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君に安易に共感されたくないこと

ぐらぐらと揺れる脳で絞り出せる言葉なんて、相手に伝えたところでたいした効力はないのかもしれない。

今日は1日中頭がぐらぐらしている。東京から夜行バスで大阪に今朝帰ってきたのだけれど、昨夜はなかなか寝付けず、2時間ほどしか寝ていない。にもかかわらず、やることは山積みで、普段の日常が当たり前のように流れている。寝たい。とにかく寝たい。いまはそれしか考えられないぐらい睡魔に襲われている。

3週間ぶりの大阪は9月に入ったのに、気温が36℃を記録していて、ジメジメした空気がやけにうざったかった。肌にべとつく汗がうざったい気持ちをさらに増幅させる。クーラーが効いた部屋にいても、夏の焦ったい日差しが部屋の温度を下げてくれない。お昼寝を試みたものの、うまくいかず、もはや逃げ場はないんだと悟った瞬間に、眠りにつくことを諦めた。おかげで頭はまったく働かないし、体のあちこちが悲鳴を上げている。

不思議なことに、気持ちが沈んでいるときに書いた文章は共感されやすtいものだ。自分の悩みは誰かが抱えている悩みで、同じ悩みを持った人の存在に救われたり、救われなかったりする。今日は睡眠不足に悩む人がいたら是非とも握手を交わしたい。自分のいまの心情を赤裸々に語ったときに「それわかる」と共感に繋がりやすいのだろう。

僕が書く文章は、自身の弱さをさらけ出しているものが多いらしい。そのためか自身の弱さを吐き出せてすごいだとか、自分の生活を切り売りしているとよく言われる。なんて自身のすべてをそれで理解されたくないし、きっと読者の方もそう感じているはずだ。

「わかる」と簡単に共感されて嬉しいことと死んでも共感されたくないものがあって、趣味や仕事の悩みは前者に当たる。逆に後者は難病で苦しんだ事実とか、このバンドは売れると思った瞬間や誰も知らないであろう喫茶店を見つけた瞬間だ。

ちなみに僕は相手に対して「わかる」を気軽に伝えないようにしている。その理由は簡単に共感されたくないかもしれないためだ。


誰にも共感されたくない感情は、共感された途端に絶望に変わる。たとえば売れると思ったバンドが本当に売れてしまうと、急に興味が失せる。自分だけが知っていた魅力をたくさんの人が知るのはうれしいけれど、やっぱり寂しさもある。なんてただの身勝手だ。

読者の方から共感してもらえる理由。自身が考えるnoteの役割は日々の感情を残しておくことだから、赤裸々に書いていると思われてている可能性がある。でもnoteやSNSに書く文章は、言葉をオブラートに包んでいるのも事実。弱さをぜんぶ吐き出せているわけもなく、見せてもいい箇所をほんの少しだけ掻い摘んで、文章にしているのだ。だから死んでも共感されたくないことの詳細は読者の誰ひとりとして知らない。

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