好ましい習慣、おーん

かつて自分が身につけたいと願った習慣が、30代に突入した昨年あたりからいとも容易く実行されていることに気がつき、なぜそうすることができたのかについて今一度考えてみることにします。(勝手にしてくれ)尚、身に付けたかった習慣は下記の通りです。

  • 運動(筋トレ/ランニング)

  • マインドフルネス瞑想

  • 早起き

  • 日記

ごくありふれたものですが、人が望ましいと思う、自己完結する習慣はだいたいこんなものでしょう。

そもそも、習慣を身につけたいと願ったのはラクをしたかったからに他なりません。
実際、これらが直接的に何かを生産するわけではなく、労働や創作の効率性を高めるために、間接的に効能があるだろうと直感したからであり、まさしくその通りであったと実感しています。
仕事は分解してみれば、「単なる作業」か「利害の反する相手との折衝」に過ぎないわけですから、本質的に面倒臭いわけです。
そこで、望ましい自己完結型の習慣の力を拝借するとあら不思議、これらに取り組む気怠さが半減どころかそれ以上に軽減されるではないですか。
さらには、投下できる労力の総量も少なく見積もって2割は上がっている気がします。これ、素晴らしいことではないですか?

完全に習慣となった今は、オートマチックにそれらが実施されていくに過ぎない感覚ですが、身につくまでの期間はそうではなかったように思います。
いちいち意志の力を動員して、無理やり動機づけながら自分に発破をかけて取り組むので、しんどいです。
そのしんどい最中に、「ああ、このしんどさがずっと続くのか…だるっ」と直感するから続けるのをやめてしまうわけで、現に自分もそんなことを繰り返した20代でした。
思い返せば、そのしんどさの谷を抜ければ快適極まりない状態を迎えることができると、予感できていませんでした。

そのときの自分からすれば、まるで意志を働かせずに淡々と実行していく今の自分を想像することはできなかったわけで、複利効果を直観できない人間の脳バグみたいなものである気がします。

つまり、運動でも禁煙でも断酒でも、身につける過程でしんどいのは意志を動員する必要のある期間にいることの証左であると心構えておけば、少しは気が楽になり、今季のどんでんを自分に憑依させるようにしてマジック点灯後のカウントダウンを楽しめるかもしれません。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?