同じドアをくぐれたら

人間の第一印象は、顔で決まる場合が多い。もちろん中身を見てもらえる場合もあるけれど、それは顔が中身を凌駕した場合のみである。世の中は本当に残酷だと思う。弱肉強食は理解できるけれど、容姿の良さすらもそこに組み込まれるのは違う。なんて、綺麗事を言いながら、自分の好きなタイプの女性をずっと探している。

過去にアメリカで行われた実験で、マッチングアプリを経由して、出会った人との離婚率は普通に出会った人よりも低いというデータが出た。マッチングアプリは聞きづらい話を会う前に聞くことができるため、結婚前とのギャップが少なく、離婚に繋がらないのかもしれない。

最近の僕は運命の人をマッチングアプリで探す日々を過ごしている。幸せな結婚生活を送りたいのであれば、マッチングアプリのほうが効率的に進められるはずだ。趣味趣向、価値観など、ありとあらゆる条件をアプリに入力して、条件に合った女性を探す。

ドラマや映画のような出会いを期待した時期もあった。運命じみた出会いは滅多に起きないものだ。ということを、20代後半になってから気づいた。すこし遅いのかもしれないけれど、気づいただけマシと自分に言い聞かせた。

iPhoneの画面上に出てくる女性の顔写真を何度もスワイプする日々を過ごして、どれぐらい時間が経ったのだろうか。女性の顔写真を見すぎて、もはやどんな人がいいのかすらもわからなくなった。恋愛にご無沙汰な僕は、大人の恋愛の始め方がわからない。告白するタイミングは?そもそも告白は必要なのか?ドライブデート?ご飯は奢ったほうがいいのか?学生時代のような恋愛ではないということしかわからない。

人間は左脳で恋をして、右脳で自分にふさわしいかどうかを見極める。一過性の恋をしたいのであれば、左脳で恋をした時点で、相手に告白すればいい。けれど、30歳を超えた僕は結婚前提のお付き合いを望んでいる。

実家に帰るたびに親から「孫の顔がそろそろ見たい」と言われ、友人たちからは「結婚はいいぞ」と自慢げに語られる日々。周りがどんどん結婚していくと、比例して焦りが芽生え、苛立ちが募っていく。Facebookには結婚報告、Instagramには子育てのストーリー。といった具合にSNSを開くたびに、遅れを取っているような気分になる。一刻もはやくこの状態から抜け出したい。そう思ったことがきっかけで、藁にもすがる思いでマッチングアプリを始めた。

これまでにも何度かマッチングアプリ経由で女性と会ったけれど、どうもしっくりこない。左脳の判定はOKでも、右脳の判定がNGを下すのだ。結婚を前提にお付き合いをするのだから、慎重になるのも無理はない。と自分に言い聞かせてはいるのだけれど、結局のところ、僕はずっとドラマや映画のような運命的な出会いを待っているのだろう。

ある日、趣味がライブを観に行くことという女性とマッチした。彼女のプロフィール写真は、フェスの会場でバンドTを着て、両手でタオルを掲げている姿だ。黒髪ロングに、きれいに塗られた紫色のネイル、笑ったときに出るえくぼに心を惹かれた。

最近のマッチングアプリは連絡先の交換を禁止している場合が多く、実際に会ってからしか相手の連絡先を手に入れることができない。そのため、会うまでの連絡が大切になる。いや、むしろそれがすべてである。だからこそ、メッセージのやりとりに気を配らなければならない。

ある程度の情報がプロフィールに記載されているとはいえ、それが真実とは限らない。ロックバンドが好きという彼女も、友達に無理矢理フェスに連れて行かれた可能性があるため、プロフィール情報が本当かどうかを確かめる必要がある。

彼女の真意を確かめるために、積極的に音楽に関する話をたくさんした。BUMP OF CHICKENのアルバムを持っている人が人気者になったこと、FM802でRADWIMPSの「ふたりごと」をはじめて耳にしたときの衝撃、クリープハイプを筆頭にキーの高いボイスが世の中に浸透したことなど、ありとあらゆる音楽に関する話をした。

なかでも同世代の僕たちは、BUMP OF CHICKENの話題で盛り上がった。「藤くんの名言だったらなにが好き?」という問いに対して「神に誓うな、己に誓え」と答え、「1番好きなアルバムは?」という問いに対しては「jupiterかユグドラシルって答える人が多いけれど、私はorbital periodが1番好き」と答えた。天体観測が売れた際に、彼らはライブで演奏しなかったという逸話も知っていた。

1番好きなバンドが被った事実は、会うに値するものだった。マッチングアプリでしか連絡を取ったことはないけれど、きっと会ったら好きになるという確信がもうすでに僕の中にはあった。やりとりを重ね、僕たちはデートをすることになった。といってもカフェでお茶をする程度である。それでも初めてのデートは緊張するものだ。

どうやら人間の第一印象のほとんどは顔で決まるらしい。髭を丁寧に処理して、スキンケアを時間をかけて入念に行う。洋服は友人にアドバイスをもらい、伸び切った髪の毛は美容室で、綺麗に整えてもらった。

