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大きな変化を体験した30歳、生きていて良かったと思った31歳。

想像以上の速さで、30歳が終わっていた。少し前までは大学生だったのに、気がつけばあっという間に31歳になっている。時の流れは年々早くなってきており、これから先もそれは加速していくのだろう。

今日の天気は晴れ。ちなみに1週間前の天気予報は雨予報だった。誕生日当日を、どんよりした天気で過ごすのは嫌だなと思っていたが、神様が誕生日を祝福してくれているのか、見事に晴れ間が差している。僕はつくづく運がいい。そして、それはこの先も一生続くのだろう。

人生はいいことだけじゃなく、悪いことも起きるのだけれど、現状は人生史上最大級の幸せな時間が訪れている。学生時代の壮絶な体験、難病が発症など、さまざまな困難が訪れたけれど、今が幸せならその全てが報われたような気がした。ずっと死にたいと思って過ごしていた学生時代の自分が今の自分を見たら、きっと驚くくだろうし、信じないかもしれない。だが、これは紛れもなく事実なのである。

例年どおり誕生日当日に31歳の抱負を考えようと思ったが、2023年になってすぐに抱負を考えたことをふと思い出した。2023年の抱負は「馴染む」だ。この言葉にした理由は、1月に東京に住む予定があったためである。しかし、想像より早く新生活に馴染めてきたような気がする。このままでは面白くないし、馴染めてきたからこそ、次の一手を考えなくてはならない。色々と思考を巡らせた結果、31歳の抱負を「飛躍」にすることに決めた。

話を戻そう。30歳をとうの昔に迎えている人生の大先輩から、「30歳になったら人生が大きく変わるよ」という言葉をいただいた。目まぐるしく過ぎる日々のなかで、30歳という節目は大きな変化があった年だったように思える。だが、変えられたのではなく、自分の手で変えてきたのだ。そこだけは譲れないし、譲りたくない。

そこで、今日は30歳のときに起きた出来事を振り返ってみようと思う。

難病の当事者として、とあるメディア様に取材してもらった

soarというNPO団体が、難病や生きづらさを抱える人に焦点を合わせて記事を投稿しているという情報を友達に教えてもらった。自分の闘病体験を知ってもらうことで、病気への理解が進む。また、当事者に勇気を与えたいと思っていたため、絶好の機会だと思い、すぐさまに問い合わせた。1ヶ月以上が経ち、音沙汰がなかったため、諦めかけていたその時だ。soarの編集部の方からとても丁寧なメッセージをいただき、僕の闘病記が記事化されることが決まった。

取材現場の雰囲気はとても暖かく、編集者の方が僕の容体を都度気にかけてくれた。これほどまでに暖かい人がいるのかと、改めて、自分の運の良さに喜んだ。取材の中で、僕がライターとして仕事をしていることを知った編集者の方から「サトウさんの言葉で伝えた方が世の中により伝わると思います」と提案が来た。確かにその通りだと思った。誰かに手を加えられるよりも、自分の言葉で伝えた方が伝わりやすい。だから、僕は自分の言葉で伝えることを選んだ。

公開日を迎えるまでは、自分の人生が世間に知られることを少しだけ怖く感じていた。だが、その不安は一瞬で消え去る。公開直後に、たくさんの人からありがたいメッセージが届いた。当事者の方からもたくさん嬉しい連絡をもらい、自分が書いた文章が世の中のためになったことがとても嬉しかった。これからも難病について発信していきたいし、こんな馬鹿でも楽しく生きることができているんだし、自分にもできろのでは?と思ってもらえたら幸いだ。

ずっと憧れていた東京に進出した

2021年にこんなnoteを書いた。

人生で一度は東京で挑戦してみたい。あらゆることで中心になる東京は、大阪に住んでいる僕にとっては、憧れの場所だった。このnoteを書いた当時は、妄想で終わると思っていた。その理由は、大阪でも十分に生きてくことができていたためだ。無理をしなくても生きられるのであれば、そこを抜け出す必要はない。だが、それでいいのか?と何度も自問自答した結果、やっぱり挑戦したいと思い立ち、上京すると決めた。

30年住んできた大阪には、見慣れた土地やずっと親交のある友人がいる。それを捨ててまで上京する価値はあるのか。でも、東京と大阪には海外ほどの距離がない。帰ろうと思えばすぐに帰ることができる。それを理解した瞬間に、心がフッと軽くなって不安が吹き飛んだ。

実際に上京してからはほとんど知り合いもいなければ、知っている場所もない、顔馴染みのあるお店もないと散々だった。けれど、新しいに触れる機会ばかりで、そのどれもが楽しくてたまらない。もちろん帰りたいと思うこともあったが、上京して4ヶ月が経った今では、東京に来て正解だったと本気で思っているほど好きな街になった。それはやりたい仕事ができていること、素敵な人に囲まれていること、家には大好きな恋人と猫がいることに他ならない。

新しい仕事が3つ増えた

ありがたいことに、上京してすぐに新しい仕事が3つも増えた。そのどれもが新しいの連続で、あらためてやりたい仕事ができていることを幸せに感じる。

3つも新しい仕事が始まって、頭の中は想像以上にパニックに陥った。あまりにも辛くて、何度も辞めたいと思ったのだけれど、これを乗り越えれば、もっと成長できると信じて、全部乗り越えてきた。そのおかげで仕事が楽しくなり、できることが増えたからこそ、もっといろんなことに挑戦したと思えるようになった。

これまでの人生を振り返れば、1年に1回は新しい何かに挑戦している。その理由は、停滞したくないためだ。書いていて少し恥ずかしいが、30歳を過ぎてもなお自分の可能性を諦めきれないでいる。もっとできるだろうと常に言い聞かせながら日々を過ごしてきた。31歳もいろんな仕事に挑戦したい。そして、自分の可能性を盲目的に信じる馬鹿のままでありたい。

「生きるを伝える」というドキュメンタリー番組に出演しました

ある日、soarさんで書いた難病についての記事がきっかけで、TwitterのDMから「テレビに出演しませんか?」という内容のDMが届いた。テレビ東京系列の「生きるを伝える」というドキュメンタリー番組だ。最初はテレビ出演の話を信じていなかったのだけれど、担当者さんの話を聞いているとどうやら本当らしい。これは難病をたくさんの人に知ってもらえる機会だと思って、テレビ出演を決めた。

1時間半近く取材をしていただいたのだが、緊張しすぎて何を話したか全く覚えていない。きちんと回答出来ていたのかすらも怪しいのだが…。テレビ放送の当日は、別の用事があったため、リアルタイム視聴ができなかったのだが、いろんな人から嬉しい感想をいただいた。SNSのフォロワーさんも増え、改めてテレビの影響力の凄さを実感した。放送のアーカイブが公式サイトにアップされたVTRを観て、ディレクターさんの凄さに脱帽。こんなにもかっこいい感じじゃなかったよ?と疑問に思うほどに、素晴らしいVTRに仕上がっていた。


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あらためて、31歳になりました!

ありがたいことに、自分はこんなに幸せでいいのかと思える最高の日々を過ごしています。いつまでもこの大切な日々をぎゅっと握り締めたい。今年のモットーは去年と変わらず、「だらけきった正義」でいきます。緩いやつと思われたいし、話しかけやすい存在でありたい。違和感を感じたときにきちんと言い合える関係を築き上げるために、まずは自分から歩み寄る。そして、31歳のテーマに掲げた「飛躍」を実現できるような1年を過ごしていきたい。これからもご迷惑をお掛けすると思いますが、31歳のサトウを今後ともよろしくお願いします!


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