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感染された方のお話を聞いて考えたこと

先日、とある知人(Aさん)とお話しさせていただいた際に、新型コロナウィルスに感染されていたことを告白された。Aさんは中等症一歩手前の症状だったが病院には入院できず、保健所からの指示で自宅療養されたとのことだった。自分自身の持つAさんの印象としては、日頃から感染対策は怠らず、人一倍注意しながら生活されているという印象の方だったのでとても驚いた。しかも、行動履歴を振り返っても感染経路に心当たりはないそうで、「電車の吊革を触った手で目を擦ったかも?」程度のことしか思い当たらないとのことだった。

中等症一歩手前とは言え、想像していたよりはるかに症状はひどかったそうで、倦怠感・関節痛・高熱がしばらく続き、体調が回復した今でも嗅覚と味覚はまだ失われたままだと言われていた。高熱が続く夜には「死を覚悟した」という言葉を聞いて背筋がゾッとした...。しかも、潜伏期間中に接触したであろう方々には高確率で感染拡大していたそうだった。Aさんの年齢や症状・感染率を踏まえて考えると、おそらく現在各地で猛威を奮っている変異株に感染されていたのだろうと考えられる。

テレビなどでも報道されている通り、実際に軽傷や無症状の方々がいることも事実で、強い症状が出たとしてもその症状は個人差がとても大きいとのことだった。ただ、感染拡大が始まった頃とは違って確実にウィルスが進化しており、体力のある若年層でもしっかり追い込まれるような状況になっているようである。

感染→発症→一定の回復に至るまでのリアルなお話しを聞かせていただき、保健所や病院とのやりとりの内容や、濃厚接触者と認定される条件、発症した際に自宅に備えておくべき必需品など色々と教えていただいた。世の中に「感染された方の体験談」的な情報が少なすぎると思っていたところだったので、とても貴重なお話しを聞かせていただくことができた。

(メンズファッションブロガーのMBさんが感染された際の体験談を公開されているので参考までに載せさせていただきます。↓↓↓)

この1年間、政府よりあらゆる自粛要請・休業要請が出されて理不尽な我慢を強いられているにも関わらず、それでも一切良くならない感染拡大状況。外国由来の変異株が易々と島国に入り込んで蔓延してしまう脆弱な水際対策。一向に増える様子のない重症病床。戦争中のような状況で戦っていても報われない医療従事者。いつになるのか目処の見えないワクチン摂取。TVメディアは必要以上に恐怖心を煽り続け、感染した人間は何故か周りに謝罪しないといけないという狂った風潮までも生み出した。

Aさん自身が言われていたことでもあるが、「感染して苦しんだことも体力的に辛かったが、心ない人からの心ない言動に一番傷ついた」と言われていて、少なからず憤りを感じた。以前より自分は、このようなことが今回のコロナ騒動では一番起きてはいけないことだと思っている。どれだけ注意していようが誰にでも感染リスクのあるウィルスであり、罹った人間を絶対に「悪」にしてはいけない。「誰が罹った・罹ってない」みたいな噂話や陰口も絶対にしてはいけないと思う。むしろ、罹ってしまった人から症状や対応策を学び、政治家や科学者ではなく一般人として賢くこのウィルスと向き合っていくべきだと思っている。最終的には各個人のデリカシーの問題ではあるが、この国の政府の度重なる失策とメディアの偏った報道が意識の分断を助長し、「コロナモンスター」的な人種を生み出しているように感じることがある。自分は都市伝説信者でもオカルト好きでもなんでもないが、コロナウィルスの本当の怖さはここにあると思う。明らかに人間を分断に向かわせているように感じている....。

(5月3日憲法記念日に自身のInstagramストーリーズにアップした画像↓↓↓)

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自分は今回のお話しを聞かせていただき、罹った時の準備をするべく、最低限の飲料やレトルト食品・日用品の備蓄を始めるようにした。引き続き最大限の感染対策は続けるが、自治体の対応も限界にきているので、もう自分も罹るものなんだと思って準備しなきゃいけないフェーズに入ってきたように思う。

最後にAさんに「コロナ渦におけるライブエンターテイメントの開催をどう思うか?」についても意見を伺ってみた。実際に感染されて死の恐怖を体験された方からすると、やはり「二の次・三の次」という感覚だった。エンターテイメント従事者の自分としてはとても寂しく辛い意見ではあるが、感染を経験された方の言葉や感覚にこれまで全く耳を傾けていなかったことに気付かされた。Aさんは「ただただ感染者が増えて欲しくない」と切実に話されていた。エンターテインメントの場で感染拡大を起こさないことは、大前提としてとても大事なことだけど、もっともっと広い視野で捉えて考えていかなければいけないなと考えさせられた。精神論は抜きにして、やはり、今の世の中においてライブエンターテイメントは本質的には「不要不急」なのだと思わざるを得ない。そして、音楽はそんなに簡単には止まらない。状況さえよくなればいつでも復活できるはずであり、それは歴史が証明している。ただ、アーティストや我々のようなエンターテイメント従事者にも生活や人生がある。「死なない(死なせない)ためにやるべきこと・生きる(生かす)ためにやるべきこと」をしっかり見極めて、バランス良く行動を続けていくしかないと強く思わされた。

(ここに書いたことは全て自分の主観でしかありませんので悪しからず。もしどなたかのお役に立てる情報となりましたら幸いです。)


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