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「正論」は取り扱い注意~敵をつくる人は負ける~

ぼくは、ダイアログ・デザイナー(対話をデザインする人)としてことばや対話にまつわる仕事をしています。ぼくの場合、そこにくっきりとした輪郭を与えているだけで、それらの内容は日々のコミュニケーションの中に自然と融け込んでいます。服を着たり、料理を食べたり、家に住んだりすることと同じ。コミュニケーションは人間の生活からは切っても切れません。そこにはいつだって対話的ヒントが隠されています。

日々のコミュニケーションの中では、相手と意見がぶつかったり、議論が起こることは少なくありません。その時に、気を付けていただきたいことは「正論の扱い方」です。正論とは「道理にかなった正しい意見」のこと。

お互いに意見が食い違った時、あるいは、相手が嘘をついたり、ごまかしたりした時、ぼくたちはついつい正論を振りかざしたくなります。相手の間違っている点を指摘して、自分の意見の正しさを主張したい気持ちになる。

そこをぐっとこらえてみてください。はい、それがとても辛いことはよくわかります。でも、相手をやっつけちゃいけない。

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「論破」ということばをよく耳にします。テレビなどで、議論をショーアップして勝ち負けをつくり、それ自体をエンターテインメントにする。これをスポーツと割り切れるのであれば問題ないですが、実生活でこれをしてしまうことはおすすめできません。

家族や友人、職場の仲間、プロジェクトメンバー。建設的な話し合いが求められる場で論破してしまうと、相手は負けを認めざるを得ません。その時は、いいかもしれない。でも、負かされてしまった人は、今度から相手のことを敵と見なすようになります。本来は手を取り合ってプロジェクトをより良い形に実現する仲間であった人が、どこかのタイミングで足を引っ張ってくることも十分起こり得るわけです。

つまり、敵をつくってはいけないのです。その時に、正論の扱い方には慎重にならなければいけません。正論は、相手を打ち負かしてしまうインパクトがあります。正論は「正しい」かもしれない。でも、使い方によっては「正しい」とは言い切れない。正論を受けて、ことばを失う人がいる。いかに伝えるかが重要になってきます。

つまり、意見の伝え方。相手の逃げ道を用意しながら議論を展開する。こころの中にそんな大きな器があれば素敵です。最善の策は、相手自身に気付かせるという方法です。相手のプライドを傷つけないように、なめらかに示唆する。人は、主体的な発見や行動を正当化しやすい生き物です。その選択肢を相手に選んでもらえばいい。

簡単に書いていますが、とてもとても難解なことです。激しい議論が起きている中、冷静かつ穏やかに、やっつけないように選んでもらう。そこでキーになるのが、対話的姿勢と伝え方です。

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敵がいないことがベスト。孫子の兵法でも「戦わずして勝つ」ということばが登場します。別に「戦い」のつもりはありませんが、わざわざ敵をつくる必要はありません。対話は共同作業です。どうせなら「この人のことだったら力になりたい」と思ってもらえるコミュニケーションを心掛けた方がいいですよね。

「いかに伝えるか」を考える余地はまだまだあります。

正論の扱い方には慎重に。


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