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たかが人生、されど人生

先日、「生きる意味」を問われる機会があった。さて、生きる意味とはなんなのだろうか。ちなみに、自身は生きる意味は死ぬ前に見つかれば万々歳だと考えている。それは生きる意味に囚われて、大切なものを見失うことが怖いためだ。生きている間に生きる意味が見つからなくても、それはそれで良しである。

自身の思考の癖として、過去に起きた出来事をなるべくマイルドに話してしまう傾向がある。苦しみの核心に触れないように、要所を端的に話す。そして、最後は前向きに話を締めるようにして、その話が誰かのためになったらいいと考えている。それはきっと気まずい雰囲気が流れないようにする自分なりの配慮であり、心の奥底まで触れてほしくないという気持ちの表れだ。

重苦しい話など誰も求めていない。誰かが話す内容は、対人用に気配りが行われている場合が多く、それはきっと優しさからくるものだ。加えて、重苦しい空気を作ってしまうと、それまであった楽しい雰囲気が見事に崩れ去ってしまう。また楽しい空気を作らなきゃと焦りが芽生えるし、それで一体誰が幸せになるというのだろうか。

身に起きた苦しみは心の中で留めておく。それは不幸に見舞われた本人にしか本当の苦しみがわからないためだ。人生はなるべく楽しいの数が多い方がいい。でも、楽しいばかりじゃつまらなくなる可能性もあるため、時にはちょっとしたスパイスも必要なんだと思う。

生きる意味、それはそれぞれによって異なるものだ。たかが人生、されど人生。僕は自分の人生になるべく後悔を残さないように生きている。でも、もしも生まれ変われるのであれば、僕は自分になりたくない。後悔はないし、過去の苦しさを乗り越えた自負はあるのだけれど、もう一度同じ苦しみを味わえるかと問われると、確実にノーを突きつける。

生まれたことに後悔をしているわけではないし、今の人生を気に入ってもいる。だからこそ、生きる意味に囚われる生き方をしたくない。二度とやり直しが効かない人生だからこそ、身に起きた出来事を目一杯味わえる人でありたい。そして、自分の人生に納得しながら生を終えたい。

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