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【自己紹介】今本気でやりたいことは何か、挫折と向き合い成長するためには

はじめまして
前田亮太と申します。

1999年5月26日生まれ
大阪府吹田市生まれ 神奈川県川崎市育ち

現在法政大学のスポーツ健康学部で
ハンドボール部に所属して主将を務めています。
アルバイトとしてENEOSで営業を行なっています。

私がなぜnoteを始めようかと考えたのか...
それは従兄弟が転職し、YouTubeを始めていて
私も何かしたい!人に発信したい!
なにかに本気で取り組みたい!と思い

このnoteを始めました!

この場では自分の現在取り組んでいること、将来の計画などをお話ししたいと思っています。
まず初めての投稿として【自己紹介】を行いたいと思います

目次

・小学校時代

私は小学校時代サッカーと水泳を行っていたごく普通の小学生でした。
火曜日には水泳、土日はサッカー、それ以外の日にはひたすら遊ぶ!
そんな生活の中でも応援団長を行ったり、
サッカーでも多摩区選抜の候補に残るなど
自分の興味あるものには全力でした!

(この頃からぽっちゃり体型で必然的にキーパーになっていました笑)

しかし自分の興味ないものにはひたすら無関心...
しかしとにかく毎日夜遅くなるまで友達と遊んでいました。


・中学校時代


私は6年間のサッカーと水泳に飽きてしまい、
なにか本気で熱中できるスポーツを始めたいなと考えました。
その結果私は【ハンドボール】というスポーツと出会うこととなりました。
これが人生の転機となるものとは思いもしませんでした!
中学2年生の時から試合に出ることができ、3年生では副キャプテンを務めました。

2年生の時には創部初の関東大会出場、3年生の時にはこれも初となる神奈川県大会優勝をすることができました。

また自分自身としては神奈川選抜に選出され、
全国大会出場を経験することができました!
しかしこの時私はスタメンではなく、ベンチメンバーとしてこの経験をしていました。
ここで人生で初めての【挫折】を経験し、天狗の鼻をへし折られました。

・高校生時代


私は縁もありスポーツ推薦という形で
神奈川の強豪法政大学第二高等学校に入ることができました!

法政二高は神奈川県では最多の優勝を誇り、
全国大会において6大会連続3位以上という成績を残すチームに入りました。


これは法政二高のスローガンである『ALIVE』で
あり、生きている実感を持てるように一生懸命行う
という意味があるように、充実した3年間であった

私においてこの3年間は【挫折】この一言に尽きます。

私のポジションは接触プレーが多く、まず入学して体の大きさに驚かされました。 
また同期には全国大会準優勝の選手がいて画面の奥の世界の人だと思ってしまっていました。


高校生での青春を全てハンドボールに捧げました!
その結果は3年生の時には春の選抜大会、夏のインターハイ、秋の国体、全ての全国大会で優勝する 高校3冠を成し遂げることができました!

しかし私は3年生になるまで試合に出ることができず、3年生でもサブとしてちょくちょく試合に出る 立場であり、スタメンでありませんでした。
この3年間で挫折し、ハンドボールにおいての自分の自信を全て失い、ハンドボールは大学になったら辞めようと思っていました。

その反面、人間として1番成長できた期間がこの高校での3年間でした。
顧問の先生は定期的に
人財ミーティング】というものを開きます。
このミーティングでは"財産とされる人"になるためのお話を聞くことができました。
そのお話だけでなく、恩師の元で過ごした3年間は私の考えをとても変えてくださいました。

そして私においてもう一つの【挫折】があります。
それは受験です。
私は付属生ながら他大学を受ける選択肢を選びました。その結果は【不合格
しかし今の大学に行けることはできました。
このお話も後日したいと思います。

しかし1番高校生時代が充実していました!
帰り道にコンビニに寄っていろんな話をして、オフの日にはディズニーランドに行ったり、海に行ったり、クリスマスの遠征ではプレゼント交換をしたり、365日のうち360日は一緒にいたと思います!
最高な仲間であり、今でも仲良くしています!

