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どうして学校って行かないといけないの?(3)

はい、数少ない貴重な読者の皆さん、こんにちは! この記事は前回まで2回に渡って書いて来たことの続きです。もう、いつ、このタイトルが終わるのか、自分でも分からなくなって来ました。泣

こちらが過去2回分のものです。

そういえば、僕は小学校の時からSF小説にハマって、学校の図書館にあったSFのシリーズを読破したことを思い出しました。んで、高校生になった頃、自分でもSF小説を書いてみようと思って、ちょっと書き出したことがあったんです。

でも、初志貫徹ならず、なんと初日に一気に数ページ書いただけで、そのままになってました。っていうか、小説を書いたことも忘れてたくらい。

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ところが、社会人になったある日、その小説を書いていたノートがひょっこり出て来たんです。中もだいぶ色あせてはいましたが、読めるには読めたので、それを読んでびっくり。

な、なんだ!? このすごいストーリーは!! 早く続きが読みたい!!」。。。まあ、続きがないのは自分が一番わかってるんですけどね。笑 でも、とにかく読んで鳥肌が立って、ハラハラドキドキ、スゴイ内容で、自分はアーサー・C・クラークを抜くんじゃないかと思いましたよ。

へへ、こういうのモロ自画自賛って言うんでしょうね。でもその時、僕は思いました。なんだ、僕の得意領域ってこんなところにあったんだ。せっかく小学校の時にハマっていたSFに、もし本気で打ち込んでいたら、今サラリーマンとは全く違う人生を歩んでいたかも知れないと。

僕は小学校が好きではありませんでした。いや、中学校も。でも、それでも小学校に行き続けたのは、母親がビシバシなスパルタ系だったこともありますが、図書館の中のSFコーナーに楽しみを見つけられたから、ということも大きかったかも知れません。

やっぱり、好きこそものの上手なれ、ですよね。自分が楽しくて、それが仕事にできたら一番良い。だから、学校にいくことも、そういう「将来の自分の発見のため」に必要なことなのかも知れませんね。

なんて言って、この連載話を僕が終わらせる訳、ないじゃないですか。(不敵な笑い)

時代の変化に教育のあり方が取り残され、あちこちで歪みが起きて、苦しんでいる人たちが増えているのに、放っておけないと思ったから、この記事にとりかかったんですよね。

だから読者が少なかろうが、そんなことは構わず僕は意見を発信します。実際、「スキ」してくれるありがたい読者の方々もいるので。これは本当に、嬉しいし、背中を押して頂いている気がします。なので、今回もやりたい放題、書きます。

まあ、今この行を書いている時点で、既に1000文字を超えたので、今回で終わらせることは難しそう、っていうか絶対無理とは思ってます。はい、すみません。脱線が過ぎました。

で、いまさら仕切り直しますが、

個性を重んじ、この半世紀での大きな日本の環境変化に柔軟に対応する教育のあり方を考えていきたいと思います。

考えてみれば、昔は学校も会社も土曜日までありました。で、途中から会社は週休2日になって、後を追うように学校も週休2日になったか、と思いきや、今、僕の住んでいる地域ではたまに土曜にも学校があります。

これ、結構困ります。学校公開に父親が参加しようと思えば良いんですけど。家族旅行とか予定が立てにくい。ウチの場合、幼稚園生と小学生がいて、それぞれ別の土曜日に予定があったりして、あまりに予定が合わないので、ディズニーランドにいくぐらいの話でも「もう、ズル休みさせる?」とか会話が出るくらいです。実際、そういうご家族も多いと聞きます。

いや、それどころか、そもそも会社員という職種だけでなく、世の中にはいろんな職種があって、その仕事に就いている親からすれば、子供との触れ合いの機会がただでさえ、少ない。地元で小売やサービス業をしている人達は、そもそも土曜日曜が商売の肝心な日。知り合いの魚屋さんをしているパパさんはいつも運動会とかのイベントにも来れない

しかも、今の日本経済、大企業がフトコロに内部留保をたんまり取って、サラリーマンだって収入が少ないし、世界との収入格差がどんどん開いている状況にあって、大体の家庭が共働きだったりします。なのに保育園のキャパシティは全然足りてなくて、「日本死ね」という言葉に世の中が騒然としたのに、一向に状況は変わらない。

なんかもう、これは可哀想ですよ。自分も含めて。っていうか、この世の中、なんでみんな普通の顔して暮らしてられるの? もっと怒りをぶちまけた方が良いんじゃないか、とすら思います。

なんでこうなってる? 少子高齢化で子供の人数が減っているから? 今、教育のキャパシティを増やすと後で困るから? そういう発想で行政やっている人がいたら、言いたいですね。

オトトイ来やがれ、この野郎!ってね。ふざけんのもいい加減にしろって。

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ちょうど僕の世代は団塊の世代ジュニアとか言われます。

いや、オイオイ、ちょっと待ってくれって。自分たちだって好きで世代の人数が多かった訳じゃないって。少子高齢化が問題なんだったら、それを全国民の知恵を結集して解決すれば良いだけの話じゃないですか。移民の積極的受け入れとか、そりゃ色々、賛否両論な意見がぶつかったりもするでしょう。でも議論は始めなければ、この国に将来もないんですよ

議論。なんで、そんなことも出来ない? なんで、みんな意見表明をしない? せっかくこのnoteのようなSNSのお陰で一人ひとりが意見やら情報やら発信できる世の中になっているのに。

意見表明すると色々とイザコザがあるから。無難に生活していた方が安全だから。陰口を叩かれたくないから。出る杭は打たれるから。

別の記事でも書いたんですが、そうした考えは単なる思考停止です。あの、言っておきますが、思考停止って、もの凄い悪口で言ってますよ。人間は考えることができるから人間の尊厳を保てる。考えなくなったら、他の動物程度でしかない。いや、それじゃ他の動物に失礼か。

そして考えたら行動すべきです。行動がなかったら、会社の愚痴を飲み屋でいつも言い合ってるタダのしょうもないオッサン達と変わりません。

ああ、2500字を超えてしまいました。さすがにこれ以上は誰も読んでくれないと思うので、また次回に続けることにします。本当は、この回で、もっといろんな有益な主張をしたかったのですが(するつもりでした)、次回にお預けということで。ホント、ごめんなさい。

では、また! 明日も良い日でありますように!

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