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芸術はウィルスだ

アートは、ウィルスだ。

そんなことを書いたら、きっと誰かに怒られる。どうか怒らないでほしい。わたしは怒られることも、怒ることも苦手である。くだらないことを受け流せる余裕があると、人生は楽しい。

アートは、ウィルスだ。

ウィルスというのはやっかいだ。目に見えないほど小さな存在に、人類はほとほと困らされてきた。彼らには細胞がない。そこが“細菌”との違いとも言える。“細菌”は、細胞を持ち、それ単体で生きることができる。一方で“ウィルス”は、細胞を持たず、自力では活動できない。なんとも不思議な存在だ。

では、どのようにしてやりくりしているのかというと、動植物の細胞の中に入り込み、その宿主の細胞の機能を利用して自身をコピーする。その時、宿主は彼らの働きによってエラーを起こす。

同じ「感染症」という名前でも、“細菌”は自ら細胞分裂を繰り返して増殖することに対し、“ウィルス”は宿主の細胞機能のプロセスと同化して増殖する。似ているようで、全く異なる。

アートはウィルスだ。

先日、とある女性と対話をしていた。ユニークでトキシックな彼女は、人を困らせることが好き。「理性が追い付かなくて、戸惑っている人を見るのが楽しい」と言った。わたしは敬意とユーモアを込めて「ウィルスを撒き散らす、ハッカーのようですね」と言った。「どういうこと?」と彼女は訊いた。「ウィルスによって、相手の中にバグが生じる。そのエラーを見て、楽しんでいる愉快犯」とわたしは答えた。「否定できないね」と彼女は答えた。

コンピュータにもウィルスがある。ネットワークを経由して入り込んだそれは、データを破壊してバグを起こさせる。レクリエーションとして“人間”というコンピュータを狂わせる彼女は、ハッカーであり、それは同時に“人間”の生態に関して造詣が深いことの裏付けでもある。

アートは、ウィルスだ。

そう考えてみると、芸術はウィルスだ。それが優れたものであるほど、触れる者にバグを与える。理性を越境して、感情があふれ出す。自然と涙が頬を伝い、理由もわからないまま呆然とする。それは、鑑賞者の内側に張り込み、細胞や記憶と同化しながら増殖する。アート自体が分裂しながら拡張することはなく、受け手の“物語”の中で息づくのだ。

アートは、ウィルスだ。

芸術家は、ある意味でハッカーである。鑑賞者にウィルスを撒き、いや、蒔き、バグを発生させる。歓喜なのか、悲哀なのか、憤怒なのか、絶望なのか、快楽なのか、それはわからない。ただ、理性を超えたこころの動きがそこにある。人はそれを“感動”と呼ぶ。

アートは、ウィルスだ。

となると、人を困らせることが好きな彼女は、アーティストなのかもしれない。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。