見出し画像

「働く」の時間論② ビジョンと時間

前回はこちら

「オードリーのオールナイトニッポン」で、毎年、恒例のように語られる話題がある。
「今年の目標はなんですか、てうるせーよな」
新年になると、若林と春日は番組で受けるこの質問を取り上げて、「今年の目標なんかないよ」といじっている。リトルトゥースの自分はこの会話を聞くと、あーまた1年が始まったんだなと感じる。

仕事をしていれば、「目標をもて」と言われる。仕事のうえで達成したいこと、キャリアとしての「ありたい姿」。目標は現在の自分からもうひとつ上のレベルに達するための未来志向の考え方である。
目標と同じように、「ビジョンを描け」ということも言われる。ビジョンとは目標を達成したときに見える風景のことである。「富士山の頂上に立とう!」という目標を立てたときのビジョンは、富士山の頂上から見える景色になる。仕事では、会社やチームでする事業のビジョンについて語られることが多い。

ビジョンを描くことはとても大切なことだ。自分は以前NPOの業界にいたけれど、志をもった素晴らしい人たちがたくさんいた。NPOでは基本的に社会を変えることが使命なので(営利企業もそうなんだけれど、特に)、自分たちの活動を通してどんな社会になってほしいかのビジョンをもっていた。かく言う自分も「転んでも起き上がれる社会」というビジョンをなんとなく思っていた。

しかしビジョンとはあくまで未来に実現されるものである。当たり前だけれど、どんなに素晴らしいビジョンであろうとも達成されるまでは現実はそうではない。
例えば「貧困をなくす」というビジョンを描いたとしよう。そのビジョンが見えるところまで辿り着くまでには貧困がはびこっている。

さて、目標が達成されるまでの過程は、いったいどういうふうにとらえればいいのだろうか。今、貧困という問題を抱える現代に生きている自分たちは貧困のない社会が生まれるための踏み台なのだろうか。

長い長い人間の歴史のなかで、生活環境の改善や医療技術の発達、人権意識の高まりや労働環境の改善など、さまざまな問題がクリアされてきた。例えば病気が流行したときになす術もなく待つだけではなくて、手洗いをするという一人の習慣からワクチンの国家的な接種促進などあらゆる方向から課題を解決できる。それはいつの間にか人類ができるようになったわけではない。病気の原因に対しての対処方法の発見と国家的に対応するための巨大な官僚制度をつくり上げてきたのだ。

この連載の問いは、「働く」という行為のなかで、時間とは一体なんだろうか、というものだった。ビジョンが実現されるまでの過程、個人や組織が必死になって行動するなかにも一人ひとりの「働く」という時間が存在している。人間はこれからも未解決の課題をクリアしては、今では考えられないような新しい世界を作っていくだろう。だが、その「新しい世界」にいない今、ここで「働いている」自分とはいったいなんだろうか。
「働く」という行為のなかで、ビジョンを実現するまでの連続した現在の過程はどういうふうにとらえればいいのだろうか。

次回はこちら


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?