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ありのままの自分を受け入れること

「こんなはずじゃなかった」と「小さな成功体験」の寄せ集めで今の自身は形成されている。不完全な思い出ばかりが脳裏にこびりつき、忘れたくない記憶は一瞬で消えてなくなった。幼少期は花屋さんになりたかった。小学生の時に抱いた夢は授業中に発表したことによって、「男の子が花屋さんを志すのはおかしい」と簡単に跡形もなく消え去った。

純粋無垢だったあの頃、その言葉は信じるに値した。夢を諦めて、また別の夢を探す。男の子っぽい夢といえば何が連想されるだろうか。野球選手、サッカー選手、医者、警察官に消防士。「経験が少ない」は「夢の幅が狭い」と同義だ。テレビで観たサッカーの試合を観て、サッカー選手になる夢を掴み取った。だが、掴み取っただけに過ぎなくて、その夢は実現に至らぬまま終わったのがオチだ。

今は文章に携わる生活を営んでいる。楽しいばかりではないが、それなりに幸福感がある。生みの苦しみと生んで貰ったものを丁寧に扱うの繰り返し。どちらも体験しているからこそ、それぞれの葛藤や苦しみがわかる。

幼少期の頃は文章に携わっているとは微塵も思っていなかった。

「こんなはずじゃなかった」と思えるまさかの連続と小学校の時に読書感想文で賞を貰った「小さな成功体験」が偶然重なって、文章を生業にするようになった。後悔があるかと聞かれたら微塵もないとは言い切れない。これまでに諦めてきた数々の夢たちが嘲笑うような視線でこちらを眺めている。それらを無視できれば楽なのだが、一生付き纏うであろう視線が身体中に纏わりつく。どうしたって過去の失敗が脳裏にこびりついて離れない。その一方で小さな成功体験たちが身を挺して彼らと交戦している。勝敗がつくわけではなく、冷戦状態が続くのがオチなのだけれど、その様子をただ傍観することしか僕にはできない。

最近はSNSに呟く事がないため、投稿が減った。ポジティブに捉えるならば目の前の生活に集中できているということ、逆にネガティブに捉えるならば思考と経験の数が足りないということだ。臭いものには蓋をする主義なので、前者で捉えたい。誰がなんと言おうと前者で捉えたい。やりたい事が見つからないのではなく、やりたいことが定まらない。この膨大な世界で何か一つのことに一点突破するのは勇敢な行為だ。だが、視点を切り替えると、無謀な行為とも捉えられる。どのような人生を歩むかは自分で決めろ。誰かが決めてくれたものを歩んでも他責になるだけだ。自分で決めた人生でも他責にしたくなる日はあるけれど、どれだけ足掻いても自分の決断からは逃れられない。

「こんなはずじゃなかった」と「小さな成功体験」の寄せ集めで今の自身は形成されている。不完全な思い出ばかりが脳裏にこびりつき、忘れたくない記憶は一瞬消えてなくなった。「それでも前を向いていくしかない」しか答えがないのであれば、この世界の機能はすでに破綻している。美しい世界の裏側で泣き寝入りしている人はごまんといる。楽しいと笑う人は傷ついているかもしれない、泣き顔は誰にも見せないと思っている人もいる、笑う角には福来たるという言葉のせいでずっと笑顔の人もいる。そう思えるほど世界は優しくも美しくもない。想像以上に醜い承認欲求に塗れている。

無理矢理前を向かなくていいし、口角を上げる必要もない。苦しい時は苦しいとありのままの自分を受け入れる。人生の底を見た瞬間に全てがゼロになる。その際に見つかる一つの灯火が人生を変える大きなきっかけになるかもしれない。

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