共感と反感の狭間で
先ほどまで、「全体を感じる」という記事を書いたのですが、あまりに抽象的になり過ぎてしまい下書きに直しました。コミュニケーションにおいて重要な観点(というより、わたしの課題)ですので、もし読んでみたいという声があれば、次の機会に公開しようと思います。
さて、今回は自分との対話。
普段から「対話の9割は内省である」と言っておりますが、対話は相手とのコミュニケーションであると同時に、自分とのコミュニケーションでもあります。言い換えると、自分のことを知るために、相手と対話をする。つまり、相手が触媒となって自分を深く掘り下げる行為です。同時に、それは相手にとって自分が触媒となることを意味します。
「あなたは、あなたらしさに一所懸命であればいい。」
このことばを掲げて、ライフワークとして対話に取り込んでいますが、その辺りについて詳しく書いてみようと思います。
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前提として
日頃から、対話をする上での心構えとして、「相手のことばをそのまま受け止めること」をお伝えしています。肯定も否定もしなくていい。ありのまま、そのままを、フラットに受け止める。当然、それは簡単なことではなく、ある意味、幻想としての“フラット”ですが、心構えとしての意識は大切です。
そもそも「受け止める」ができなければ、先入観やバイアスによって相手のことばを拾えなかったり、遮断したりしてしまいます。その途端、対話の不在がはじまります。
ここからの話は、その前提のもと読んでください。
「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。