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何者かになりたかったら東京に行きなさい

通り過ぎる人並みに飲まれるその様は、何者でもない感覚を味わうに値した。

「何者かになりたかったら東京に行きなさい」とお世話になった経営者が言った。大きな肩書きを持った人が話す言葉だ。きっと何かがあるに違いないと学生時代の自分は盲目的になっていた。

渋谷駅前の巨大なスクリーンに映し出されているとあるアーティストから放たれる大きな歌声を掻き消すかのように、スクランブル交差点の人だかりが右往左往する。その様は街全体が大きな叫びを上げているような感覚だ。街中のどこを見渡しても、大きな音がする渋谷駅前はなんだかうまく気が休まらない。

ハチ公前で音を掻き鳴らすアーティストを、誰もが気づかないふりをする。いや、スクリーンのアーティストの声すらもかき消されるのだ。なかったことにされても仕方がない。

路上ライブの様を見て「100万人のために歌われたラブソングなんかに僕は簡単に想いを重ねたりはしない」と歌ったポルノグラフィティが頭に思い浮かんだ。あのアーティストは、一体誰のために歌っているのだろうか。彼の歌声がたった1人に向けられていないことだけはわかる。彼が掻き鳴らすギターの音はやけに煩いし、おまけに下手くそなシャウトなんかして、そこまでして誰かに存在価値を示す必要はないだろうとも思った。

初めて訪れた東京は、どこを見ても大きなビルや人に覆われていた。日本だけでなく、世界中のあらゆる情報が最先端で届くこの街は、たくさんのノイズに塗れているような気がした。道行く名も知らぬ人に道を訪ねても。大阪ほどは親身になってくれない。しかし、冷たい街と印象付けるにはまだ早い。たくさんの情報や人が行き交うこの街では、すべての物事にじっくり構っている暇はないのかもしれないと物思いに耽る。昼夜問わず回り続ける東京を生き延びるための手段が、「気にしすぎない」なのではないだろうか。

東京に足を踏み入れても、自分が何者かになれるわけなどなかった。たくさんの人が行き交う街の喧騒に紛れる名もなき男がそこにいるだけだ。それどころか世界中のどこを旅しても、何者かにはなれない。東京に行けば何か見つかるかもなんて、淡い期待は音もなく崩れ去る。自分は自分自身として生きていかなければならないという真実を突きつけられるだけだった。それでも東京で何者かになろうともがいている人がいることは救いで、残酷な事実を受け入れる行為は、容易ではないという事実もちゃんと理解できた。

経営者が言った「何者かになりたかったら東京に行きなさい」という言葉の真の意味は「何者かになんてならなくても生きていける。自分の足で立って、前に進め」だったのではなかろうか。と、今になっては思う。

何者かになろうとどれだけもがいても、自分以外の人間にはなれない。それが紛れもなく事実である。にもかかわらず、モラトリアム期から抜け出せない若者は減るどころか、増え続ける一方だ。

30歳になって、何者かになりたいと願ったあの時期があって良かったと思っている。ネットや書籍でなんでも調べればわかる現代で、失敗しない方法ばかりを探して生きる人生はなんだか窮屈なような気がする。身を以て失敗するからそれが自身の血肉と化すのだ。試行錯誤を繰り返して、前に進む。失敗は財産、近道なんてない。遠回りをしたからこそ、気づけたことがたくさんあった。

誰も何者かにはなれないという真実はときに残酷に思えるかもしれないけれど、視点を変えれば自分自身をちゃんと生きるという決意ができるきっかけとなる。何者かになるよりも、自分自身の物語を持て余すことなく味わい尽くしたい。そう思えた初めての東京の旅だった。


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