怪至考⑤「人怖」は怪談なのか?

YouTubeチャンネルの「オカルトエンタメ大学」が言及していてちょっとおもしろいな、と思った件。

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漠然とした線引は各自がしているだろうけど、果たしてどうなんだろう?と考えてみた。

当初、個人的な定義としては「人怖」は「怖い話」ではあるけれど、「怪談」ではない、という感覚が強かった。
読んで字の如く「怪」についての話であるべきで、「人怖」は基本的にそこに「怪」が入り込む余地はあまりない。
「怖い話をしよう」という場において「人怖」が一つのジャンルとして確立されており、そこでしか味わえないタイプの面白さがあるのもまた事実ではある。

元ツイートに言及されている通り、「四谷怪談」の前半部は言ってしまえば「人怖」といえないこともないのだけど、それはまだ怪異が起きていないから、というだけであって、未来に起こる怪異に向けての助走をしている段階といえる。

稲川淳二の「夕飯の誘い」も、オチにあたる部分でそれが霊現象であったことが明かされるけれども、そこに至るまでは言ってしまえば「人怖」ともいえる。でも、これを「人怖」とカテゴライズはできないと思う。

『呪怨』は本質的にサイコホラー的な要素がバックストーリーにあるけれども、それは「怨み」や「情念」を描くためであって、人怖から始まって幽霊譚になるわけではない、という感覚が強い。

しかし、幽霊という存在が基本的に人間である以上、その怪異の裏側に情念があり、そうである以上、元ツイートで指摘している通り、怪談の始まりには「人怖」がある、というのは一理ある気はする。

『新耳袋』の『庭』という怪談では、ある怪異の原因が、あまりにも有名な殺人事件であったことが明かされるのがピークとなるポイントだった。
「その場所ではかつで殺人事件げあった」というのは怪談では定番の設定なのだが、それが誰もが知っているような、そりゃ怪異のひとつやふたつ起きるだろう、と震撼させるような事件であった、というのが大きなポイントになっているわけである。

これはいわゆる「人怖」的な要素をオチとして孕んでいる怪談ということになる。怪異それ自体のインパクトというよりは、怪異が孕んでいる意味を「人怖」によって明らかにすることが効果を生んでいる。

ここで考えるのが、『残穢』にて語られる「穢れ」の概念である。
「人怖」は怪談ではないのではないか?というのは、基本的に合理的な人間の感情や人間関係、精神のバグによるもので、怪異は存在しない事が多いからであった。
しかし、たとえば『庭』で殺人事件の存在を知った時、強烈な「穢れ」に触れた感覚になり、それが純粋な怪異それ自体の怖さを増強させてるような効果を生んでいる。

あるいは「呪怨」においてもやはり、単に「人怖」的な「人間が一番怖い」という意味での意味合いではなく、その場所の「穢れ」の根源を描くために機能している、といえる。

「穢れ」を軸にして考えると、その場所に「穢れ」が誕生した瞬間や、「穢れ」の痕跡に触れた瞬間は十分に「怪談」足りうることになり、「人怖」はその一部と考えられる。
そして「穢れ」の発生に端を発した怪異もまたやはり「怪談」である。

名作怪談『禍話』の『アイスの森』は、そうしたこの世に存在する歪み、「穢れ」的なものを感じさせつつ、同時に心霊譚のようでもあり、それ以外の「何か」、「人怖」と「怪談」の中間のような絶妙なバランスとなっている。

【怖い話】 アイスの森 【「禍話」リライト ①】


これはいわば「動物の死」という「穢れ」の要素を匂わせつつ、同時に「これをやったのは霊的な存在とは考えにくい(アイスの棒に名前を書くという物理行為を伴うため)」「もし本当に生きている人間だとしたら一体何の目的でどんな行為を働いていたのかの類推が働く」「生きている人間ではないのだとしたら一体何なのか想像が及ばない」と、あらゆる点で怖さを備えた怪談となっていると思う。

・・・

別に決め事として自分の怪談を入れようとしているわけではないのだけど、人様の怪談を引用だけして語るのも気が引けるため、出来不出来はともかくとして、今回も自身の体験談を入れる。
この怪談は自分の生家に極めて近いこともあり、若干の脚色を交えているが、概ね実際に起こった出来事である。

実家のある札幌市の某所に、「Y公園」という公園があった。
この公園のある場所は、もともと坂の多い作りの土地だったことから「坂の途中」に作られており、坂の上と下、いわば「1階」と「2階」のような形で、2つの異なる公園が階段で繋がっている、少し特殊な作りになっている。

そして、その2階から1階を突っ切るようにして、長い滑り台が中心を通っているのである。

小学校時代、僕は友人たちと秘密基地作りにハマっていた。
秘密基地といってもそこまで本格的なものではなく、そのへんの雑木林をハサミやカッターで切り開き、近所のコンビニでダンボールを貰ってきて、底に敷き詰める、といった程度のものだった。
地方都市の小学校低学年の男子が考える冒険としては、まぁそれが限界だった。

