ベーチェット病と診断されたあの日から5年が経った
2019年9月24日に医師からベーチェット病と診断を受けた。そこから5年が経ち、今も治療を続けている。失ったものを数え出すとキリがない。いくらでも後ろ向きな気持ちになれるし、時にはなりたい日だってある。だが、今は幸せだと声を大にして叫びたい。
幸か不幸か、本日は金子眼鏡でオーダーしていた眼鏡の受け取り日だった。今回は遠近両用レンズの眼鏡を購入したのだが、これは両目に罹った白内障が原因だ。
白内障によって濁った水晶体は元に戻らない。そのため、水晶体を取り除き、水晶体の代わりとなる単焦点眼内レンズを目に取り付ける手術を受けた。単焦点眼内レンズは遠方、中間、近方のいずれか1点にピントを合わせたレンズだ。僕は遠方用のレンズを取り付けたため、それ以外の範囲を見るには眼鏡や老眼鏡が必要となる。
手術を受けた後は人と話すときは眼鏡を外し、外を歩くときは眼鏡をつけていた。遠近両用レンズの存在は知っていたけれど、取り入れたいとは思っていなかった。眼鏡のつけ外しは煩わしさもあったけれど、慣れとは怖いものだ。いつの間にかつけ外しが当たり前のようになっていて、そこに芽生える感情がなくなっている。だが、遠近両用レンズによって生まれるであろう生きやすさには興味があった。眼鏡のつけ外しをしなくても良くなることほど嬉しいものはない。そんな淡い希望があった。
眼科で遠近両用レンズについて担当医に相談すると、病院で処方箋をもらわなければ眼鏡を作れないかもしれないと言われた。日を改めて、視力検査を受け、実際に遠近両用レンズの眼鏡を掛けさせてもらったのだが、驚くほどにめんどくさい。レンズの左右がぼやけているため、対象物を見るためにいちいち顔を動かす必要がある。その一方で、眼鏡を掛けていても読書ができるという嬉しい発見もあった。担当医によると、若い人は遠近両用レンズに慣れるまでそれほど時間はかからないらしい。遠方用のレンズにするか、遠近両用レンズにするのか。悩みに悩んだ結果、担当医の言葉を信じて、新しい世界との出会いを選択した。
そして、自分のご褒美として、生まれて初めて金子眼鏡で眼鏡を購入。いつか手にしたいと思っていた念願のブランドだ。洗練された店内、その空間に相応しいスタッフの身のこなし、一挙手一投足が丁寧でこれがプロの力かと驚いた。お店でいくつか眼鏡を持たせてもらったのだが、これまで持っていた眼鏡はすべて偽物だったんじゃないかと思えるほどに軽い。購入する眼鏡が決まり、お店のスタッフからどのようなレンズがあるか説明を受けた。
金子眼鏡のレンズはカメラで有名なNikonのレンズを使用しているようだ。眼鏡のレンズにNikon?と驚きを隠せない。さすがは一流ブランドだ。レンズにもこだわっている。諸々の手続きが終わった。手元に届くまで10日はかかるようだ。
幸か不幸かベーチェット病だと診断された日と受け取り日が重なった。まさかこの日になるとは微塵も思っていなかった。なぜこの日が受け取り日になったのかについて考えてみる。後ろ向きに捉えるならば、お前は目の不自由さと一生付き合っていかなければならないという業を背負わされた。そして前向きに捉えた場合は、今抱えている生きづらさが少しでも軽くなるための贈り物を授かった。
幸せや不幸は人間の錯覚に過ぎない。最近気がついたのだが、幸せな人は幸せになるための選択をしている。逆に不幸な人は不幸になるための選択をしている。どちらを選ぶかは本人の自由で、それを邪魔する権利は誰も持ち合わせていない。起きた出来事は変わらないけれど、受け取り方次第で人生は大きく変わるのも事実だ。
ベーチェット病を発症した当初、仕事はおろか生活もできなくなっていた。これまでに味わったことのない深い絶望。毎晩枕を濡らし、なぜ自分がこんな目に遭うのだと己の運命を呪った。その一方で、周りの人が困っていることはないかと手を差し伸べ続けてくれた。そのおかげで僕は無事に社会復帰を果たした。今も治療中ではあるが、たくさんの人に支え続けてもらっている人生だ。絶望から救ってくれた人がいるという事実は、自分を大切にしようという思いを芽生えさせた。
僕には自分を幸せにする権利がある。今日という日に遠近両用レンズの眼鏡を受け取ったのは、単なる偶然じゃない。この日を選んで、手元にやってきた。だから、遠近両用レンズの眼鏡の受け取り日がベーチェット病と診断された日と重なったことを嬉しく思う。決して僕は不幸を選ばないし、この先もずっと幸運な人間だと思い込んで生きる。難病になった事実は変えられないけれど、どう受け取るかの解釈は自由でいい。たくさんの人から受け取った贈り物は、誰にも奪えないかけがえのない財産だ。
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