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みんなやってるから。

3日坊主で終わらせるか!ってなって4日目をがんばったけど、そんな惰性のある昨日を超えてやる!えーーいっ!みたいな連続note5日目。

今日はみんなのインスタを見ていてそのキラキラした思い出の人と実際に話すとインスタと現実とのギャップを感じて、楽しいってなんだろうと考えさせることが多いので
「みんながやってるから....」について考えてみたいと思う。

大学生の休日ではよくありがちだが、「みんなが行ってるから海外旅行に行く」や「みんなが行ってるからワイワイする飲み会に行く」や「みんながかっこいい車に乗っているから買おう」とか...

楽しいことをしたい!と思って行動することは本当に大切だと思うし、楽しいと毎日思って過ごせることはすごく良いことだと思う。

しかし、みんなが楽しそうにしているから私もきっと楽しくなるだろうとおもってなにも考えずに同じようなことをすることはなんか変だと思うことがある。

また、自分は楽しいかもしれないと思ってやっていたことを他人に「変な人」と呼ばれる程度でやめてしまう人もそれはそれで変だなと思う。非常にもったいない。

僕は大学生の時にしていた「塾講師のバイト」と「研究」は本当に心の底から楽しかったし、それらを全力でやっていたが、周りにはこの楽しさがあんまり理解されなかった。
しかし、インスタでキラキラした思い出を作っている友達と話をしてみて気が付いたが、周りがやっているからと熱狂せずになんとなく「みんなの楽しそうなこと」をやっているのと比べると僕は楽しい生活だったと思う。

つまり、「他人にとっての楽しいことは自分にとっての楽しいことではないこともあるし、自分にとって楽しいことは他の人にとって楽しくないことだってある。」ということだ。
また、「自分が心の底から楽しいと思えることを見つけること」や「自分には理解できないけど他人が楽しそうにやっていることに対しては口出しはしないこと」これは重要なことだと思った。

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[おまけ]
個人的には
インスタは[生活における1%のキラキラ]
ツイッターは[便所の落書き]
だと思ってSNSを楽しんでいる。

インスタには羨ましさがにじみ出るような幸せがあふれかえっていて本文における「楽しさの定義づけ」みたいなもので人の幸福を邪魔していると思うが、
ツイッターには日常におけるちっちゃいどーでもいい幸せが垣間見れて「幸せの感受性を上げる」みたいでたまにほっこりできるので幸福を感じやすくしてくれてよいと思う。

ちっちゃい幸せが幸せと感じれることって素敵だなと思った。
そういう理由から僕の好きな「すき焼きのふりかけ」を表紙にしてみた。
手間がかからずリーズナブルで非常においしい。
だれになんと言われようと僕はあのふりかけが好きだ。

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