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ダイアログ・デザイン(メモ書き1)

ダイアログ・デザイナーを名乗っている。

世界でぼく一人しか使用している人はいない。だから「ダイアログ・デザイナー」とはいったいぜんたい何なのか、誰もよくわかっていない。そのことを嘆いたところで状況が変わることはない。なぜならば、その肩書ををつくったのは「ぼく自身」だからだ。つまり、ぼくが何かしら提示していかなければ、それは「存在しなかったこと」として誰も知らないままインターネットの藻屑となり消えてゆく。

プロフィール欄に「地縛霊のようなもの」を抱えて暮らすのはやるせないので、言葉を与えて生命を吹き込んでいく。実はまだ明確な定義が存在しているわけでもないので、ぼくとしても思考の整理につながるのでメモ書きとして残していきたい。

これは以前、提起した「ライターの価値を上げる」という試みの地続きにある。「ライター」とは大きく「文章を書くことを職業とする人」のことを指す。ここには、小説家や劇作家、あるいは詩人、歌人、俳人、随筆家などは含まれない。反対にいえば、それ以外の文章の書き手のことを「ライター」と呼んでいるようだ。つまり、「主観をベースにしない書き手全般」ということになる。

具体的には、書籍の文章をまとめたり、雑誌やネットで取材した記事を書いたりする人。著者やインタビュイー、取材対象など明確な存在がいて、その裏側で彼らの言葉や思考をまとめる職人みたいなものだ。

その時、あることに気付く。「ライターの仕事」とはまさに「文章を書くこと」だが、そこに向かう工程に別の能力が求められ、「ライター」として本質的な価値があるのは「書く以前の能力」なのではないだろうか(あらゆる能力は「書く」に直結してはいるのだが)。端的に説明すると「書く(まとめる)」だけに特化してしまうと、またたく間にAIに取って代わられるということだ。

依頼主の立場に立った時に「この人に書いてもらいたい」という考えは、「書く」の外側にある。その話を書くと長くなるので「ライターの価値を上げる」を読んでほしい。

「ダイアログ」とは「対話」である。

ぼくは「対話」に価値を置き、「対話」をデザインすることに決めた。それは、向かい合った人と話を積み上げるだけではなく、「対話」のある場所をつくることも並列して。

ぼくのデザインする対話は「インタビュー」という言葉で言い換えることができるかもしれない。ただ、あえてぼくは「対話」という言葉を選ぶ。インタビューは、はじまりとおわりを比べた時、インタビュイーの考えは変わっていない。しかし、良き対話ははじまりとおわりでは別の考えになっている。ぼくはそこに価値を見出す。

良き「問い」を置きながら、話者と共に考えていく。それは、カウンセリングの要素も含まれるが、どちらかというと一緒に考えを膨らませていくイメージだ。いろいろな「問い」を並べ、そこに起こる波紋を観察し、新たな「問い」を置いていく。それらが言葉へと収斂された時、新しい輝きが生まれることをぼくはよく知っている。

つまり、話者は「対話」を通して、思考を深める時間を共有し、新しい視点や問いを獲得する。大げさに言うと、話しはじめる前と後では人が変わっている。

クリエイティブ・ダイアログ

良いインタビュー記事を書いた後、「考えをわかりやすくまとめてくれてありがとう。このインタビューはわたしにも新しい発見があった」と言ってもらえることがある。

ぼくは、インタビューの領域で、あるいはそれらを言葉に収斂し、文章に整えていく工程でその力(価値)を体験してきた。だから、ぼくのインタビュー記事には必ず主観が入る。新しい視点を添えて、整える。

クリエイティブ・ダイアログは、それを「対話」の領域で転用する試みだ。ぼくと話していると、アイデアが浮かんだり、考えがまとまったり、隠れていた価値に気付けたりする。そんな「対話」をデザインする。

それは一対一のコミュニケーションだけでなく、オンラインCafeBarDonnaという「場」づくりもまた同時に進めている。「空気の研究」と言って、対話のある場に音楽の要素を取り入れることもはじめた。

そして、「対話」の音声配信もはじめた。それは「ダイアログ・デザイナー」という仕事を広めるために必要な試みだと思っているから。この運動に興味を持ってくださっている人は、ぜひともSNSでシェアしていただきたい。


メモ書き、その1おわり





「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。