あの日飲めなかったウォッカと、もう飲むことができないスパークリングワイン
ある日出会った2つのお酒に関するお話。
◇
少し前から、埼玉県の東京側の端っこに住んでいる。
最寄り駅名は引っ越しが決まるまで聞いたこともなかったし、当然ながら降り立ったこともなかった。友人たちに引越先を伝えると、その反応のほとんどは「どこ?」か「なんで?」だった。
東京圏に長く住んでいる人でも、そのほとんどが「聞いたことがない」というその駅から20分ほど歩いたところに我が家はある。遠い。が、駅から家までの工程のほとんどが河川敷沿いなので、川面に浮かぶ鴨(おそらく)や奇声をあげる謎の鳥などを見ながらぼんやり歩いていれば、そう苦痛ではない。
河川敷を外れて舗装された道に足を向ければ、申し訳程度にチェーン店が建ち並んでいる。そのラインナップは、「郊外のロードサイドにありそうなチェーン店」というお題で山手線ゲームをすれば、10番目の回答までにはすべて出揃うはずだ。つまりは、「ありふれた郊外」そのものである。
だからこそ、幹線道路から1本入った通りにひっそりとたたずむ個人経営の店は目立つし、とても惹かれる。
◇
ある日仕事を終え、最寄り駅に着いたとき「いつもと違う道で帰ってみよう」と思い立った。そうして、いつもの河川敷とは違う舗装された道を駅から10分ほど歩いていると「ウクライナ料理」という文字が見え、好奇心が湧いた。
入ってみると、8席ほどのカウンター席と4人掛けのテーブル席が2つしつらえられた、こぢんまりとした店だった。
カウンターの向こうにはオープンキッチンがあり、そこには2人の女性が立っている。きっと、ウクライナ出身の方々なのだろう。立ち振る舞いを見るに、一人がオーナーで、もう一人はバイトというか、お手伝いをしているようだった。
カウンター席に通され、メニュー表が出てくる。そこにはこれまで聞いたことのない料理名が並んでいる。お酒も然りだ。未知の文字列を前にした僕は「とりあえず、ビールで。あ、キリンで」と、お手本のような日和見を披露した。
料理も「聞いたことがあるか否か」という判断軸で、まずは聞いたことがある「ボルシチ」を頼んだ。最初に注文したビールがちょうどなくなるタイミングでやってきたボルシチに手を付ける。名前を知っていただけで、過去に食べたことがあったかどうかの記憶は定かではないが、「こんなにうまいものなのか」と感動した。
そんな感想をオーナーとおぼしき女性(その後すぐにオーナーだということがわかった)に伝えると、「ロシア料理」だと思われがちなボルシチだけれど、その発祥はウクライナなのだということを教えてくれた。
それをきっかけに、会話が始まった。
彼女はソ連時代のウクライナ東部の都市で生まれたこと、ソ連崩壊の数年後に初めて日本を訪れてたこと、お店をオープンさせたのは数年前であること……さまざまなことを話してくれた(これらのことも詳細に、さらには個人的なこともたくさん話してくれたが、ここでは控えることにする)。
飲み屋らしく話は「お酒」に及んだ。旧ソ連といえば、やはりウォッカだろう。彼女もウォッカをこよなく愛しているそうだ。
「ウォッカを飲むときは何をつまむのか」と聞くと「いまはピクルスやパンをアテにすることが多いが、若い頃は金が無かったので水だった。ディスコに行くとまずはみんなでトイレに集まり、手を洗うための蛇口を囲んで輪になってウォッカを回し飲みして、たまに蛇口をひねって水を飲む。その繰り返しだった」と笑っていた。
豪快すぎる。
豪快といえば、「飲んだ後」もそうだ。テキーラのショットを飲んだあと、その味をごまかすためにレモンやライムをかじるのはよく知られているし、僕もやったことがある。
興味本位で「ウォッカにも、レモンやライムに該当するものはあるのか」と問うと、「そんなものはない」と返ってきた。
「今も昔も、飲んだ後にすぐ口にするために用意するものはない。でも、私たちのお父さんたちの世代、ソ連のオヤジたちは、飲んだあとに隣にいるオヤジの頭皮のにおいを嗅いでいたわね」
「……オヤジがオヤジの頭皮を? なんのために?」
「さあ? でも、ぐっとウォッカをあおったらグラスを置いて、がっと隣のオヤジの頭を掴んで引き寄せたと思ったら、すんすんと頭のにおいを嗅ぐのよ。それでまたウォッカを飲む」
強烈な後味を、強烈なにおいでごまかす、という発想はわからなくもない。それにしたって、だ。
