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今日もかっこいい大人になれない

『仮面ライダー』を見ていたのは、小学生のときだった。当時は大人になったら自分が悪を倒すと本気で思っていたのに、30歳になっても悪はおろか自分ことすらままならない。そもそも悪とはなにを指すのだろう。人間の数だけ正義があって、もはや正解、不正解などないのかもしれないとさえ思えてきた。

今の僕は世界を救うどころか、屋台の金魚すらうまく掬えない。かっこよさの欠片もない人間に何かを救えるのだろうか。どこで道を踏み外して、情けない大人になったのを振り返る。高校まではサッカー選手になるとサッカーに全力だった。プロになるために高校を選んだのに、サッカーが嫌いになりそうだって、1年の夏休みを乗り越えてから部活を辞めた。人生最初の挫折である。そこから何がしたいかのかがわからなくなって、適当にバイトをしながら遊んでいた。

人間は熱中できるものがなくなった途端にダメになる生き物だ。学校に行っても、授業が寝ている間に終わっている。先生からすればうるさくて授業を邪魔されるよりは幾分マシなのかもしれない。教科書を読めばわかるだろと突っ込みたくなる授業に飽き飽きしては、不満だらけの自分に嫌気が差す。サッカーという道標を失った。喪失感はやがて虚無へと変化を遂げる。

雲行きが怪しくなってきた。大学生になって焦りが芽生えたのか自己啓発本を読み漁る。どれもこれも書いている内容が同じだと気づいたのは卒業してからだった。就活が始まったことで周りが同じ人間のように見え始める。学生時代は協調性を大切にしなさいと教えられてきたのに、社会では個性が求められるらしい。

自己分析に他己分析。まずは自分を知りなさいと何者かになりたがっている社会人たちがアドバイスをする。どうやら就活サイトの質問を答えるだけで、自分の強みや天職がわかるらしい。あなたは営業職に向いていますと書かれた結果を見て、世の中のほとんどの仕事が営業職だろと肩を落とした。何の役にも立たない。誰かが作った質問で自分をわかった気になって、就活を無事に終え、社会人になった。

就職活動の際に、たくさんの社長が「うちはアットホームな職場だ」と言っていた。これは社会人になってから知った話なのだけれど、事実か否かはいったん置いといて、どうやらアットホームと謳い文句を掲げる企業はブラック企業が多いらしい。社会人になって、2ヶ月で転職をして、1つの会社に3年半ほど勤めて、イベントスペースを運営するために独立した。ところが、イベントスペースを運営する会社の資金がショートしたため、独立からたった3ヶ月で職を失った。路頭に迷っていたところ、趣味で書いていたブログを思い出して、ノリと勢いでライターになることに決めた。

会社員時代、満員電車は辛いし、会社に着く頃には「帰りたい」の気持ちは最高潮に達している。定時になれば仕事が終わって、家に帰れるとか言って、つまらない毎日を過ごしていた。好きなことで生きていくとYouTuberが好きなことで生きている姿を目の当たりにする。好きなことを仕事にした。それでも不満や悩みは尽きない、むしろ好きな文章を嫌いになりそうになる。それが一番辛い。でも、好きな文章で誰かの喜ぶ顔を見るのは好きだった。

25歳を境に周りの友人たちが次々と結婚していく。Instagramに流れる結婚式のストーリー。おめでとうとメンション付きで結婚式の流れをストーリーで上げる友人たち。1年に数回結婚式に招待された。祝福したい気持ちはある。心の奥底で周りよりも遅れていると少しだけ焦りも芽生えた。「お前はいつになったら結婚するの?」という友人の何気ない言葉に心を抉り取られる。祖母から電話口で伝えられる良いお相手見つけなさいという求めてもいないアドバイス。ついに父親には「もうお前には期待していない」と言われるようになってしまった。

26歳で結婚という計画を立てていたのだけれど、計画は計画の範疇を超えることはなかった。自分が立てた計画はほとんどうまくいかないと知ったのはその頃かもしれない。毎年意気揚々と1年の目標を立てていたのだけれど、どうせうまくいかないと諦めがついた27歳からは目標を立てなくなった。

『仮面ライダー』に憧れていた自分が、いまの自分を見たらガッカリすると思う。「お前何やってんだよ」と諦めモードになるかもしれないし、よりよい未来を迎えるために、必死に運命に抗うかもしれない。後者だったら嬉しいのだけれど、性格的に考えると抗うことをせず、どうやったら未来がもっと楽しくなるかを考えるはずだ。

生きていると、本当に想定外のことばかり起きる。人生は「上り坂」「下り坂」「まさか」という3つの坂で構成されているらしい。毎日坂と出会いたくないし、できるなら平坦な道を歩んでいたい。下り坂は楽だけれど、降りた分登流必要があるため、降りすぎるのもたぶん疲れるし、たまには休みたい。たくさんの人が乗り越えられる試練しか目の前に現れないと言うのだけれど、試練はない方がいい。楽して生きていたいし、「まさか」に翻弄される人生はまっぴらごめんである。

かっこいい大人になりたいと思っていたのだけれど、現実は毎日の生活を守るだけで手一杯である。今日も早起きに失敗したり、食パンを焦がしたり、小さな失敗を毎日積み重ね続けている。失敗の数はもはやカウントできないし、失敗の上に成功があると言われてもあまりピンとこない。

泣き言を言っている暇はないと頭ではわかっている。頭の中の怠惰くんが「たまには泣き言ぐらい言わせてくださいよ」と耳元で囁いてくるのだ。と同時に、天使さんが「もう少し頑張ったらいいことがあるよ」と囁いてくるのだけれど、聞く耳はあまり持ちたくないし、すぐに楽なほうを選んでしまうからもうどうしようもない。

大人は思っている以上にカッコよくない。僕がただダサいだけってのもあるのだけれど、カッコいいと思われている大人は想像以上に少ないような気がする。みんな小さい失敗ばかりしているし、見えないところでたくさん苦労している。僕がどれだけ頑張っても、きっと世界は救えない。でも、女の子の前でカッコつけるために、せめて金魚ぐらいはうまく掬えるようになりたい。なんてことを幡ヶ谷の喫茶店で読書をしながら考えていた。

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