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いつまで文章を書き続けられるのだろうか

毎日、noteで文章を書いている。仕事の合間に書くときもあれば、ある程度時間を捻出して書くときもあるのだけれど、一体いつまでこうやって文章を書き続けられるのだろうか。ふと、こんなことを考える機会がある。毎日更新の終着点といえば良いのだろうか。

毎日更新を始めたての頃は、書くのにかなりの時間を要した。この苦労を毎日味わうのかと考えるだけで怖い。どうして毎日更新を始めてしまったんだろうと後悔もあったが、蓋を開けてみれば1,600日以上も書き続けている。そういえば以前どこかで習慣化にはステップがあると聞いた。まずは3日、そして、1週間、1ヶ月、3ヶ月で定着し、半年で完全に習慣化が完成する。すぐに習慣化できるわけではない。自らの努力の積み重ねの結果が習慣化の完成を形成するのだ。

毎日更新を始めたきっかけは、友人がやっていたためだ。毎日更新が始まる前に継続が1年になった頃の自分へ手紙を書くというかっこいいスタイルをこの目で見た。こんなかっこいい人間がいるのかと感動したのを今でも覚えている。自分もかっこいい人間になりたい。動悸はいつだって不純なものである。だが、それが功を奏したのか。今は毎日更新がやらなくては気持ち悪い歯磨きのような存在となった。

とはいえ、そんなに簡単なものではない。何度も挫けたし、辞めてやろうと思った。過去にいつ辞めてやろうかと考える機会がたくさんあった。辞めたければいつでも辞めればいい。辞めたことによって人生に大きな影響はないし、むしろ自分の時間が増えるかもしれない。これは好都合だ。新たな道が開けるかもしれない。

だが、辞めなかった。今は文章を書き続けられるうちはずっと続けたいと思っている。そう思えたのは、自分の書いた文章を読み返す楽しさを知ったためだ。ここに書いているのは人生のほんの一部である。書いていないことの方が圧倒的に多い。でも、人生の切れ端を振り返る場所があるのは、内省の役に立つ。どんな生き方を選んでいたのか。その軸は?これからどうなっていきたいのか。自身の過去を振り返る機会を自身の手で作ってきた。

そういえば、たまに毎日更新をやってみたいという方から相談を受ける機会がある。本心ではやらない方がいいと思っているのだけれど、可能性の芽を摘むのが嫌という理由でやってみたらいいよと返す日々。どんなものも経験してみなければ向き不向きはわからない。たとえ辞めてしまったとしても、向き不向きがわかってからの方が踏ん切りがつく。やらずに後悔よりもやって納得。そして、新たな何かに挑戦する。毎日更新に挑戦したという経験は無駄にならない。それは自身がこれまでに証明してきたつもりだ。

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