ひょっとすると、これはソ連ジョークなのではないかと思い直し「またまたぁー!」と返すと、彼女は「ほんとほんと」と言って、お手伝いとおぼしき女性に、誰かの頭皮のにおいを嗅ぐ真似をしながらウクライナ語(おそらく)で何やら語りかけた。たぶん「オヤジたち、ウォッカ飲んだ後誰かの頭のにおい嗅いでたわよね」と聞いたのだろう。するとお手伝いの女性は、笑いながら言葉を返した。
その言葉を聞いたオーナーは、僕の方に向き直り「ね?」と言った。僕はウクライナ語を解さないため、何が「ね?」なのかはわからなかったが、「やってたやってた(笑)」といったニュアンスの答えだったに違いない。
豪快すぎる。いや、もはや豪快なのかどうかもわからないが、たぶん豪快なのだ。
◇
そんな「ソ連あるある」をたしなみつつ、初体験のウクライナ料理の数々を楽しんだ。そのどれもがとてもおいしく、気付けばビール以外にもさまざまなお酒を飲んでいた。
そして、せっかくなのだからウォッカをいただこうと考えた。
メニューに目を落とすと、何種類ものウォッカが並んでいる。どれも初めて見る銘柄だし、元々「好きなウォッカ」があるわけではない。
とりあえず、目に付いたものを注文すると、オーナーは僕の目を見ながら申し訳なさそうに、しかし、これまで以上にはっきりとした口調でこう告げた。
「メニューが更新できてなくて申し訳ないけど、そのウォッカはもうないの。というか、もうこの店で出すことはない。それはロシアのウォッカだから」
僕は小さな声で「あぁ、なるほど」とだけ返した。
彼女は続ける。
「ただ、(僕が注文した)そのウォッカはめちゃくちゃうまい。ロシアに関するあらゆるものの中で、唯一ウォッカだけは認める」
その後、「これならあるわよ」と彼女がおすすめしてくれたポーランド産のウォッカを頼んだ。ウォッカを飲む僕に、彼女は「うまいウォッカ」の定義を教えてくれた。
たとえば、日本酒やワイン、ウイスキーなどは「うまさ」の定義もさまざまだ。というか、「人による」ところが大きい。すっきりと淡麗な日本酒を「うまい」とする人もいればその逆もいるし、どっしりと重厚な赤ワインを好む人がいれば苦手とする人もいる。
しかし、ウォッカの「うまい」の基準はぶれないのだと彼女は言う。いわく「すっと喉を通るかどうか。それだけ」。つまり、「アルコールの強さを感じさせず、大量に飲めること」がうまいウォッカの条件なのだ。
彼女たちにとってウォッカがどのような存在なのかがよくわかる。きっと、彼女たちはウォッカについてのうんちくは語らないし、ペアリングがどうこうなんて考えないのだろう。ウォッカは、“頭で飲む”ものではないのだ。
酒を酒として、さらに言えば「ただ酔うためのもの」として楽しむ。その純粋性に、一人の酒好きとしてうらやましさすら感じた。
だが、日本と同じようにウクライナでも「若者の酒離れ」が進んでいるのだと彼女は言った。同じと言っても、「若者がウォッカを飲まないようになっている」だけらしいので、同じと言えるかどうかは怪しいが。
では、ウクライナの若者たちは何を飲んでいるか。彼女は「最近は帰れていないからわからないけど」と前置きした上で「クラフトビールが人気だ」と教えてくれた。そこは日本と同じらしい。
また、ソ連はスパークリングワインの生産に力を入れており、旧ソ連諸国では今もスパークリングワインの人気が高いのだそうだ。
ただし、ソ連政府はそれを「シャンパン」として生産しており、彼女自身も“ソ連産のシャンパン”を楽しんでいたという。「日本に来て初めて『シャンパーニュ地方でつくられた一部のスパークリングワインしかシャンパンと呼べない』と知って、びっくりしちゃった」と笑った。
そんな彼女には大好きな銘柄があったそうだ。
「私が生まれ育った街の近くに、バフムートという街が……名前くらいは聞いたことあるんじゃないかしら。日本の人は知らないかもしれないけれど、バフムートはソ連時代から今に至るまで『ワインの街』として有名だったの。そこでつくられていたあるスパークリングワインが好きだったのだけれど、生産していた工場ももう無くなってしまったと聞いた」
◇
店を出ると、冷たい風が吹いていた。
しかし、ポーランド産のウォッカが効いているのか、不思議とそこまで寒さは感じない。埼玉よりもはるかに寒いであろう東欧の方々がウォッカを好む理由がよくわかる。これなら家までの道のりも楽勝だ。
道すがら、数杯のウォッカで鈍った頭で考えるともなく考えていた。
「彼女が愛したバフムートのスパークリングワインは、どんな味がしたのだろう」。
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