見出し画像

共感と反感の狭間で

先ほどまで、「全体を感じる」という記事を書いたのですが、あまりに抽象的になり過ぎてしまい下書きに直しました。コミュニケーションにおいて重要な観点(というより、わたしの課題)ですので、もし読んでみたいという声があれば、次の機会に公開しようと思います。

さて、今回は自分との対話。

普段から「対話の9割は内省である」と言っておりますが、対話は相手とのコミュニケーションであると同時に、自分とのコミュニケーションでもあります。言い換えると、自分のことを知るために、相手と対話をする。つまり、相手が触媒となって自分を深く掘り下げる行為です。同時に、それは相手にとって自分が触媒となることを意味します。

「あなたは、あなたらしさに一所懸命であればいい。」

このことばを掲げて、ライフワークとして対話に取り込んでいますが、その辺りについて詳しく書いてみようと思います。

前提として

日頃から、対話をする上での心構えとして、「相手のことばをそのまま受け止めること」をお伝えしています。肯定も否定もしなくていい。ありのまま、そのままを、フラットに受け止める。当然、それは簡単なことではなく、ある意味、幻想としての“フラット”ですが、心構えとしての意識は大切です。

そもそも「受け止める」ができなければ、先入観やバイアスによって相手のことばを拾えなかったり、遮断したりしてしまいます。その途端、対話の不在がはじまります。

ここからの話は、その前提のもと読んでください。

ここから先は

1,078字

「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。