・大学生時代


*1年生時代


私はハンドボール部に入部するか学生コーチとして他の高校や中学で指導するか悩んでいました。
実際私は挫折を味わい、これ以上ハンドボールをやっても上手くいくわけがないとネガティブな思考になっていました。
法政大学は関東学生一部リーグに所属し、私たちの2個上の先輩方は日本代表に選ばれている選手が、何人もいるような代でした。

果たして自分は入って試合に出れるのか、
その時高校時代の友達に相談しました。その友達の言葉で入部を決めました。その言葉は今でも僕にとっては大切気にしている言葉です。
"コーチングは大人になってもできるし、いつでもやろうと思えばできる。けど本気で何かに向かって全力を出し切ることは今しかできないと思う"

私はハンドボール入部しました。
初めの方は雑用がメイン、先輩に怒られることを恐れてプレーしていました。
しかし秋季リーグでチャンスをもらい、ユニフォームをもらうことができました。
その時私はだれよりも声を出し、誰よりも仕事を行い、誰よりもガムシャラに行っていました。
それを認めてくださり、メンバーに入れてくれたことはとても自信が付きました。

*2年生時代

昨年試合に出てたこともあり、今年も出れると思っていました。
しかし現実はそう甘くなく、練習試合でも出場時間は短く、レギュラーとは言える立場ではありませんでした。
またこの年の3月に大きな交通事故に遭い全治半年の怪我などを負ってしまい、試合に出ることはおろか練習すら参加できていませんでした。
私にとって大きな挫折でした。
しかしその時期に私は様々なこと取り組むようになりました。
まずは本を読もうと思い、これまで様々な本を読んできました。
私が1番好きな本は稲盛和夫さんの『生き方』です。
この本によって様々な考えを持つことができました。また高校時代の恩師のミーティングで話してくださった物をまとめたノートを見返すことで、
高校時代のがむしゃらさをもう一度思い出すことができました。
私はこの挫折を乗り越え、全国学生選手権大会のメンバーに入ることができました。

またこの時期から将来について考え始めました。
私は高校時代から恩師のような先生になりたいと思っていました。そのため大学一年生から教職課程を取り、取り組んできました。
しかし現実はそう甘くなく、体育の教員になれるのはごく一握りであるということを知りました。


*現在


今年は新型コロナウイルスの影響もあり自宅にいる時間が断然多くなりました。
授業もオンラインになり、部活も活動休止。
そのため全日本学生選手権大会、春季リーグの中止が発表されました。
しかしこの時間を無駄にできないと思った私は毎日ランニングと腹筋を行うとともに、
本なども見るようにしました。
1月には体重78キロと自己最高を記録していたのですが、半年で12キロ減量の66キロまで落とすことができました。

また今年からハンドボール部では主将を務めさせていただくことになり、日々悩みながらも頑張って活動しています。

さらには今年からコロナウイルスの影響もあり、元のバイトがなかなかシフトに入れない為、
ガソリンスタンドのENEOSでバイトを始めました。
この詳しい話も今後していきます。

またコロナウイルスのため就活氷河期と言われる私たちの世代の為早めから就職活動を始めました。
その結果、3年生のこの時期ながら不動産の一社から
早期内定という形で内定を頂くことができました。

しかし私がこの会社を受けようと考えた理由としてただただ早期内定があり、早めに内定をもらい安心したいという甘い考えでした。

果たしてそれは私が本当に行いたいことなのか。
このまま就活終わらせて後悔しないのか。
それまた教員への道を自ら閉し、諦めてしまっているだけなのか。私はとても悩んでいました。

そこで私は従兄弟が始めたと言っていたYouTubeを見ました。
岡田淳 OKADA ATSUSHI
私は従兄弟のことを昔から慕っていて、とても尊敬していました。
そんな従兄弟がここまで頑張っていて、自分のやりたいことのために本気になれているのを見て、
あ、私はただ難しいと言われている教員への道を
自分で閉ざしているだけなんだなと確認することができました。

私の将来についても今後話していきたいと思っています。

私は今後需要はあるかわかりませんが、
自分の考えを伝えるだけでなく、自分の人生の経験について、今後の人生の計画などゆるく話していきたいと思っています。

これで本日の自己紹介は終わります!
ご覧くださりありがとうございます!


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