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そういう人になりたいぜ

「誰よりも自由でいたい」と願った彼はずっと窮屈そうだ。

以前、居酒屋で「どんな人になりたい」という話題で盛り上がった。

1人は「世界を変えたい」と言っている。「どうやって変えるの?」と返すと「それはあれだよ」と頭の中にある考えを必死に取り出そうと躍起になっっていた。予想どおり答えは出ず、彼は舌を出して笑っている。普段ならこのような意地悪をしないのだけれど、彼との間にはそれを許す絆がある。そこに安心感を覚えるし、彼のやさしさに甘えすぎるのは良くないと身を引き締める思いだ。

何も考えずに思ったことを口に出す。それはところが彼のいいところであり、悪いところなのかもしれない。物事は人によって捉え方が変わる場合がほとんどで、僕は思ったことを口にするところを彼の好きなところだと思っている。

もう1人は「生活に困らない程度にお金を稼いで。自由を謳歌したい」と言っていた。ヒッピーな暮らしを夢見る彼は最近独立したらしい。みんなが会社員として奮起している間も、海外を飛び回っている自分の欲望に忠実なやつだ。自分のやりたいことを愚直に追い続けるその姿は誰が見てもかっこいい。

ずっと自由を謳歌するだなんて、まるでワンピースのルフィみたいだと思ったし、今の彼はとても窮屈そうに思えた。そして、自由を謳歌する生活も悪くないと思っている自分がいた。

人に愛と思いやりを持って接する、かっこよくて自分らしさを失わずに生きる、相手を否定せず、鼓舞し続ける存在、相手が困ったときに力になる。友達が力になった話をしてきたときは、何食わない顔をして「そんなことあったっけ?」ととぼけていたい。綺麗事を諦めずに、感謝を忘れない、毎日を丁寧に過ごす、自身に起きた出来事をを深く味わうなど、たくさんの考えが出てきたけれど、それらを一言でまとめる言葉が出てこない。

あと少しで、僕の番が来る。手には汗、心音は徐々に早まっていく。手元にある生ビールを一気に喉の奥に流し込む。店員さんが「おかわりどうですか?』と最悪のタイミングで声をかけてきた。後で頼みますと断る。四方八方に考えが散らばり、頭の中の考えがまだうまくまとまっていない。

友人の話が終わり、僕の番がやってきた。「それがまだわからないんだよね」と正直に話すと、友人が「お前らしくていいな」と言う。自分らしさとは何か。それはきっとわからないからこそ、なりたい自分像を見つけるためにもがき続けるいる自分なんだと思う。なりたい自分像はずっと変わり続けていいのかもしれない。むしろ変わらない方が難しいはずだ。

もう30歳なのに、なりたい自分像をまだ上手く言語化できずにいる自分が友人の言葉によって、誇りを思えた。他人のことは愚か自分のことすらもわからずにずっと生きている。僕はどんな人になったとしても、自分の生き方を誇りに思える人になりたい。そういう人になりたいぜ。そういう人になっていこうぜ。たとえなれなかったとしても、理想像を追い続けた事実だけはずっと消せはしないのだから。

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