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写真に現れる「人」【Last Night オンラインバーvol.39】

昨夜のオンラインCafeBarDonnaは、フォトグラファーのLisa Itoさんによる「写真を読む会」でした。

この企画はダイアログ・ジャーニーでインタビューさせていただいたことがはじまりです。その回では、Lisaさんの写真の「読み方」に興味を惹かれ、たくさんお話を聴かせていただきました。収録後にLisaさんが「みんなで写真を読めるといいですね」とおっしゃったので、「CafeBarDonnaでできたら楽しいです」とお伝えしました。

間もなく、企画書を送ってくださり、この回が実現しました。この提案力、そして速度感、素敵です。言わば、Lisaさんの持ち込み企画です。

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参加者には、事前に1~8枚の写真を送ってもらい、それを一枚ずつ(あるいはそれら全体を)見ながら印象をことばにしていきます。Lisaさんが、「読み方」の道案内をしてくれます。それは、限定された「読み方」ではなく、補助輪のような働きで。Lisaさんの視点を自分の目に重ねると、写真の見え方が豊かになっていきます。この体験は、とても楽しいものでした。

「写真を読む時、まずどこに目が行くか」という普遍的な視点から、参加者それぞれの視点へと移っていきます。たとえば、「人」から「全体」へと視点は移っていく中で、撮り手は何を意図して(心地良いと感じて)その構図を切り取ったのか。

ある人は「そこにある豊かな情報を伝えたい」、ある人は「日常にある小さな発見を残したい」、ある人は「こころ惹かれた質感を切り取りたい」、ある人は「揺らぎの中を漂いたい」。

本当に、それぞれが異なる写真を撮るんです。人の数だけ、写真はある。

インタビューの中で出てきた「窓と鏡」の話を、身体的に理解できました。窓の役割のように自分の外側の光景を写す人。鏡の役割のように自分の内側の光景を写す人。それは、「名詞」を撮るか、「形容詞」を撮るか、「副詞」を撮るか。といった表現にも重なります。

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参加者がそれぞれの感想を伝え合い、たくさんの発見と再発見が起こり、気付いたら自分の撮った写真が好きになっている。愛おしいやりとりです。

これも対話である。

写真を撮る行為も〈対話〉であり、写真を読む行為も〈対話〉であり、それらを語り合う場所や時間も〈対話〉である。会がはじまる前と、終わった後、それぞれが別の思考や感情になっている。

Lisaさんはとても「ちゃんとした人」なので(どういう紹介w)、「オンライン」ということにわずかな懸念があったようですが、ぼくにはうまくいく自信がありました。感度の高いメンバーが集まっていますし、何よりぼくが体験してみたかった。Lisaさんが話すだけでもおもしろいですから。

実際、豊かな時間であったことは、参加者の感想レポートを読んでいただけるとよくわかります。

ぼくだけの提案だけじゃなく、参加する人がたくさん提案して、一緒に形にしていくオンラインCafeBarDonna。いろんな人が出会い、体験を共有する場所。豊かに育っていくことが楽しみです。

Lisaさん、豊かな時間をありがとうございます。紛れもないギフトでした。参加者のみなさん、ご一緒できてとてもうれしかったです。ありがとうございました。


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Lisa Itoさん

参加者のみなさんのレポート


〈オンラインCafeBarDonna〉



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。