Well-being
身体と精神が共に健やかな状態のことをウェルビーイングと呼ぶ。自分の生き方に対して、自信が持てている状態。そこには社会的な要素も含まれる。ざっくりと言えば、コンディションが良好ということ。
基準は自分自身の中にあるもので、数値化できるものではない。多様性が謳われる世の中になり、個人単位で幸福を考えることができるようになった。正確にはその前からそれは可能だったのだけど。
自分の基準で「豊かさとは何か」を考えることに対して、周囲の偏見から解放されはじめたということ。簡単に言えば、経済的な観念に縛られることがなくなった。あるいは、パートナーをつくることの自由や結婚に対する価値観が個人単位に委ねられた。これらの例はほんの一部に過ぎない。
良い世の中だ。モノが飽和しはじめた頃に津波のように押し寄せた「自己実現」という見えないプレッシャーからも解放された。いろんな人がいて、その数だけいろんな幸福がある。隣の誰かと比べる必要はない。
にも関わらず、もどかしい心は消えない。
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都市化というのは、「個」の同一化である。課題解決の対価として経済的な資産は増えていく。マスメディアの広告によって、流行は操作され、消費者は同じものを食べ、同じ服を着て、同じような家に住む。経済は、大量生産と大量消費の連結によって膨れ上がる。
そんな話を聴いて、今の僕たちは「なんかちょっと違う」と感じる。潮流は変わりはじめた。いつ頃からか、ローカライズという言葉が身近なところに現れ、カルチャーに重心を移しはじめた。画一化された光景を斜に構えながら眺めるようになった。
ライフスタイルとコミュニケーションは大きく変わりはじめた。
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豊かさとは何か?
今一度問う。自分にとって「豊かさ」とは何だろう?自分の生き方に自身が持てている状態とはどういうことなのだろう?贅沢な課題だけれど、僕たちは自分で決めなくちゃいけない(本当のことを言えば、それさえも「決めない」という選択肢が僕たちにはあるのだけど、思考しなくなればきっと文章さえも書かなくなるだろうから)。そう考えると、答えが決められていた世の中の方が生きやすかった人もいるのかもしれない。
「もどかしさ」の意味を考える。きっと僕は言葉にしたいんだ。欲望の発露を、潜在的な感情を。枠を与えた瞬間に、はっとわかる感覚がある。そこに落ちている言葉を拾うだけでなく、潜んでいる言葉を採集すること。それができれば、とても楽しいだろうね。
拡声器で騒ぐようなことではなく、月明かりに濡れた湖の底から、そっとすくい上げるように。僕は言葉を届けたい。楚々と。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。