デートの当日、緊張を隠せないまま集合場所に向かう。集合時間より30分も前に着いたため、どうしようかと悩んでいると、BUMP OF CHICKENが好きな彼女が現れた。黒髪ロング、紫ネイル、マスクをしていたため、すべての顔は見えなかったけれど、マッチングアプリで見たまんまの姿だった。

「えっと、亜美さんですよね?」
「もしかして篤史さんですか?」
「そうです。集合時間よりも前に来ちゃったので、どうしようかと悩んでいたら亜美さんの姿が見えて」
「私も篤史さんと同じです。なんだか笑っちゃいますね」

彼女を好きになるという予感は確信に変わった。カフェに着いて、3時間ほど話をしたけれど、すっかり上の空で、話の内容をほとんど覚えていない。ひとつだけ覚えていることは、年末に開催されるRADIO CRAZYに一緒に行く約束をしたことである。

最初のデートから1週間に2回ほど深夜まで電話をした。ずっと音楽の話である。BUMP OF CHICKENの新譜が出るとか、ライブが中止になったとか、音楽に関する話題ばかりだったけれど、楽しくてたまらなかった。数回のデートを重ねる。

彼女の誕生日がやってきた。黒髪によく似合うであろう髪飾りをプレゼントした。彼女は「どう?似合う?」とすぐに髪飾りをつけて、僕に感想を求める。「かわいい」と言えば良かったのに、「似合うと思うよ」と伝える。不満に思った彼女が怪訝な顔をした。彼女の顔を見て、こんな時間が永遠に続けばいいと願った。

「ねえ、今度天体観測ごっこでもしない?」
「え、あの午前2時に踏切で待ち合わせするやつ?」
「うん!星が綺麗に見える山があるからそこで天体観測しようよ」

お酒に酔った勢いで決まった天体観測ごっこ。まさか本当に実現すると思っていなかったため、話半分で彼女の話を聞いていた。ある日「今日の午前2時に、家の近くの踏切に集合ね」と彼女からDMが入った。

本当にやんのかよと思いながら、午前2時に踏切に行くと、大きな荷物を背負っている彼女がいた。彼女を助手席に乗せて、近くの山に行く。彼女は嬉しそうな顔をしながら「本当に来てくれると思ってなかった」と喜んでいた。

山に着いて空を眺めると、無数の星が拡がっていた。街は綺麗なネオンに彩られている。彼女は綺麗だねと言って、大きな天体望遠鏡を覗く。いったいどんな景色が広がっているのだろうか。気になってはいたけれど、あまりにも彼女が嬉しそうだったため、ずっと彼女の顔ばかり見ていた。彼女のことが好きだったけれど、告白する勇気がなかった。振られたらどうしよう。そんなことばかりが頭に思い浮かぶ。そして、何事もなかったかのように、僕たちは解散した。

次の日から彼女と連絡が取れなくなった。Instagramの更新もずっと止まっている。なにかあったのだろうかと何度かDMを送ったけれど、返信は来ない。思い当たる節はないし、彼女の真意がまったくわからないままただ時が過ぎる。

彼女との連絡が途絶えてから2年が経った。僕はまだ彼女の亡霊に取り憑かれたままである。ある日、彼女のInstagramのストーリーが2年ぶりに更新されていた。彼女とパートナーが一緒に写っている。結局、顔かよ。写真に写る男は僕よりも、はるかに整った容姿だった。よく見ると、僕があげた髪飾りをつけていることに気がついた。

数年前からBUMP OF CHICKENは変わった。昔は愛を別の言葉に代替して歌っていたのに、いまでは愛を惜しみなく歌っている。僕も彼らのように彼女に、正直に愛を伝えていたならば、いまも同じドアをくぐれていたのだろうか。

「午前2時、踏切に集合ね」と天体観測ごっこをしたがる彼女が好きだった。うまくいったこと、うまくいかなかったこと、出会う前から好きになる予感がしていたこと、夜中まで何度も電話していたこと、週末に何度も音楽について梅田のバーで夜遅くまで語り合ったこと、誕生日に髪飾りをプレゼントしたこと、ある日突然返事が来なくなったこと、彼女が別の誰かのものになっていたこと、結局彼女と一緒にRADIO CRAZYに行けなかったこと。

マッチングアプリで出会ったBUMP OF CHICKENが好きな女性に恋に落ちた。運命だと信じていたものはただの紛い物で、彼女との約束はすべて反故になった。いつの間にか僕たちの関係は終わっていた。人生はまさかとこんなはずじゃなかったの繰り返しである。また僕は彼女に代わる存在をマッチングアプリで探し求めるんだろう。

「結婚おめでとう」と言いながら、彼女のアカウントのフォローを外した。もうこれで彼女との結びつきはなにもない。天気予報は晴れ。天体観測ごっこはもう終わり。予報外れの雨に打たれ、呆然と立ち尽くす午前2時をお知らせします。

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