僕達は集まって、新たな秘密基地を作る場所を話し合っていた。
そこで、「Y公園」のことを思い出した。

Y公園の中腹、1階と2階をつなぐ中間部分は、鬱蒼と木々が覆っていた。
つまり、2階からは1階が、1階からは2階がどちらも木で隠れて見えない状態になっている。その間を滑り台が通っているわけなのだけど、この滑り台を途中で降りて、木々の間に飛び込めば、あの林の中に入り込める。
そんなに広いスペースではないはずだけど、間違いなく人が入れるスペースがあるはずだった。

我ながら名案だと思い、友人たちとともにY公園に向かい、滑り台から脇へ降りた。
せいぜい幅が2メートル、奥行きが3〜4メートル程度のさほど広くないスペースだったが、しっかりと周囲からは見えないような「秘密基地」に最適な空間が広がっていた。

僕達は興奮していた。
木々の間を抜けて奥まで進んだところで、地面に敷き詰められた枯れ葉の上に何かを見つけた。

それは、買い物かごだった。
かなりボロボロではあったが、オレンジ色の買い物かごの中に複数のものが入っている。
中はいくつかのものが入っていた。

ひとつは、双眼鏡だった。今にして思うとそれほど高価なものではなかった。おそらく玩具に近いものだろう。
もうひとつはハンガーだった。よく見ると、同じようなハンガーが頭上の枝にかかっている。
他にも青年誌か何かの漫画が1,2冊あったように思う。

そして、その一番下に新聞紙が入っていた。
拾い上げると、ただの新聞紙ではなく、新聞紙に何かが包まっている状態であることがわかった。

そして、新聞紙を開くと、中から錆だらけの真っ赤になった包丁が出てきた。

僕は思わず声をあげてその包丁を遠くに放り投げた。

僕らは怖くなってしまい、そのままその場所を離れて逃げ帰った。
それ以降、その場所の話はしばらくの間ほとんどすることがなかった。

数ヶ月経ったころ、Y公園で火事があった。
僕達の小学校の高学年の男子が、火遊びをしていて燃え移ったらしい。
Y公園の中腹にあった木々は全焼した。

今では、Y公園の中腹には数本桜の木が残っているのみで、上下ともに見通せるようになっている。
当然、あの買い物かごもその中に入っていたものも燃えてなくなってしまった。

しばらくして僕の実家は小学校当時住んでいた場所から引っ越し、1kmほど離れた場所に居を構えていた。
大人になった上に近所でもなくなったため、当然Y公園を訪れることはなかった。

秘密基地の一件から10年少し経って、僕はある夜、コンビニに行った帰りに、ふと思い立って久々にY公園を通ってみることにした。

夜のY公園の2階部分から入り、1階に降りる階段を歩く。

中腹に立ち止まってふと気づいたことがあった。
僕は、はたから見れば随分不審だったろうけれど、滑り台側に入り、中腹で止まって立ち上がった。それで気づいた。

僕達がかつて秘密基地を見つけたその場所のちょうど目線の位置にあったのは、僕が当時住んでいた実家の2階、姉の部屋の窓だった。

・・・

この話は、僕の中でも未だにイマイチ消化できていない。
結局のところ、子供の秘密基地づくりが繋がっただけなのかもしれない。しかし、経緯を辿っていった時にどうしても気持ち悪さが残る。

これは人怖といえば人怖なのだけど、僕の中では、あの新聞紙を開いて錆びた包丁を見た瞬間の恐怖は「穢れ」に触れたような感覚もあり、一体なんだったのだろう、という不思議な感覚でいる。

だいぶ遠回りしたけれども、最初の問題に戻ろう。
「人怖」は怪談なのか?

こんなことをうだうだ書いていたら、先の「オカルトエンタメ大学」のツイッターで追加でつぶやきがあった。

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いや、まぁこれで十分か。
小難しく書いてるだけで要約すればこんな感じな気がする。
自分の言語化能力の低さを恥じるばかりである。

要は恐怖の正体が人間である、ということが明確でさえあれば「人怖」なのだろう、ということらしい。

ただ、ここまで色々考えてみた結果、線引として別物として「人怖/怪談」がある、というよりは、まぁグラデーションのように「人怖⇔怪談」が相互に重なり合いながら存在しているようなイメージなのだろうと思う。

そして、思いつく優れた怪談は、たいていこのグラデーションの中間からうまく行き来するものが多い気がする。
100%怪異だとちょっと嘘くさい、100%人間が怖い、だと、現実的すぎてつまらない。

本当に怖いものは「人怖」と「怪談」のグラデーションの中間にあるんじゃないか?
というようなこと漠然とした考えつつ、結論としては「人怖」の濃度が高すぎると「怪談」にはならないが、「怪談」の中に「人怖」の濃度は存在している。
というようなイメージなんじゃないか?と考えた次第である。

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