちがよくわからない。歳を重ねるごとにそう思うようになってきた。それは「女心がわかる」という自惚れではない。女性の人の気持ちを聴いていると納得できることが比較的多いということ。それに対して、男性の人の気持ちを聴いていても「よくわからない」と感じることが多いのだ。
“対話”を心がけるようになり、より「ひとりの人間」として目の前の相手と向き合うようになった。それはつまり、年代や性別などの先入観を捨て、目の前の相手のことばに耳を傾けるようになったということ。にもかかわらず、なぜか気持ちがよくわからない人は男性に多い。だから、不思議と「男心は難しい」と感じてしまう。
傾向として、基本的に彼らの行動や発想は突拍子もなく、やけに嘘がヘタな印象がある。女性の嘘は目的がはっきりしていることが多く、巧妙であるのに対し、男性の嘘はテイストもこれまた奇妙なのだ。つまり、理由が伝わらない嘘をつきがちだということ(しかもすぐにバレる)。
そんなことをなんとなく考えていると、信頼のおける女性がこのようなメッセージをくれた。
確かに、男性は人に弱みを見せるのがヘタかもしれない。また、ここには女性と男性のコミュニケーションの質における差があるように感じる。つまり、何を、どのように、伝えるのか。そこで、ふと思った。
もしかすると、男性は自分の感情をことばで表現することが苦手なのかもしれない。考えをことばにしたり、計画を練ることはわりと得意。だけど、感情についてはことばにすることが少ない。男心が難しい原因は、感情を人に伝える表現力が乏しいからなのではないだろうか。そのような仮説を立てた。
「伝わらない」のは、表現することに慣れていないだけ。佇まいでも、ことばでも。感情を上手に表現できるということは、“感情的”という意味ではない。人が理解できる状態で伝えることを指す。女性はそのことに対して、慣れている人が多いのだと思う。事象より心象にフォーカスして、気分を表現したり、誰かと共有したり、ことばに尽くしたり。家族や仲間、友人にそのことを伝えてきた回数が男性に比べて圧倒的に多いのだろう。
男心も女心も、どちらも“心”だ。わからないのは、心を上手に表現できていないからで。もし、表現できたとしたら、性別関係なく、“心”は伝わるような気がする。わかりたい。わかるといい。受取り手のこちらだけでなく、表現する側のあちらにとっても。
不機嫌なオジサンが多い理由は、そこなんじゃないかと思ったりする。しかめっ面したオジサンの姿は、自分の感情を「伝わるカタチ」で表現することをあきらめてしまったなれの果てなのではないだろうか。これはコミュニケーションの問題だ。伝えようと思ったら、相手のことを知らなければ「伝わるカタチ」を模索することはできない。それを省いて、「自分は機嫌が悪い」ということを一方的に発信している方が楽なのだ。
だから、“心”を表現することの重要性を男性にも伝えていこうと思う。もちろんわたし自身も感情を表現することを練習していきたい。ただ、大上段の構えで見えを切って発言したとしても、こういう話はなかなか聴いてもらえない。積極的に、こっそりと伝えてゆくほかない。何かの“ついで”くらいの感覚で。
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