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自分をさらけ出すことの重要性

些細なことで笑ってみせたり、突然悲しくなったりする。感情が揺さぶられる瞬間があまりにも多くて、たまに感情に対して厄介だと感じる場合もある。何かによって生み出される喜怒哀楽。自分の感情の変化に対して、ジェットコースターに乗っているような感覚もある。いつか乗り物酔いを起こしてしまいそうだとたくさんの人が仕事をしているカフェの中で考えていた。

自分の感情に蓋をしたいわけでもない。なるべく自分の感情を大切にしたいし、なぜその感情が芽生えたのかを知りたい気持ちもある。ときには我慢を強いられる場合もある。それも人生だと割り切れる強さがあったなら、生きやすくなるのかもしれない。

時刻は21時を迎え、脳も体も疲れがピークに達しているが、手持ちの仕事がなかなか終わらない。今日は21時には家でのんびりする予定だったのだけれど、現実はこのザマである。息抜きにnoteを執筆していて、終わり次第残っている仕事に取り掛かる予定だ。毎日更新に足を引っ張られていると思うときもあるが、頭の中に思い浮かんだ言葉をPCに打ち込む時間は嫌いじゃない。ここは自分だけの楽園で誰かに止められることもない。自由気ままに言葉を打ち込んで、疲れ切った体に束の間の癒しを取り入れる。とはいえ、悠長なことを言っている余裕がないのも事実のため、なるべく早く書き終えなければならない。

その辺にしときなさいと天使が言う。うるさい、黙ってろと悪魔が言う。善悪の判断は個人に委ねられ、それが本当に善なのか悪なのかどうかは実際のところ誰にもわからない、自分が正しいと思うことは他人にとっての悪の可能性もある。正義を振り翳すことはやがて暴力へと変貌を遂げる場合もあるが、自分が正しくないとも思いたくない。

人間はコミュニケーションを重ねながら、少しずつわかり合う必要がある。自分のことですらわからない場合があるため、察してよと言われても何もわからない。でも、現実は相手に察してほしいと願ってしまう愚かさも兼ね備えている。それは相手に対して甘えが生じているに過ぎない。勝手に期待して、勝手に失望する。あまりにも身勝手だが、こういった状況は頻繁に発生しているんだと思う。相手を知らなければ、分かり合えないし、かといって自衛しすぎると相手が自分の扱い方に困る。

すべてをさらけ出す必要はないけれど、信じていいかもと思えたなら、一歩ずつ歩み寄ってもいいのかもしれない。それで見える世界が変わる可能性もある。嫌なやつだと思っていた人が実はいい人だったという事例もあったのも事実だ。わからないからわかるためにコミュニケーションを重ねる。それで分かり合えなかったら、自分とは合わないと割り切るしかない。人はいつかサヨナラをする。そこに寂しさはあれど、遅かれ早かれやってくる時期が少し早まっただけだ。ご縁があればまた巡り会えるし、出会い直しであれば、そこにはきっと以前よりも強固な糸が結び付けられているのだろう

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