味噌臭い男の話

 盆を過ぎて、だんだんと夜は心地よい風が吹く。バイクで夜道を走っていると海まで行ってしまいそうになる。海はそんなに好きではない。
 私はバイクの免許のみであるが、一切の運転免許を持っていない男の話をする。
 そいつは高校時代、人気者であった。モテてはいない。サッカー部のスタメンで男子に好かれるような、波風を立てない、誰とでも仲良くなれる才能の持ち主である。方や帰宅部で、二年間毎日一人で深夜ラジオを聴きながら帰っていた私がいる。これもまたモテてはいない。印象を聞くと、「怖い」、「圧がある」、「難しい」。野球部でもないのに3年間のうち二年は坊主であった。しかも笑いを取ろうとして坊主にしたが、あまりウケなかった。
 
 そいつが部活を引退後、毎日と言っていいほど一緒に帰った。そいつの家は高校から近いが、近くの神社の石畳に座って日が落ちるまで話した。話したことはなにも覚えていない。本当にくだらないことばかりである。参っていないのに「参ったね」から始まり、あの子やっぱりかわいいなとか、あいつはくだらないだとか、お前の母ちゃんの名前尖りすぎてね?とかである。そんな無駄な時間が恋しくて、家まであと数分でそいつの家に着くのに恋人の如く、家まで送って行った。そいつのおばあちゃんが切ってくれたもらった梨は味がなく、次の日の話題にしたりした。
 私はこの時間がたまらなく愛おしかった。私には一緒に帰ってくれる友達はおらず、ラジオが一番の親友であったが、ラジオは二番目になった。
 
 そいつはもともと指定校推薦で大学に行くつもりだった。本当は美容師になりたかったが、家のことも考えて、皆がなんとなく大学に行く流れに乗ろうとしていた。その流れを「美容師になれ。これは強制だ。今日の夜にでも親さんに話せ。しかも名古屋の美容学校なんてくだらない。やっぱり中央(東京)にしか文化は転がっていない。」と半ば強引に流れに逆らって、私は言った。真実を言うと、私はもう少しそいつと遊んでいたかっただけである。夢を応援したわけでなく、日常にいてほしかっただけである。高校の友達止まりではなく、旧友ではなく、そいつとして存在してほしかったから言っただけである。その影響はなかっただろうが、そいつは大量の奨学金を借りて、東京に旅立った。私はもう一年かかった。
 卒業式には屋上に行くための非常階段に登って、壁にサインを書いた。修理費を請求されないか、二人でびくびくしている。そいつの上京前夜、いつも行っていた神社で手紙を渡した。男に手紙を渡すなんて初めての事であったし、これから先もないだろう。気持ち悪い行為だったと反省している。
 
 一年遅れで二人の上京物語は始まった。物件探しのために東京に来た時、深夜バスの時間に遅れそうになり、スーツケースを転がしながら、自転車で二人乗りをした。警察に止められたが、そのままそいつは走り続けた。
 集合はいつも渋谷で、いつも行く古着屋で、いつも行くタバコが吸える喫茶店で、夜ご飯は食べず、夕方に解散した。二人とも酒が弱く、たまに飲んだりすると、いつもどちらかが嘔吐した。おれたちやっぱり酒弱いなと後悔しながら帰った。
 ちゃんと喧嘩もした。旅行前日に大喧嘩をしても次の日にはバカな顔をしているそいつを見ているとなぜ私は怒っているのかと感じ、笑えてきた。
 
 そんな才能の持ち主である。究極の人たらし。欲しい言葉を言ってくる。今までの会話何千時間の中で間違った返答はひとつもない。
 

 金がなくても、楽しめた。美容師見習いと貧乏学生は別に美味しくないコーヒーを飲んでやっぱりここはいいねと言い合った。ただタバコが吸えるだけなのに。楽しむものがなくても私たちは自ら創っていた。
 
 そんなそいつは交通事故数ナンバーワンの都市に移動となった。栄転である。しかし私にとっては本当に「参った」ことであった。暗い喫茶店でこういう話があるんだよね、と言われた時、私は子どものようにごねた。お前がいなくなったら誰と喫茶店に来ればいいんだ、と。これも5年前と同じようにそいつで存在してほしいだけであり、親友の良い話を素直に喜べなかった。
 トイレで考えた。この感情は私のわがままではないか。旧友になるのが怖いだけではないか。席に戻り、行ってこい行ってこい、と言い続けた。金貯め終わったら東京に連れ戻す、とまで言った。
 たぶん帰ってこないのかもしれない。そんなことくらいわかっている。馬鹿じゃない。実家も近いし、家賃も安い。住めば都で落ち着いてしまうかもしれない。
 しかし私たちが通った古着屋はない。焼肉屋もない。そこにいた人たちはそこにはいない。

 そしてなにより私がいない。もう少し「無駄」を続けたかった。自然豊かな神社が排気ガス臭い街に代わり、その街でたくさんの人と出会い、その人の話を互いにしながら、おれらは頑張らないといけねえと言い合い、渋谷でゲロを吐き、クラブへ一緒に行くのは躊躇し、大人数の時は互いに東京の人間っぽく立ち振る舞い、二人で外に出て、広尾で吐き、汚い言葉を吐き、モテていた高校の同級生を僻み、そいつより幸せになると言いながら、夢を吐いた。

 私たちは汚い人間だ。でも頑張って生きている。

 そいつがそいつであり続けることを願う。あなたは思い出にしたくない。きっとそいつもわかっている。二人とも大人になった。二人ともバカのままだった。
 
 これが運転免許を持たず、美容師免許を持ち、夢を叶えようとしている男の第一章である。第三章で私が再登場する。

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