見出し画像

上から下へ

インスピレーションは降ってくるものなんだよ。

上から下へ、そう、上から下へ。とあるデザイナーの友人と話していた言葉がおもしろかった。日本人は縦書き、欧米人は横書き。いつかのnoteで、構文の違いが思考様式の違いと関わっているということを書いた。今、読み直したらちゃんと説明していなかった。

例えば、英語は冒頭に主語があり動詞があり目的語へと続いて行く。日本語の場合は、主語があり、修飾語や目的語がいろいろあって、最後に動詞が出てくる。つまり、英語の文法は結論を先に明言し、日本語は結論を後回しにする。

これらがそれぞれの思考様式に深く関わっている。欧米の文法は論理的であり、日本語は情緒的だと言われる理由の一つだ。これはステレオタイプの表現だけれど、結論がすぐに出てこない日本語に欧米人はイライラし、理路整然とした欧米人の言葉に日本人はプレッシャーを感じる(ことがよくある)。

言葉の意味はわかっても、思考様式を伝えることは非常に難しい。日本語は曖昧な言語だ。主語を省略することさえしばしばあるのだから。ドイツ語を話す友人の哲学者(日本人)がおもしろいことを言っていた。

「日本人は論理的に伝えるよりも、
曖昧な表現の方が深く伝わる」

彼はドイツに数年住んだ経験があり、その土地や文化が肌によく合ったのだという。そこからドイツ語の思考様式が自然と身につき、彼の主要部分をつくり上げた。彼は文章のような整然とした日本語を話す。その響きがあまりに美しいのでその理由を尋ねると、一度ドイツ語の構文で思考してそれを日本語に翻訳してから言葉にするからかもしれないと答えた。

彼の言葉はおもしろい。「結論を先に言っているのに、日本人には伝わらないことが多い」と語る。それよりも、結論をぼやかし、相手が察する余白を残しながら伝えた方がより深く伝わるのだという。うまく理由は説明できないが、彼の話す言葉の意味はとてもよくわかる。

これは、言語の構文が思考様式をつくり上げる一つの例だ。

話はデザイナーとの対話に戻る。

彼は「ヴィジュアルもまた思考に大きな影響を与える」と言った。縦書きは情緒的になり、横書きは論理的(批評的)になる。日本語が情緒的であるのは構文だけでなく、文章の並ぶ「見た目」にも影響している。同じ理由で、英語が論理的であるのは構文だけでないという。

それを僕たちは身体的な感覚で知っている。例えば、相手に賛同する時、僕たちは首を縦に振る。対照的に、相手に反対する時は首を横に振る。これは偶然でなく、「横の動きは批評的になること」を現わしている。

だから、僕たちは何かを批評的に読みたければ、横書きに設定して文章を読めばいい。論理の矛盾や破綻を見つけやすい。あるいは、相手に納得してもらいたければ縦書きで頷くように読んでもらえばいい。論理でなく、情緒に訴えかける。数々の詩歌が未だに縦書きで書かれる理由はそこにあるような気がする。

僕たちが雨を見て風情を感じるのも、それは上から下へと流れ落ちる動きによるものなのかもしれない。

さて、ここで冒頭の言葉に戻る。

上から下へ。それは何も、日本語や雨だけの話ではない。僕たちは感覚的にそれらを既に知っている。インスピレーションは上から降ってくるものだし、アイデアは浮かぶ(上へ)ものだ。〝目に見えないにも関わらず〟、そこには明らかに上下運動が作用している。また、恋は落ちる(下へ)ものであり、英語では「fall in love」と表現する。恋もまた論理を超えた情緒的な感覚ということを僕たちは身体的に知っているのだ。

上から下へ。それらの動き一つひとつをつぶさに観察すると、そこにはおもしろい世界が広がっている。空を見上げることもまた、ロマンティックな行為だと言えるのも頷けるだろう。


「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。