応援の力

僕は大学の陸上競技部のコーチをしていますが、今年からインカレの全体応援が再開されることとなりました。
ここ3年はコロナウイルスのために全体応援という形はとっていなかったが、それ以前僕が学生の頃はそれが当たり前で、僕は出場している選手たちを応援しながら、うらやましく。そして妬ましく眺めていたのを覚えている。

そこからコロナも落ち着きを見せいよいよ再開となったのだが、それに対して学生たちから不満の声が上がっているのをよく耳にする。当然僕たちのまわりにもそれはあったが、今の学生は全体応援というものを体験したこともなくその意味も必要性もわからないのだから不満があるのもうなずける。
そういった中でいい機会なので、僕自身の中でも全体応援をする意味について考えて見ようと思った。

まず、自分の体験を思い出してみよう。

僕自身はインカレには2度しか出たことがなく、その時のことは鮮明に覚えている。その中で応援という部分について印象に残っているのは3年時の西カレです。十種競技で代表として出場していたので応援については人一倍受けていたと思う。基本的には混成ブロックからの応援をが中心となっていましたが、これももちろんすごく力になった。それとは別に最終種目1500mの前、混成種目ね中でも最もつらく、最も精神を削る瞬間の一つと言っても過言ではない瞬間。その時に他大学がその大学の選手に向けて応援歌がうたわれた。その大学は男性の割合が非常に多く僕の応援歌もイメージでいうと祭りを連想されるような勢いのある盛り上がる歌でした。僕は他大学ながらそれを聞いて奮い立ったのを覚えています。選手とスタンドが一体となり自分たちだけではなく周りまで巻き込み雰囲気を生み出す。そんな力が応援にはあると感じました。

応援というものは選手側が受けるだけのものだけではなく、選手とスタンド双方にいい影響があり、応援された側はいい記録を出し、応援する側はそれを見て盛り上がる。そういったお互いが与えあう関係がなりったてこそ成立するものではないかとも感じました。

そしてこういって理屈を並べたところで、やはり応援というものはされたものにしか良さはわからないのが現実です。
応援に対して文句を垂れている選手は、応援されない選手たちが大半です。
だからこそ学生たちには、応援される側になってほしい。それはインカレの代表になってほしいという意味もありますが、応援される人間になってもらいたいという意味でもあります。そして自分が受けた、感じたその応援の力をまた次へとつないでいくそのループが生まれていくことが理想だなと考えました。


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