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アート鑑賞について

アートが好きで、月1回くらいはどこかしらの美術館を訪れるようにしている。興味のある展示会があれば、日本国内どこでも観に行くようにしている。アートが好きになった明確なタイミングは覚えていないが、社会人になってから好きになったことは間違いない。ただ、さらに深くアートが好きになったきっかけはニューヨークのMoMA(The Museum of Modern Art,New York : ニューヨーク近代美術館)を訪れた時だったことはしっかり覚えている。2020年4月にもニューヨークへ旅をしてMoMAを再訪する予定だった。しかし、パンデミックのおかげでもちろん旅はできておらず、ちょっと思い出に浸りながらこの記事を書いてみようと思う。

MoMAのシャガールに震えた思い出

こちらはシャガールが1911年に発表した「私と村」という作品である。高校生ぐらいの時に美術の教科書で見たことがあるような記憶がある。一見、何が描かれているかよくわからない。日本語の解説を読んでもよくわからない。ただ、想像していたよりも明らかにサイズが大きい(192cm × 151cm)。この作品の前に立った時、感動で心が震えた。上手く言葉にはできないが、その美しさに圧倒されたのである。そして、このサイズだからこそ伝わる世界観があることを知り、現地に足を運んでアートを生で鑑賞することの意味を感じた。当然、作品の歴史や時代背景を学び、アーティストの真意やメッセージを知ることは大切ではあると思う。しかし、直感で感動したのだから、自分はその衝動を大切にしたいと考えていつもアートに触れている。学べる限りは学んでみるが、学び過ぎないこともアートとの触れ合い方であり、わざわざ全ての「理由」を知る必要はない。音楽と同じく受け取る人が考えたり感じるための「余白」が大切なんだと理解している。

美術館の見どころは作品だけではない

MoMAは1日で周りきれないくらいたくさんのアート作品で溢れている。ゴッホやアンディー・ウォーホルのようなメジャーなアーティストの作品も展示されていて、見覚えのある作品と不意に出会えることも面白い。MoMAは作品の質だけではなく、その展示方法や空間演出も本当に優れていると思った。日本に帰って美術館によく通うようになってから感じたことではあるが、アート鑑賞の体験価値は展示される空間の質によってかなり大きく左右されると思う。世界的に優れた作品であろうが、狭い空間にギチギチに飾られていてはその感動は薄まるばかりか皆無となってしまう。個人的にイケてると思える美術館や美術展はその展示方法も素晴らしい。自分は美術館へ行く際、その展示方法をインスタレーション的に鑑賞することも目的に行っているという節もある。独特な建造物とその空間の使われ方を肌で感じ、具象物の色や形や佇まいを最大限に美しく魅せる手法を吸収することによって、普段の自分の生活の中でのモノの置き方や、色の使い方・選び方にもアートから得た感覚が現れているなと少しずつ実感するようになった。

アート鑑賞が思い出させてくれたこと

アート鑑賞を続けている中で、自分が生業とさせていただいている「音楽」の聴き方や向き合い方にも良い影響を及ぼしてくれていることに気がついた。アート鑑賞による感動に深く「理由」を求めないことにより、音楽の感動にも「理由」を求めなくなった。もちろん何度も聴くうちに歌詞やメロディを分析することはあっても、まずは自分の直感を頼りに音楽を聴いてみて、自分が感動して興奮しているのかどうかを全ての基準として考えられるようになった。やはり、サラリーマン時代はそのアーティストや楽曲の背景を商売的に気にしがちであったことは事実である。改めて、自分の感動体験を基に「自分が感動するものを人に伝えたい」という、アーティストや音楽に関わらせていただくプロモーターとして絶対的に備え持っていないといけない感覚を、アート鑑賞を続けているおかげで取り戻すことができた。

ごちゃごちゃ細かいことを言ってはいるが、閉塞的な今のような世の中において、「美しいものを観て美しいと感じて心を育む」。アート鑑賞はそれができていれば100点満点だと思う。今はただ、自由にニューヨークへ旅ができるような世界が戻ってくることを願うばかりである。

二度目の緊急事態宣言発出間際の大阪より、文化と芸術へ祈りを込めて…。

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